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或る頭お花畑のヅカオタの手記

2023年9月25日〜9月30日。
過去のXを振り返ってみても、ここまで心が乱高下した時期はないように思う。

まず、9月25日。
月組トップスター月城かなとさんと、トップ娘役海乃美月さんの退団発表。
過去noteのとおり、月城かなとさんと言えば私の命の恩人である。
「あの時助けてもらった鶴です」とまだお伝えしていないと慌てふためいた。

翌9月26日には雪組の退団者発表。
和希そらさんの名前に大いに動揺する。
まってくれ、ずんちゃんの同期とずんちゃんの親友(多分)が相次いで去っていく。
なんでだ、どうしてだ。
皆でワイワイ運動会したらいいじゃないか!
私は運動会とか大っ嫌いだけど!(運動できないので)

とはいえ人様の進退に口を挟めるはずもなく、迎えた9月29日。
宙組公演初日の華々しい開幕の報と、
忘れもしない紫の大羽根を背負う贔屓の笑顔の写真。
いろんな呪縛を跳ね除けて、その場に立ってくれたその事実が嬉しくて嬉しくて、どうにか弾丸帰国(2回目)ができないかとLCCの運賃を検索した。
結果、その運賃をグッズ等に費やす方がよほどためになると言う至極真っ当な事実にいきついて泣く泣く断念した。ぴえん。

そして翌日、なにやら不穏な情報が飛び交う。まさか?何?嘘でしょ?
幸せそうな観劇レポと、無慈悲な第一報が錯綜するX。
日本のテレビがすぐには見られないので情報源はこれしかない。誤報であってくれとの祈り虚しく、どうやら最悪の事態が起きてしまったらしいという事実に血の気が引いた。
その日は夜遅くまでネットニュースを読み漁ったが、真新しい情報は出なかった。

10月1日、宙組公演が中止となる。
脳裏に、箱を落としてぐしゃぐしゃになった彩り豊かな誕生日ケーキのイメージが浮かぶ。
なんで。昨日まで、あんなに。
そしてこの頃から、ネット上にさまざまな憶測が飛び交うようになった。
嬉々として(悪意ある見方をしています)「ほーら今までのことも全部本当ですよ!」と言わんばかりに書き連ねてくる週刊誌。
さらにそれを転載して「‥‥か!?」と語尾だけ濁すまとめサイト。
怖くて開けず、でも気になってみてしまう。
正直に言えば、はまって1年の暦浅いオタクなので名前を出されてもパッと顔が出てこなかった。
ただ若い女性が無惨な死を遂げたこと。
前日にメールを受け取ったというお母様の気持ちを思うととても胸が痛んだ。やりきれない。
そしてかつて自分もベランダから身を投げようと画策していたことを思いだして、「何かから逃げたかったのかな」と自分勝手に思いを馳せた。
花組公演も止まり、劇団員も動揺していることが伝わってきた。

その後はしばらく、信じられないという思いと、初日に戻りたいという願望、宙組生の皆は大丈夫だろうかという心配がぐるぐると巡り落ち着かなかった。

劇団が外部弁護士による聞き取り調査をすることを発表し、宙組公演は10月22日まで中止。
この頃はファンの中では、ジェンヌのメンタルを気遣う言葉が多かったように思う。ただ個人的にはショッキングな出来事のすぐ後にヒアリングが入ることの是非が気に掛かった。
心理的デブリーフィング(ショッキングな出来事があった直後にその旨を語らせ、感情の表出を図りPTSDを予防するとされる理論)は一時期流行ったが、最近はより悪化させる原因になりうるとしてデメリット面も強調されている。
どうか真相解明のために無理をさせないでほしいという気持ちがあった。
待つ身は辛く、その間も容赦なく続く週刊誌によるまるで見てきたかのような(けれど明らかに事実とは異なるところもある)内部情報の暴露。
トップと組長だけが自己満足のために公演継続を断行しようとしている、というような不快感をあおる記事もあった。
真偽は定かではないけれど、反論が出ないのでどんどん「事実」として知れわたっていく。

「火のないところに煙は立たない」という論調で
宝塚ジャンルのブログも軒並み劇団の、宙組の、トップや上級生の批判に走り、私がお気に入りにしていたブログやnoteのライターさんでも失望と共に更新をやめると宣言する人もいた。
寄る辺ない気持ちでの1週間は長かった。
唯一、「静かな怒りを秘めて待ちたい」と綴ってくれた方のnoteを読んで、暗闇の中に蝋燭の火が灯ったような心持ちだった。

当初から、私が感じていたのは「彼女が死を選んだ理由なんて、最早わからないだろう」という諦念に似たやるせなさだった。
私自身がかつて追い詰められてベランダから飛ぶことを唯一の脱出経路だと認識してしまったあの時の心境。
ハードワーク、体調不良、慢性的な睡眠不足、職場や私生活の周囲のサポートのなさ、「言われないと気づかない」と公言している夫に対しうまく助けを求められない不器用なくせに完璧主義な自分の性格、話し合いなんてできるはずもない自我大爆発中の子どもを相手にすることの苛立ちと母親として至らない自分への自己嫌悪、見通しのたたない日々への絶望感。
あの中のどれか一つを取り出して、「これのせいです!!」とは言えないと今でも思っている。
勿論、私は私で彼女は彼女。
「勝手に重ね合わせるな。そもそもお前は死んでないだろう。その程度の苦しさだったんだろう」「それってあなたの感想ですよね?」と言われれば「そのとおりです」と答えるより他ない。
もしかしたら何かに明確に打ちのめされ、その相手への、或いは助けてくれなかった周囲への意趣返しをこめての精一杯の抗議だったのかもしれない。
けれど彼女の言葉が遺らなかった以上、それは各々が思いを馳せ、感じ取るしかない。
私としては、彼女がこれ以上、世間の好奇心に晒されることなく、安らかに眠りにつけるよう祈るばかりだった。

しかしまぁ、世間はそうは思ってくれない。
人は分からないことを分からないままにはしておけない。
なんらかの落とし前が必要だ。
明確な原因、わかりやすい断罪、2度とこんなことが起きないための抜本的改革。
これまですみれ色のヴェールに包まれた「フェアリー」だったジェンヌたちが、次々と内情を暴かれ「過重労働と厳格な縦割り構造にあえぐ薄給の夢の世界の奴隷」に書き換えられていく。
ファンは彼女たちをエンタメ消費している、という批判、「どんな顔をしてみたらいいのかわからない」と宝塚を離れていく人もいた。
確かにそういう見方もできるし、彼女たちの笑顔の裏に血反吐を吐く犠牲があったと明らかにされてしまった今、それを直視できないという気持ちも一理あると思う。
とんでもなく雑な例えをすれば、「屠畜場の見学をした後においしく畜肉を食べられるか?」という話だろう。
この例えはまた別の物議を醸すのでこれ以上は深掘りしないが。

これまで享受していたものの裏側を見せられて、これまで通りにそれを礼讃できるのか。
それは果たして正しいのか。
罪悪感と嫌悪感を抱いてしまうのも無理ないことだと思う。
私もまたそれを自問し、どう言葉にしていいかわからず人様の意見にいいねするだけの日々だった。

ヒアリングにはまだ時間を要するとして、
宙組の宝塚大劇場の公演は全中止となった。
ある程度予想はしてたとはいえやはりショックだった。
その間も続く週刊誌報道。
バッシングの声は日に日に高まっていく。
彼女の死という動かしがたい事実があり、ご遺族の心情を慮れば、思慮深い人々は口をつぐむ。
結果的にはバッシングの声しか残らず、
暴走する正義感によりSNSやブログでは週刊誌に名前の上がった上級生の芸名・本名や写真を公開するというとんでもない名誉毀損・誹謗中傷が公然と行われることとなった。
名前の上がったトップや組長、上級生の退団を求める声、宙組そのものを解体しろという乱暴な意見が猛威を振るう。
さらに、予定されていたタカスペの中止による他組ファンの嘆きと苛立ちもあり、宙組は、そして宙組のファンは宝塚ファンの中からも糾弾されることとなった。針の筵だった。

11月になった。
こちらでも季節の変わり目を迎え、なんとなく少し気持ちが軽くなった。
月組の公演が続いてくれていることに感謝し、やはり宝塚の舞台が好きだなぁと再認識して、昔の作品を見てみることにした。
「神々の土地」「ホテル・スヴィッツラハウス」
2人のウエダ先生の作品は、それぞれ今の状況にシンクロするところがあった。
作品の余韻を味わい、贔屓のことも変わらず素敵だと思える自分に安堵して、これからも彼女たちが自分の意思で舞台に立つ限り応援しようと心を新たにした。
以降は別のnoteに書いたことと重複するので割愛する。

そして今、星組の別箱公演、花組本公演、月組本公演、花組コンサートおよび全国ツアーを経て雪組本公演が開幕したいま、私が望むのは宙組の幕が上がることだけだ。
このまま、彼女たちだけが忌避され、吊し上げられている状況を黙認したくはない。
ご遺族の気持ちは?と聞かれれば、その悲しみと怒りに心からエンパシーを感じるが、永遠に公演を止めることはできないと思うとお答えするだろう。
亡くなった彼女のことは今でも痛ましいと思っている、ただ、今もなお舞台のために努力している彼女たちのことも無碍にはできない。
主張が食い違うのならば、望む結果が得られるまで、それぞれ代理人を立てて、今ある客観的な証拠をもとに擦り合わせていくより他なく、外野の声や「べき論」で押し流されてはいけないと私個人は思っているし、その協議は公演をしながらでも続けられると思っている。

盲目的な頭お花畑のカルトファンの見苦しい戯言と言われるかもしれないが、ここに至るまでそれなりに葛藤した上での私なりの結論で、別にこれが他人に強要できるほど絶対的に正しいと思っているわけでもない。
ただ、これまでの気持ちの動きを言語化することで、私なりに整理したかった。

そして何より、こんなに苦しいのに、それでも思わずにいられないことで、私はすっかりヅカオタになってたんだなぁと実感してしまった。
何かを好きになるって怖い。


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