アナログ派の愉しみ/音楽◎フルトヴェングラー指揮『ローエングリン』

これはリマスタリングの
魔術なのか


いやはや、こんなこともあるのだ。最近、そんな目からウロコならぬ、耳からウロコの落ちる思いを味わった。

 
地元の商店街でもう半世紀以上も営業しているというレコード・ショップでの話だ。小ぶりな店舗にはクラシック音楽を中心としたソフトがびっしりと並び、昔気質の主人がひとりで取り仕切って、滅多に来客がないのを気にするふうもない。わたしもかつては足繁く通ったものだけれど、いまやネットでの購入のほうが手っ取り早くてご無沙汰していたところ、少し前に発売されてすぐに売り切れとなった国内盤のCDが欲しくて、ここなら置いてあるかもしれない、と思い当たって訪れたのだ。その思惑は的中して、マルク・ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊によるハイドンの『ロンドン・セット』をやっと入手できたのだが、しかし、わたしが驚嘆したのはそのことではない。

 
ちょうどこのとき、店内のスピーカーから『ローエングリン』の第一幕への前奏曲が流れていた。どこか凶々しさを秘めた力強い響きに耳を奪われたものの、一体、どこのだれの演奏なのか見当もつかず、手にした商品の代金を支払いながら主人に尋ねてみると、わが意を得たり、といった顔つきで答えが返ってきた。

 
「フルトヴェングラーとウィーン・フィルですよ、いい音でしょう」

 
わたしは開いた口がふさがらなかった。だって、その録音ならこれまでさんざん聴いてきたのに、耳に残っている音はまるで別物だったのだから。

 
ドイツ・ロマン派のオペラの巨人、リヒャルト・ワーグナーは本編に先立つ前奏曲や序曲にもことのほか力を注ぎ、交響曲のひとつの楽章にも匹敵する規模・内容を与えて、それらをオーケストラが独立して演奏しても十分鑑賞に堪えるだけのものに仕上げた。『ローエングリン』(1850年初演)の第一幕への前奏曲もまた、八つのパートに分割された弦楽器群が各々の高音を出し、ハーモニクス(倍音)を奏でる4本のソロ・ヴァイオリンと交錯しながら、さらにフルートとオーボエが重なって神秘的な「聖杯の動機」を織りなしていくという、他に類例を見ないつくりになっている。

 
これまで接したなかで、わたしが最も惹かれたのはエフゲニー・ムラヴィンスキーがレニングラード・フィルを指揮したレコードで、旧ソ連時代ならではの非人間的なまでに鍛えられた鉄の規律が生みだす合奏は、シベリアの純白の大地のようにどこまでも冷たく澄み切って背筋が震えずにはいられない。これを超える演奏などありえない、と長年思い込んできたところに出くわしたのが、あのレコード・ショップでの体験だった。

 
20世紀のドイツを代表する指揮者、ウィルヘルム・フルトヴェングラーがウィーン・フィルとこの録音を行ったのは1954年3月で、その年11月には68歳で他界するから最晩年の境地ということになる。もとより名盤として広く知られてきたレコードではあるけれど、制作会社のEMIが行ったモノラル録音は淡いレース越しのように明晰さに欠けるせいで、もうひとつ没入しきれないもどかしさがあった。それが、未知のレコードではいっぺんにレースを引き剥がしたごとく隅々まで克明に再現され、ムラヴィンスキーとは逆にただならぬ熱を帯びて、ともすると美の彼方の狂気へといざないかねない音響のドラマとして成り立っていたことが如実になったのだ。このオペラに魅せられてワーグナーに入れあげたあげく謎の死を遂げたバイエルン国王ルートヴィヒⅡ世が耳にしたのは、あるいはこうした演奏ではなかったろうか?

 
店の主人の説明によれば、かつて「プラハの春」音楽祭のライブ録音などで知られたPRAGAというレーベルが、数年前から著作権が消滅した歴史的録音を新たに復刻して高品質のSACD商品によみがえらせているシリーズのひとつだという。果たして、これをリマスタリングの魔術と見なしたらいいのか。ここにはさらに『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『ワルキューレ』『神々の黄昏』の音楽も収録されていて、心ゆくまでこの音質を楽しめるという。

 
「まあ、それだけにちょっと値段は高いですけどね」。その言葉が終わる前に、わたしの手がレコードを掴み取っていたことは言うまでもない……。
 

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