アナログ派の愉しみ/映画◎新藤兼人 監督『裸の島』

乾いた土に
水を注ぐだけの映画


こんな話を読んだことがある。かつてシベリアの流刑地で囚人への懲罰として、ふたつのバケツを与え、片方に入っている水をもう一方のバケツに移し、またもとのバケツに戻すことをえんえん繰り返させた。すると、はじめは楽な作業と見くびっていた囚人たちも、次第に精神に変調をきたして悶絶するとか。無意味――。もしその魔手に捕らわれたら、わたしもとうてい正気を保てないだろうと覚って背筋が震えたものだ。

 
新藤兼人監督の『裸の島』(1960年)は、あのときの戦慄をまざまざとよみがえらせる映画だ。瀬戸内海の小さな島に、夫(殿山泰司)、妻(乙羽信子)と、幼い息子たちの四人家族が暮らしていた。そこには電気や水道がなく、夫と妻は夜明けとともにボートを漕ぎだすと、大きな島へ渡って用水路の水を木桶に汲んで持ち帰り、それぞれが天秤棒で急斜面を担ぎ上げて段々畑に撒いていくのだが、花崗岩の乾燥しきった土壌はたちまち呑み込んで、ふたりはふたたびボートを漕ぎだす。あるとき、妻の足元の地面が崩れて桶を引っ繰り返した際には、夫はその頬を張り飛ばし、妻は当たり前のように受け入れた。

 
実は、この映画にはひと言もセリフがない。夫と妻の激しい息づかいは聞こえてくるものの、かれらの口から言葉が出ることはない。つまり、もはや言葉を必要としないほど、ふたりにとって日常は自明のものであり、決まりきった行動の繰り返しであったのだ。シベリアの囚人たちがバケツの水を交互に入れ替えるだけの作業に、およそ言葉は必要ないのと同じく……。

 
かれらの汗と泥にまみれた労働もまた、無意味なのだろうか? もちろん、それは農業というレッキとした生産活動である。しかし、ほんの猫の額ほどの痩せた畑だとしても、そこは大きな島に屋敷をかまえる地主から借りたもので、わずかばかりのイモとムギが収穫できれば地代として頭を下げて納めに行き、あとには自分たちがやっと食いつないでいく程度しか残らない。息子たちが鯛を釣り上げる幸運に恵まれたときには大喜びして、巡航船で本州の尾道まで繰りだし、市場で鯛を買い取ってもらったお金で久しぶりに食堂のカレーライスを食べるのがせめてもの贅沢なのだった。

 
たとえ掘っ立て小屋の暮らしに向上がなかったとしても、そこで息子たちがすくすく成長していることこそ、夫と妻にとって何よりの労働の意味だったかもしれない。しかし、ある日、大きな島の小学校に通う長男は両親が水汲みに出かけているあいだに高熱を発して、あっけなく息を引き取ってしまう。数日後、僧侶と小学校の教師や同級生たちが海を越えてやってきてささやかな野辺送りが執り行われたあと、休むひまもなく、ふたたび夫と妻の段々畑へ水を撒く日常がはじまった。だが、妻はふいに全身を引き攣らせると、桶の水をぶちまけ、イモの苗を抜きながら号泣する。ふだんなら頬を張り飛ばす夫も、その姿を放心した表情で見守ることしかできない。このとき、自分たちが無意味という魔手に捕らわれてどうにもならないことを覚ったからだ。そして、ふたりはまた水を汲みに立ち上がる……。

 
新藤監督はこの作品について、独立プロが経営破綻に瀕して最後の一本のつもりで、自分の財布をはたき超低予算で制作したと明かし、こんなふうに述懐している。

 
「水のない島へ水を運んできて、乾いた土へ水を注ぐ。乾いた土はさっと水を吸いこんでしまう。それでも水を注ぐ。乾いた土はわたしにとっては乾いた心であって、果てしなく心に水を注ぎたいのだ」

 
敷衍すると、こうなるか。乾いた土にいくら水を注いでも沃土にならないように、乾いた心に水を注いだところで瑞々しく潤いはしない。無意味がいつか意味へと転換を遂げることはないのだ。無意味は無意味のままでいい、それでも果てしなく無意味を積み重ねることに価値がある、と――。わたしもこの年齢に至ってみれば、これまでやってきたのは結局、バケツの水を交互に入れ替えるだけのことでしかなかったとわかってくる。『裸の島』はそんな人生を励まそうとするメッセージなのだろう。

 
シベリア流刑地の囚人たちをめぐるエピソードの真偽のほどは定かではない。しかし、新藤監督の思いがかなって作品の完成を見たとき、当時のソ連がいち早く注目し、モスクワ国際映画祭グランプリを受賞して世界的な評価につながった(もちろん、セリフがないことも大きく寄与したろう)経緯を振り返ると、わたしはそこに無言の地下水脈が通じあっていたように思えてならないのだ。


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