親へのリスペクト
内心、自分で自分はいわゆる出来る方だと勘違いしていた節がある。特に義務教育の頃なんて何もしてなくてもある程度成績が良かったし、大人に賢いねと褒めてもらえることも少なくなかったので。
現実がそうでも無いことを頭のどこかで理解はしているものの、基本的にやればできる方だと今なお思っている。
若い時くらい勘違いさせてくれやという気持ちもあるが、異国で移民として暮らすのはやはり厳しい現実があり、今まで割と甘やかされて生きてきたことを実感した。
何が言いたいって、私は凡人だということである。
親はよく褒めてくれる方だった。例え試験の結果が悪くてもうちの子にしては良くやった!と褒めてくれたし、本当によくできた時は好物のポテトサラダを作ってくれた。あの面倒くささがわかる今、より一層感謝している。本を読むことが好きだと言えば毎週車で図書館に連れて行ってくれて、母の利用カードも合わせて20冊くらい借りてくれた。お陰で今でも活字ジャンキーだ。
それから、やってみたいと言ったことは大抵やらせてくれたし、アウトドア系が苦手なのに経験として連れ出してくれた。
お陰でなにかに挑戦することに対して過度な緊張や恐怖はなかった。
失敗した時には決まって父が「いい経験やったな」というので話のネタに昇華出来るようになった。
だから今カナダにいるのかもしれない。
私は幼稚園の頃から今に至るまで自意識尊大で怠け者の口が経つ学校でしょっちゅうトラブルを起こす子供だった。これが私だし変える気はさらさらないが、両親はこんなに面倒くさい人間をよく18年同じ家に置いて生活していたな……とも思う。
1度両親と話した時、「こちらの都合で来てもらっただけだから別に気にしなくていい」「親子とはいえ他人だし、同じようにならなくてもいい」と言われた。
私は両親の考え方が好きだし尊敬している。
家を出たとはいえ月に1度か2度くらいは会えていた大学生の頃、それに気がつくことは出来なかった。日々の暮らしに精一杯で、お金のなさや自分で生活することがどれだけ大変なのかに意識が言って感謝で止まっていた。
今、自分の常識が通用しない中で、世界中の人達との競争に身を置くことになった中でかってないほどたくさんの人に会って自分を構成する芯である考え方、もしくは性格の部分で多くの物を与えられていたことを実感した。
それから、自分がどれだけ子供かという事も。
母は今の私の時にはもう結婚しているし、それから二年後には私を妊娠している。
年が近くなっていくにつれて、自分がどれだけ人間として成長出来ていないかを実感している。
両親が人として素晴らしいのは、金銭的な余裕から来るものかもしれないしそれまでの娘から見てもだいぶ苦労しだと思うような大変な人生からかもしれない。
本当に昔の人が言うことは正しくて、「苦労は買ってでもしろ」は割と正しいんじゃないかなと思う。今でもなお甘やかされているとは思う。
親が行かせてくれた大学のおかげで考え方とかニュースの見方とかを学べたし、今本当の意味で1人で生きる中でどんな風に生きるのかでそこまで困っていないと思う。
今まで常に「なんで?」「どうしてそう思うの?」と聞いてくれてありがとう。
本代ならいくらでも出すから、と沢山本を読むことができる環境に置いてくれてありがとう。
どんな突飛な話をしてもある程度返してくれてありがとう。
今全部役立ってるなと感じるし、もし自分が子供を持ったなら同じようにしてあげたい。
まあ、彼氏すら居ないけど………。