アナログ派の愉しみ/音楽◎『Shall We Dance?』

格差社会が
ミュージカルの隆盛をもたらした?


わたしが愛好してやまないミュージカルの作品として、『マイ・フェア・レディ』(1956年初演)、『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年初演)、『サウンド・オブ・ミュージック』(1959年初演)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1971年初演)、『レ・ミゼラブル』(1985年初演)……と挙げていくと、ひとつの共通項に気づく。そこに描かれた時代や場所はまちまちにせよ、いずれも主役たちのあいだに抜き差しならない社会的格差が横たわっていることだ。

 
すなわち、上記の順に、ロンドンの貧しい花売り娘イライザと上流階級の言語学者ヒギンズ、ニューヨークの下町で抗争するプエルトリコ系とポーランド系の不良グループ、修道女見習いのマリアとオーストリア貴族のトラップ大佐、十字架にかけられたイエスと古代ユダヤを牛耳る権力者たち、元徒刑囚ジャン・ヴァルジャンとフランス国家警察のジャヴェール警部……といった具合。いやはや、よくもまあ、人間社会における格差の諸相を取り上げてきたと感心してしまう。そして、その最たるものが、オスカー・ハマースタイン二世の作詞、リチャード・ロジャースの作曲になる『王様と私』(1951年初演)であることは言を俟たないだろう。

 
このミュージカルは、19世紀なかばにシャム(現在のタイ)をラーマ四世が治めていたころ、ヴィクトリア朝のイギリス婦人、アナ・リオノウンズが王家の家庭教師をつとめたという実話にもとづく。舞台では、美貌ながら芯の強い未亡人アンナが息子とともにバンコクに到着するところからはじまる。

 
そこに待っていたのは、頭に描いていた慎ましい宮廷社会とまるで異なり、ハーレムにひしめく数知れぬ女性と60人以上の子どもたちに英語を教えるという仕事だった。男尊女卑の風俗をあらためようとするアンナは、ことごとに王様とぶつかり、もはや帰国まで思いつめたが、恋愛と婚姻の神秘をうたう『Shall We Dance?』を口ずさんだことから、ふたりのからだが自然とリズムに合わせて動きだす。

 
踊りましょうか?
音楽の輝く雲に乗って飛び立ちましょうか?
踊りましょうか?
そのあとで「おやすみなさい」とお別れするのでしょうか?
それとも、最後の星が消えるまで抱きあい
新しい恋が訪れるのにこの身を任せるのでしょうか?
さあ踊りましょうか?

 
ウォルター・ラング監督の映画版(1956年)では、王様(ユル・ブリンナー)とアンナ(デボラ・カー)が手に手を取って踊ったあとに、王様がその手を大胆に腰へのばしてきたのを、アンナはひるんだ仕種を見せてから受け入れて、あらためて抱きあって踊りまわる場面がクライマックスとなっている。それはおそらく、強情張りのふたりのあいだに恋心が芽生えたといったロマンティックな話ではないだろう。片や旧習から抜けだせない発展途上国の有色人種の男性と、片やみずからを正義と心得る大英帝国の白色人種の女性が、わかりあえずにいたところ、かろうじて音楽とダンスによって一瞬の共感を成り立たせることができたという、その意味ではきわめてリアリスティックな話なのだ。

 
キリスト教世界において神の支配が終焉を告げ、人間中心主義(ヒューマニズム)が取って代わったときに、厳然と存在する社会的格差に対しても人間同士で向きあわざるをえなくなり、楽観的に言うなら、その深い溝に橋を渡して交流を開くために、悲観的に言うなら、そうやって深い溝にとりあえず蓋をして隠蔽するために、音楽とダンスは格好の道具としてミュージカルの隆盛をもたらしたのだろう。かつて人類全体の格差の頂点に立ったアメリカ(ブロードウェイ)とイギリス(ウエスト・エンド)が、その発信地となったのも必然だったのに違いない。

 
今日、世界じゅうで社会的格差のいっそうの拡大が叫ばれるなかで、さて、新たな『Shall We Dance?』はいつ、どこから、どのように出現するだろうか?
 

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