アナログ派の愉しみ/映画◎川島雄三 監督『グラマ島の誘惑』

「人間は自分の汚物にも愛情を覚える」
世にもキテレツな映画が予見したものは


あまりのキテレツさに空いた口がふさがらない。川島雄三監督の映画『グラマ島の誘惑』(1959年)だ。ときあたかも皇太子(現・上皇)殿下のご成婚で「ミッチー・ブーム」に日本じゅうが沸き返っているさなかに、よくぞ一般公開できたものだと恐れ入る。だって、こんなストーリーなのだ。

太平洋戦争の末期、アメリカ軍によって輸送船が撃沈され、乗り合わせていた面々が南海の孤島グラマ島に漂着する。宮家出身の海軍大佐(森繁久彌)と弟の陸軍大尉(フランキー堺)、腰巾着の御付き武官と、男は3人だけ。あとは、慰安婦6人と報道班の画家と詩人の女ばかり。さらに、この島に駐在した会社員の美貌の未亡人と現住民らしい半裸の男も加わって、世にも奇怪なコミュニティが発足する。中心人物の宮さまにとって、重大問題は食欲と性欲のみ。その無道なありさまに、ついに女たちが「あんたらのために働かされるのはゴメン」と革命を起こして、全員平等の民主主義になる……というのだから、これを映画化するのには現在でも蛮勇が必要だろう。

それだけではない。一同がヤシの木のカヌーで脱出を企てるなか、ある日、占領軍の部隊がやってきて、戦争はもうとっくに終わったことを告げる。島での永住を望んだ未亡人と半裸の男のふたりを残し、他の面々は晴れて本土へ帰還することに。もはや宮家ではなくなった兄弟は事業をはじめ、慰安婦一派は赤線に乗り込み、画家の女は体験記を出版してベストセラーになったりもして、それぞれにしぶとく世間を渡りながら、いつしか「ああ、島に帰りたい」との思いが兆してきた矢先、突如、グラマ島を水爆実験のキノコ雲が覆ったのだった。文明社会を拒んだあの健気なカップルもろともに……。どうだろう、まったくキテレツな展開としか言いようがないではないか。

しかも、いっそうキテレツなのは、これが実話にもとづいているという事情だ。終戦間際のこと、マリアナ諸島のアナタハン島で女ひとりと軍人たちの集団が孤立して、その女を中心としたコミュニティが営まれ、かれらは終戦を信じないで何年も島にとどまって共同生活を続けた。この事件は当時、国内ばかりでなく海外でも話題となったようで、あの伝説の女優マレーネ・ディートリッヒを送り出したジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督が映画『アナタハン』(1953年)を制作する一方、劇作家の飯沢匡が『ヤシと女』(1956年)と題した戯曲に仕立て、川島監督がこれを映画化したというわけだ。その直前には名作『幕末太陽伝』(1957年)や『暖簾』(1958年)を発表して、それらの主演俳優を顔合わせさせたのだから、監督としてもかなりの力瘤が入っていたはず。力瘤の勢いあまってキテレツな世界に拍車をかけたのかもしれない。

 
川島監督の弟子を自認した藤本義一は、著書『生きいそぎの記』(1971年)のなかで師匠のこんな言葉を記録している。「人間とはおかしなもんだと思わないか。君、鼻汁や痰を出してから見ないかねえ。ウンコも見んかねえ。いや、見るものです。人間は、自分の汚物にも生きている証拠を見ようとして、愛情を覚えるものなのです」。

 
もともとダークなユーモア感覚を持ち味とする川島監督だが、この発言は必ずしも露悪的な気性によってだけなされたものではあるまい。長年にわたって筋萎縮性側索硬化症の宿痾を背負い、不自由なからだに鞭打ちつつ無頼の生活を送ってきて、『グラマ島の誘惑』を撮った4年後に45歳で人生を終えることになるかれにとって、これは血の滲む肉声だったろう。すべての社会的な虚飾を剥ぎ取ったのち、結局、女たちの支配のもとに築かれた民主主義のコミュニティこそ理想郷かもしれない、とりわけおのれの糞尿の始末もままならなくなった者にとっては――。だから、川島監督の分身たる、それぞれに欠落を抱え込んだ登場人物たちは島に帰りたがったのだ。

 
そう、なにも特別な話ではない。人生100年時代とやらを迎えて、今日ではだれしもいずれおのれの糞尿の始末もままならない境遇になる可能性を負っている。かくして、いまや日本列島全体がまるごと介護施設ならぬ、グラマ島と化しつつあることを、当時すでに予見したのだとしたら、やはり、まったくもってキテレツな映画と言わざるをえない。
 
 


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