二足の靴

 ファッションに興味があったのは、高校生の時くらいだ。そのあとは、TシャツやトレーナとGパンだったし、仕事に入ってからは、作業服がほとんどだった。
 父は大工であり、年がら年中同じ作業服。パリッとしたスーツ姿など、見たことも無いし、聞いたことも無い。母も私の服について話をしたことが無く、幼いころからファッションというものには無縁の家庭だった。さらに追い打ちをかけたのは、就いた仕事は土木の世界。作業服が制服ですという世界の中で、かっこいい作業服などと思っても、世の中のファッションとはほど遠いものだったのだ。

 四十代になると、さすがに会議の時だけはスーツを着るようになった。靴も服と同様で、会議の時は黒の革靴。この革靴は、長いもので五年は履いていただろうか、靴紐がちぎれてもほかの紐を持ってきて代用したものだった。現場では鉄の板が入っている安全靴を履く。何かが足に落ちてきても、足を守ってくれる。そんな安全靴を大事にしたものだった。 
 安全靴にも種類がいろいろあって、編み上げ式というものを好んで履いていた。作業服の中のファッションというものであろうか。

 仕事を退職して六年になるけれど、最近の靴事情は、サイドファスナー式で茶色のジョギングシューズを同時に二足買い、夏と冬で交換しながら履いてきている。厚手の靴下を履く冬用のほうが少し大きいサイズだ。何足も揃えるほどの靴の愛好家でもないので、日ごろ使う靴は二足だけ。最近の服の状況だけれど、ズボンも靴と同様である。数本のズボンを代えながら過ごしている。スーツを着る自分は、もういないだろう。

 今年の春、冬用の少し大きい靴が壊れた。サイドファスナーが開いたままになってしまったのだ。どうゆう風に壊れたのか調べていると、ついつい仕事の時代からのいろんな思い出が浮かんできて、しげしげと靴を見ていた。
 思い返してみると、仕事やそれ以外でも、辛い事でうなだれる先には靴がみえていた。靴を見ながら耐えてきたのかなぁと思った。      
 晴れやかに顔を上げて歩くときには、足元をしっかりさせて、安心させてくれたのも靴だった。外を歩くとき、自分を守り支えてくれた最も身近なものは靴だったと思う。これまでの嬉しい出来事、思い出したくもない出来事、あの時は、こんな靴を履いていたなぁと、壊れた靴はタイムスリップさせてくれた。

 靴が壊れたので、やむを得ず一足買い替えることにした。
 これからは週ごとに靴を交換して履き、それぞれの靴に思い出を残していこうと、今度の靴は、同じタイプではないものを選んだ。

 相棒という言葉を調べると、決して欠かすことの出来ない相手方と出る。人生の相棒は傍にいて一緒に暮らしているけれど、出かける時の相棒は靴であったかと思う。愛着のある物たちもいるけれど、自分を助けてくれたりした靴は、相棒と感じている。

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