アナログ派の愉しみ/映画◎シルヴェスター・スタローン主演『ロッキー』

世界で最も有名なボクサーは
「アメリカの寅さん」だ


一世を風靡したシルヴェスター・スタローン主演のボクシング映画『ロッキー』は、第一作(1976年)のあと、『ロッキー2』(1979年)、『ロッキー3』(1982年)、『ロッキー4 炎の友情』(1985年)、『ロッキー5 最後のドラマ』(1990年)、『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006年)の計6作がつくられた。すなわち、その制作期間は実に30年の長きにおよび、これは劇場用映画でひとりの俳優が同じ主人公を演じた最長記録ではないか?(さらに、スタローンはすべての脚本を書き、このうち4作の監督もつとめている)しかも、スクリーンのなかで顔面が変形するまで血しぶきを飛び散らすファイトが見せ場の役柄なのだから、もはや超人的と言えるだろう。

 
わが国の長寿シリーズ『男はつらいよ』では前後26年をかけて、やはり超人的な渥美清の役者魂により計48作がつくられてギネスブックの世界記録に認定されている。さすがに作品数こそ開きがあるものの、トータルの制作期間では『ロッキー』のほうが上回っているわけで、つまり、それだけの年月のあいだ観客とともに同時代の空気を呼吸し続けたことを意味する。であれば、たとえ狭いリングを主要な舞台としていても、『男はつらいよ』が日本の70年安保前夜から日本列島改造ブーム、バブル経済とその崩壊を経て、阪神・淡路大震災に至るまでの世相を反映していたように、『ロッキー』もまた、およそ一世代にわたるアメリカ社会の精神状況を記録したクロニクルと見なせるはずだ。

 
大部屋俳優だったスタローンが、1975年3月24日に世界ヘビー級タイトルマッチのモハメド・アリ対チャック・ウェプナー戦のテレビ中継に触発されて、最強のチャンピオンに挑戦する中年ボクサーを主人公とする脚本をわずか3日間で書き上げ、みずからの主演を条件に映画会社へ売り込んだというエピソードはよく知られている。しかし、映画のロッキー・バルボアは、現実のウェプナーがボクシングではうだつがあがらずに終わったのとは異なり、第二作ではアリをモデルにした黒人ボクサー、アポロをKOして世界チャンピオンの座につき、さらにはそのアポロの命をリングで奪ったサイボーグのような強敵と戦うためにはるばるソ連へ出かけて復讐を遂げるのだ。

 
そんな現実離れした「アメリカン・ドリーム」をロッキーが体現してのけたのも、ベトナム戦争の敗北から星条旗の栄光を取り戻すために、元ハリウッド俳優のレーガン大統領が登場して、ソ連のゴルバチョフ書記長とのあいだで冷戦終結を成し遂げる……といった時代のうねりを背景にしてのことだは言うまでもない。半面で、どれほどまばゆいスポットライトを浴びようとも、ロッキーと「イケてない」パートナーのエイドリアンのコンビはフィラデルフィアの下町にあって、相変わらず金銭とは縁遠く、明日に向かって不器用に生きていくしかない。心の支えとするモットーは、自分を落ちこぼれのゴロツキ人生から拾い上げてくれた老トレーナーのミッキーの言葉だ。

 
「ゴングはまだ鳴っちゃいない、さあ戦うんだ!」

 
それは当時、アメリカ社会の底辺にあえぐさまざまな肌の色の人々を励ますメッセージであり、せめても映画館で束の間の夢を見させる魔法の呪文でもあったろう。30年間にわたって! スタローンの熱意が生んだ世界で最も有名なボクサーは、こうした意味でもわたしには「アメリカの寅さん」に見えてくるのだ。だが、ソ連の崩壊後、アメリカの一極支配が進行するなかで、2001年9月11日の同時多発テロが勃発し、ブッシュ政権はアフガニスタンやイラクへ強大な軍隊を派遣してイスラム過激派への報復攻撃の口火を切り、あかたも宗教戦争の様相を呈するに至った。こうして世界観の深い分断を抱え込んだ社会状況のもとで、ついにロッキーも時代の役割を終えていく。

 
いや、待て。早計だったかもしれない。スタローンはのちに、ロッキーがトレーナーとなって旧友アポロの遺児を一流ボクサーに育てるという、スピンアウトの映画『クリード』シリーズに出演したうえ、70代となった現在も意気軒高に『ロッキー』の続編を企画中と公言しているから、わたしたちはふたたびあの雄姿と再会できるのかもしれない。そのときにはきっと、人類の高齢化の未来に対してあっと驚く希望の光を投げかけてくれることだろう。
 

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