応援と消費は紙一重だと思った話
注意:やや重めです
このnoteは羽生くんを応援するために書き始めました。エンタメの世界は需要が無ければ淘汰される世界。羽生くんのスケートを観たいなら需要がある事を示さなければ。そう思う気持ちがnoteを書くモチベーションになってます。
書くという行為は、自分の思考の整理、応援のあり方を振り返る記録、一時の応援で終わらせないとゆー自分への枷であり、それらを踏まえて書き続ける事に意味があると思ってます。
なんですが、最近、不安です。私のnoteも羽生くんの消費に過ぎないんじゃないかとゆー不安があります。
結婚報告以降、色んな反応がある中で、辛い心情の吐露とか発表の仕方への要望とか、必ずしもポジティブじゃない反応も見てきました。その中でネタ扱いが1番キツかった。ですが、誹謗中傷でない限り何をどう表現するのも自由なんですよね。それに、羽生くんについて書いてるって意味では私も同じネタ扱いかもしれないし…。そんなことを考えていたら「応援が羽生くんの幸せを削ってる」とゆー気持ちがまた湧いてきてしまった。
この思考パターンは自分の悪い癖だと分かってるので対処法は分かってるつもり。「考えてもしょうがない」とひたすら念じてます。そう、考えてもしょうがないんです。
羽生くんのファンは膨大な数で、羽生くんのアクションに対し反応の仕方も求める事も多種多様。共感力の高い羽生くんはポジティブじゃない反応に疲れたり傷ついたり、たぶん、この幸せの節目にメンタルをゴリゴリ削られてると思います。が、それに寄り添うのはプライベートに関わる人達だけ。ファンがどーにかできる事ではないんですよね。
ファン1人1人の力なんて微々たるものと自覚はありますが、それでもファンにしかできない事も有ると思ってます。観客席を埋めるのも、客席をシンクロライトで満天の星にするのものファンじゃなきゃ出来ません。だから次のアイスショーは絶対に参戦したい。
羽生くんの力になるよーな応援をしたいと思ってますが、ただの消費に過ぎないかもしれない。これは常に肝に銘じておきたい。羽生くんが全方位に思いを巡らせて言葉を発するよーに、私のnoteも応援もそーありたいと思ってます。
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