アナログ派の愉しみ/バレエ◎ジョルジュ・ドン舞踊『ボレロ』

たったひとつの
肉体が全世界と対峙して


わたしは確かに目撃した。1990年4月26日、東京文化会館。東京バレエ団創立25周年記念公演として行われた「モーリス・ベジャール」ツアーの最終日。ステージにはジョルジュ・ドンがゲストとして出演し、日本最後の『ボレロ』を踊ることがあらかじめアナウンスされていたため、異常な注目が集まるなかで、幸いにも後方の座席とはいえチケットを入手できて駆けつけた。そこで目にしたものはなんだったのか?

 
迂闊にも、その公演の実況映像がDVDとなって一般に販売されていることをつい最近知った。さっそく買い求めてプレーヤーにかけたところ、画面に映しだされたのは、30年以上の歳月を隔て、ずっと記憶の底に仕舞い込んでいたとおりのものであることにむしろ驚いた。プログラムは、『舞楽』(黛敏郎作曲)、『アダージェット』(マーラー作曲)、『火の鳥』(ストラヴィンスキー作曲)、『ボレロ』(ラヴェル作曲)の4演目で、いずれもモーリス・ベジャールの振り付け。このうち、ジョルジュ・ドンは『アダージェット』と『ボレロ』に出演し、他は東京バレエ団のダンサーのみによって演じられ、それはそれで清新な舞台だったものの、大方の観客にとってはお目当ての『ボレロ』の前座でしかなかったろう。

 
ジョルジュ・ドンは、1947年アルゼンチン生まれ、幼少時からバレエの舞台に立ち、16歳のときにベジャールが率いる二十世紀バレエ団の南米巡業に接して衝撃を受け、単身本拠地のベルギーに渡って入団する。以降、ベジャールの指導のもとで頭角を現して世界的なダンサーに成長するが、とくにその名を高めたのが『ボレロ』だ。

 
モーリス・ラヴェルがバレリーナのイダ・ルビンシュタインの依頼で1928年に作曲したこの作品について、ベジャールが振り付けを発表したのは1961年のこと。主役の女性ダンサーが真紅の円卓の上で執拗に反復されるメロディを体現して踊り、それを取り囲む男性ダンサーの群舞がリズムを表現して、相互に駆け引きしながら身振りを拡張させていき、最後には音楽の大爆発とともにリズムがメロディを呑み込んでしまう。わたしの理解するところでは、ストラヴィンスキーの『春の祭典』と同じように、ここには原初的な太陽信仰にもとづく処女の生贄の儀式がイメージされているだろう。

 
ところが、1979年にその主役を初めてジョルジュ・ドンが演じて評判を呼び、さらにクロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ』(1981年)で17分間におよぶクライマックスを飾ってバレエ・ファン以外からも絶賛を博した。こうして、上半身裸のメロディを中心として周囲のリズムたちもすべて男性だけとなり、そこで生贄の儀式が行われるという「倒錯」を呑み込むことで、ベジャールの作品はいっそうまばゆいオーラを発したのだ。

 
実は、同じころ、もうひとつの斬新な『ボレロ』が出現する。イタリアのアニメ作家、ブルーノ・ボツェットが制作した映画『ネオ・ファンタジア』(1976年)だ。

 
クラシック音楽とアニメを融合させたディズニーの名作『ファンタジア』(1940年)の向こうを張って、奔放とどまるところを知らないこの作品では『ボレロ』をバックに壮大なパノラマが繰り広げられる。コカ・コーラの空き瓶のなかで誕生した生命が、音楽のメロディとリズムに乗って、単純なものから複雑なものへ、小さなものから巨大なものへとダイナミックに進化していく。だが、それは同時にまっしぐらに絶滅へ向かう道筋でもあり、その恐竜たちの行進を山上からサルがせせら笑って眺めている、おのれの未来も失われていることに気づかずに……という、およそディズニーの楽天ぶりとは相反する世界観が描かれるのだ。どうやら、『ボレロ』には「倒錯」が似合うらしい。

 
あの日、東京文化会館のステージでわたしが目撃したのはなんだったろうか? いま改めてライブの記録で確かめても、不世出の天才ダンサーによる渾身のパフォーマンスと言っただけでは済まされないものが迫ってくる。そこにあるのは静止と躍動がせめぎあい、神聖と孤独が表裏となった光景ではなかったか。そう、十字架上のイエスのように。たったひとつの肉体が全世界と対峙して、それを目の当たりにしたわれわれは、以後、世界の意味がすっかり変わって見えてしまうような……。

 
ジョルジュ・ドンがエイズ(後天性免疫不全症候群)により45歳で世を去ったのは、その2年後のことだ。
 
 


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