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『逃げるは恥だが役に立つ』が、余計につらいこともある。

さて、6年間生ぬるい感想しか抱けなかった私は、
1年前の宙組公演『High&Low/Cappriciosa!!』のラストほんの1分で見事ヅカオタ沼へと陥落したわけですが(それはまた別に機会に)、
当時、日本を離れるために諸々準備が必要で、
てんてこまいな状況への逃避の一環として夜な夜な過去の公演の動画配信を観ては、翌日師匠(Oさん)に感想の長文LINEを送りつけるというはた迷惑な日々を送っていました。
(今思い出しても、あの時の履修スピードは異常で師匠に「高3夏で引退してから受験勉強追い上げてくる運動部員のよう」といわしめたほど)

で、とある男役スター(というか桜木みなとさんだ)にはまった私は、
桜木さんと和希そらさんがMCを努めるトーク番組も履修するわけです。
(好きになったら人となりとお風呂の温度も知りたいと思うのがオタク心理である)
そこでは基本的に先輩を招いてトークするわけですが、真風さんゲストの回の時に「舞台化粧」の話になり、真風さんが懇意にしているヘアメイクアップアーティストを招いて下級生に化粧講座を開いた話を聞いて、割とシンプルに驚いたんですよね。
「えっ、2番手さんでも(当時まだまぁ様時代)ヘアメイクって自分でするんだ」と。

舞台芸術の世界に疎いので、なんとなく女優やモデルみたいにメイクさんがつくのではと思っていたんです。
下級生は無理としても、トップに近くなれば専属がつくのでは?と。
けれど、実際はメイクから髪型、鬘までジェンヌが役のイメージと自分の持ち味を加味して工夫していると知って、「奥深い世界だなぁ」と思いましたし、「そりゃ大変だわ」と思いました。
歌が歌える、ダンスが踊れる、お芝居が上手、それぞれどれかだけなら特化した人もいるでしょう。
それに加えて、「自分のことを客観的に見て、何が強みで何が弱みなのかを理解して、観客にアピールするにはどうしたらいいのか」を自分で究めていかないといけない。
正解やセオリーのない世界で、ひたすら自分に向き合わないといけない。
これは本当に苦しいと思います。

のべつまくなし「このままじゃダメだ」と自己否定してりゃいいってものでもないし(舞台に立つには自信とハッタリも必要だから)、
かといって開き直って「これが私!!」となったとしてそれでお客さんがついてくるのかもわからない。
そもそも音楽学校に受かっている時点で、ある程度の容姿と
ダンス・歌唱のスキルはあるわけで、そこに自信のある子たちが集まった
世界で競い合わないといけない。
「なんであの子が?」と思うことは1度や2度じゃないでしょう。
才能、人気、愛嬌という天性のものは、目には見えないけれど確かに存在する。同じ学校で学び、同じ時間レッスンを受けても、一度で身に着ける子と
10回やっても覚えきれない子もいる。
しんどければ、休めばいい。辛いなら、逃げればいい。
それは本当です。命をなげうってまでやるべきことなんてこの世にはない。
けれど、命を懸けてやり遂げないと手に入れられないものもある。
逃げてしまった自分を受け入れるのが、
(その時には)死ぬよりつらいと感じることだってあるかもしれない。
「いつまでやるの?どこまでやるの?いつまでやれるの?」
という自問自答を繰り返し、ある日ふっと
「ああ、これでいいのかな」と思えたタイミングで退団を決意する。
そうやってあの階段を袴姿で降りて、
笑顔で去っていった方が多いのかなと部外者ながら思いました。

今、宝塚の過重労働が問題視され、劇団側も音校生を含めた全体ヒアリングを実施して本格的な改革をしようと試みています。
やりがい搾取、自主稽古という名の不当労働、マネジメント不在の縦割り構造。
確かにどれも問題です。今の時代にここまで明るみになってしまった以上、
これまでどおりとはいかないでしょう。
ただ、じゃあ一般企業の理屈をそのまま当てはめればいいのか?という点については私は懐疑的です。
というか、劇団側ができることとして「お稽古場は夜9時消灯」
「持ち帰り仕事厳禁」「上級生からの指導は禁止」となったら、
しんどくなるのは下級生(しかも不器用な方)でしょう。
これまでは「下手だと上から叱られる」という一定の圧があったからやってきたことを自分で管理しろ、となれば、そしてその場所も機会も提供されなくなるとなれば、芸事の向上を目指すには自分で外部レッスンを探していくよりほかなくなります。
自分の欠点を指摘してくれる存在がなければ、どこをどう改善していいのかわからず、終わりのない自己否定に潰れてしまうか、結果の出ない現実に打ちのめされてしまうか。
外部レッスンだってその費用を捻出できる人に限られるので、結局ジェンヌ間の格差が開くだけなのでは、という懸念があります。
物事の巧拙には個人差があり、それを埋めるのは時間と努力という変数しかないのは、残酷ですが事実です。
そして人には「旬」があり、それがいつ来るかは本当に人それぞれです。
スピードスターもいれば遅咲きの人もいる。
時間のかかるタイプには、とても不利な状況になるだろうなと思います。

「じゃあこのまま年若い娘さんたちが過酷な状況でひどい目に合っていてもいいっていうんですか!?」と声高に問われれば、
「いえ、そんなことは思っていません」と答えるよりほかありません。
変えるべきは変える、残すべきは残す。
それは対外的に「こう変えます!!」というアピールのために抜本的に変えるというものではないのでは?と思うのです。
よかったところも、きっとある。
変えなくてはいけないことも、当然ある。
今回の痛ましい事件を、苦い後悔を、劇団も、ジェンヌも、
私たち観客も忘れないようにしながら、
彼女たちが作り出す最高の舞台を守り続けていく。
そういう心持ちが、大事なんじゃないのかなと思っています。

その意味でも、私は宙組の幕が開くことを願っています。
前にも言った通り、個人の意思を気軽に発信できない彼女たちができる
弁明は、舞台に上がることだけだと思っているからです。
これだけの逆風吹き荒れる中、舞台に立つのはとても勇気のいること。
それでも彼女たちが自分の意思でそこに立つなら、
私は心からの拍手を贈りたい。
あと1週間、私は毎日祈るでしょう。
まずは明日、雪組公演の幕が無事上がりますように。

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