アナログ派の愉しみ/音楽◎イヴォンヌ・ジョルジュ歌唱『あなたが欲しい』

この言葉のカオスの
ただならぬ美しさ


わたしの失恋の思い出にちなむ音楽といったら、あまりにもベタだけれど、エリック・サティ作曲の『あなたが欲しい(ジュ・トゥ・ヴ)』(1900年)だ。サラリーマン生活も板につきかけたころ、全身全霊の告白があっさりと拒まれ、夜の街をさまよってレコード・ショップへ立ち寄ったところ、アントルモンのピアノ演奏によるこの曲がかかっていたのだ。とても偶然とは思えない。そんな感傷に駆られて買い求め、しばらくのあいだ、繰り返し聴いては甘酸っぱい涙をこぼして自分で自分の傷口を舐めたものだ。

 
なだらかに上下するメロディに物憂げな風情をたたえたこの曲が、もとはアンリ・パコーリの詞をともなうシャンソンとしてつくられ、しかも男声用と女声用のヴァージョンがあると知ったのはずっと後年のことだ。そして、サティの生前に、当時の伝説的な歌手が女声用のヴァージョンを吹き込んだ録音が残されていると知ったのはさらに後年の、最近になってからのことだ。その『あなたが欲しい』は、わたしが長年馴染んできたイメージとはかなり異なって、早めのテンポで軽快にうたわれながら、どこか凶々しい妖気さえ立ち昇らせているのにいたく驚いた。

 
イヴォンヌ・ジョルジュ。1896年ベルギー東部のリエージュ生まれ。第一次世界大戦下に少女期を過ごし、十代後半でパリに出てコンセルヴァトワールで演劇を学んで舞台に立つかたわら、24歳のときにオランピア劇場の前座として歌手デビューする。その情熱的な歌唱によってスターの座にのぼりつめ、ジャン・コクトー、メーテルリンク、そしてサティらと交流したものの、生来虚弱な体質で結核を患っていたうえにアルコール中毒や薬物中毒も重なってたちまち光芒を失い、1930年にわずか33歳で世を去った。

 
そんな彼女が初めてレコードの吹き込みに臨んだのは、1925年2月27日のこと。ジャン・ウィネルのピアノと楽団をバックに、『どうすればよかったのかしら』(カルトゥー&コスティユ作詞、イヴァン作曲)、『そう、だから愛し合っているの』(ティイ作詞、ポレル=クレール作曲)、『せむし男』(古謡)、そして『あなたが欲しい』の4曲が収録されたのだが、これらをとおして再生すると、わたしの耳にはひとつながりの起承転結のドラマのように聴こえる。すなわち、前半の2曲で日常の愛の喜びを発散させてから、3曲目の16~17世紀に起源がさかのぼるという古い歌でがらりと様相が一変する。

 
 このせむし男め お前はもう 私の顔を拝めない
 このけだものめ お前はもう 私の顔を拝めない

 
父親の差し金で金持ちのせむし男のもとへ嫁がされた娘が、がめつい夫を憎むあまり呪い殺そうとして、ついに実現すると膠で固めて地面に埋めてしまう。そんな凄惨きわまりない心情をイヴォンヌはあっけらかんとうたい、やがて歓喜と恐怖に引き裂かれた高笑いとなって、われわれを戦慄させるのだが、確かにこれも男女のあいだのひとつの愛の情景ではあったかもしれない。ついで、最後の『あなたが欲しい』がうたい出される。

 
 もう分別なんか関係ないし 悲しみなんかなおのこと
 私はこの瞬間に思いを燃やすだけ ふたりの幸せの時を。あなたが欲しい

 
ここにあるのは、もはや素朴な恋愛感情などではない。相手を平凡に愛する喜びも知り、憎悪して呪い殺す術も知ったうえで、それらをひっくるめて女がひとりの男をわがものに所有したいと希求しているのだ。なるほど、サティは『梨の形をした三つの小品』『犬のためのぶよぶよした前奏曲』『干からびた胎児』……といった謎めいた作品で知られるだけに、たとえ『あなたが欲しい』というシンプルなタイトルにしたってひと筋縄でいくはずもない。とうてい、まだケツの青かったわたしの失恋体験に見合う音楽などではなかったのだろう。

 
果たしてウィットなのか、ユーモアなのか、はたまた支離滅裂なのか。フランス革命以前のフォークロアから現代音楽の門戸を開いたサティへと飛翔して、イヴォンヌが生命を与えた言葉のカオスのただならぬ美しさはどうだろう。この国が現代思想の牽引役を担ってきたのは、こうしたフランス語の成り立ちに淵源するものだったのかもしれない。
 

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