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43 ニューデリーの悲喜劇 (旅リハ) ① カーンさん

 じつはバックパッカーになる前に一度予行演習をした。自分なんかがリュックひとつで旅できるのかどうか、不安だったから。
 それで、1995年(ずいぶん昔だ)3月、退職前の有休消化を "デリー・フリーツアー8日間 " に充てた。航空券に中級ホテルが付いた格安チケット、寝場所が確保されていれば大丈夫であろう、と。

 でも何故インドを選んだのか、覚えていない。ぼんやりと憧れてはいたし、なにか、こう、素敵な混沌のイメージはあったのだけど。
 で、インドネシアや中国雲南省に具体的な目的を持っていたにもかかわらず、なんでか知らんけどデリーへ、バックパックはまだ持ってなかったので古いボストンバッグを提げて渡印したのだった。エアインディア、関空発香港経由デリー行き。

 機内で隣り合わせた男子大学生は初インド、初一人旅とのことで「安宿街を当たってみますけど」と心細げだったのだが、入国審査のごちゃごちゃではぐれてしまった。
 わたしの格安ツアーは送迎付きなので、彼の無事を祈りつつ深夜のデリーを車で移動する。日本語ガイドが「あした、どこ かんこ しますか」と尋ねるので、「観光しません」と答えたらガイドは絶句し、ものすごく悲しそうな顔で「そですか でも もし かんこ するなら でんわしてください」と現地ツアー会社のリーフレットを渡された。
 到着したのは思っていたより立派な建物、ホテル・カニシカ、わたしの部屋は14階だった。ひゅーー。

【2日目】
 朝カーテンを開けると、さすが14階という眺め、緑あふれる大都会が広がっていたのだけど、どちらかというと高い所は怖いので嬉しくない。で、さっそく地上に降りる。
 ホテルはコンノート・プレイスの少し南にあり、歩いて中心地まで行ける、と思ったのだが、門を出るや否やオートリキシャに囲まれ、「どこどこに行くなら俺のリキシャに乗れ」「ツーリスインフォメーション行くで」「コンノートやろ」などなどものすごい勢いで迫ってくるので、おおっ これがインドか、と身構える。

 無視して歩くうちに1台、また1台と諦めて去って行ったが、コンノートに着くまで「ジャパニーズエンバシー? トラベルエージェント? レストラン? スーベニール? ステーション? どこどこ? なになに? ・・・・」ずーーーーーーっと話しかけながらついてくる1台があり、疲れた。
 そいつが消えると「ジュエリー、ミルダケ、チープジュエリー」としつこい男につきまとわれる。なんとか振り切ったものの、朝からぐったり。
 道端のバナナ売りから一房買い、飲み物露店で紙パックのジュースとコーラを買ってホテルに戻ったらまだ11時だった。

 ひとりでゆっくり街歩き、は出来そうになく、そうだ、Pツアー。昨夜渡されたリーフレットの番号に電話して(電話が備わった部屋である)、" 日本語ガイド付き デリー市内 半日観光  40ドル" を申し込むと、「きょう ごご2時 だいじょぶです。おかね は おわるのとき ガイド に はらてください」とのことで、午後2時、迎えの車が来た。

 昨夜の送迎とは別の、ドライバーは愛想のいい赤毛のお爺さん、ガイドは若くてしゅっと背の高い青年カーンさんだった。カーンさんの詳しい解説付きでデリーの主要観光地を見て回る。
 二人だと間が持たず、個人的な話にも流れたりしてそれなりに楽しかった。わたしはその頃、子供向けの本を書いていて、それでは食べていけないことをわかっていたが、カーンさんに「インドの本を書いて有名になりますよ」と励まされたりもした。

 ホテルに戻るとカーンさんは「じつは私はこれからボンベイ(当時はまだムンバイじゃなかった)の家に帰ります。グミコさん、次はボンベイに行ってください。デリーより良い所ですから」と笑った。お礼を言い、ドライバーとも握手してお別れ。ありがとう。

 ところが、部屋に帰って気がついた。40ドル、払ってない!
 慌ててPツアーに電話すると、ノープロブレム、ホテルへ取りに行く、時間は改めて電話するから「まててくださいね」 とのことだった。

 しばらくして、電話が鳴った。カーンさんだった。代金のことを謝ると、
「あ、そうですね。私も忘れました」
 ん? なんか、話が噛み合わない。
「私は今ニューデリー駅にいますよ」6時発のボンベイ行きに乗ると言う。代金の件を話すと、
「そうですか。それじゃ、会社の人が来たら、名刺を見てね。Pツアーの名刺を見て、払ってください。デリーはダマシノヒト多いですから、気をつけて」
 うるうる。
 カーンさんは帰郷前にわざわざ電話をくれ、しかもダマシノヒトwarningもくれたのだった。

 午前中はインドに来たことを後悔したけれど、カーンさんのおかげで地獄の池に蓮の花がひらいた。って、なんてくだらん比喩なんだ。それにしても、ああ、長い、長い一日だった。

 けっきょく滞在中にP社から電話はかかってこず、わたしはツアー代金未払いである。

②につづく

 


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