見出し画像

37 中高年が行く南インド57泊59日(13) (コヴァーラムふたたび)

 彼はオートリキシャマンの制服を着ていたがリキシャマンぽくなく、なんとなく学校の先生みたいだった。
「すぐそこだから、一緒に来て見てみて。見るだけでいいから(意訳)」
 そして、道端にリキシャを乗り捨てるとわたしたちを路地へ促し、小さな門から自宅と思しき敷地内に入った。2階建てのゲストハウス、奥に母屋、バナナの木や花の咲いた木々に囲まれた庭。静謐。な、なんだ、ここは。

 案内されたのは1階の、3部屋のうちの一室で、シンプルなツインルームだった。廊下に共用の冷蔵庫もある。
 リキシャマン、というか宿の主人(あるじ)は「いいでしょう? 600ルピーでどうかな?」と切羽詰まった感じでアピールしてくる。いいと思う。マリーさんも気に入ったようだ。

 ご縁、というのはまったくもって不思議なもので、こうして旅の残りの10余日を名の無い宿に委ねることになった。なぜ看板を出さないのか尋ねると、素行の悪いインド人客や欧米人のジャンキーにうんざりしたので表立った営業はせず、行儀の良さそうな外国人だけを自ら選んで泊めることにしたとのことだった。
 が、客を選ぶのは難しいし高い料金も取れない。でも子供の学費が必要だ。で、仕方なくオートリキシャの副業も始めたが、そっちはあんまりやりたくないのだと笑うあるじ。行儀の良さそうな外国人と見立ててもらえて光栄である。

 わたしたちの他には、ヨガ・コースに通っている欧米人とアーユルヴェーダの勉強に来た台湾人の女の子が滞在していた。あまりに聖域めいた宿なので恐れ多い気がしたが、共用冷蔵庫を開けるとペプシや飲みかけのココナッツジュース、食べかけのアイスやヨーグルトなど俗世界が突っ込んであって安心した。

 それにしても。
 帰国日をはっきり覚えていないので航空券を確認したら、3月9日。あと12日ではないか。マリーさんが馴染めなかったらいつでも帰れるようにとオープンチケットにしておいたけど、その必要はなく持ち日数を丸々使うことに。感慨深い。

 ふたたびのコヴァーラム・ビーチはとてつもなく楽しかった。
 知った顔の人たちが「お」という表情で迎えてくれる。自転車チャイ屋の兄ちゃんが「お」と手をあげ、海鮮料理屋の客引きが「お」と頷き、太鼓売りが「お」って顔で太鼓をぽこんとひと叩きした。
 レストランLEOでは「モア、スパイシーね」、カフェpuppiesでは「2カプチーノだね」と覚えていてくれたし、常連たちーーネパール帽の英国人(相変わらず上半身裸)も教授もヨガ講師も「お」と目で合図をくれた。ドイツ婦人には仏頂面で無視されたけど。っていうか、みんなまだここにおったんかいっ

 布売り青年も仕事していた。「あれっ、帰ってきたの?」
「Yeah!布見せて」
「ほんとにショッピング?」
「そやで。来月買うって言うたやん」
「おお プロミス守るいい人だね」
 グッド・レディと煽てるわりにはあんまりマケてくれなかった。まあいいけど。4枚購入。

 先月ここでは短歌の連作30首を作るというミッションがあったので、LEOやpuppiesにこもって苦しんでいることも多かったのだけど、今は自由。
 トリヴァンドラムに出て映画を見たり、動物園や博物館、パレスも見学した。
 合間に SPENSER'S や BIG BAZARで買い物(は必要最低限だけでほとんどウィンドウショッピング)もした。

 ビーチではデッキチェアを借りて肌を焼いた。
 昔みたいに真っ黒になるのは自粛するつもりだったのだけど、こんがりいい色の欧米人を見ていたら、むらむら日焼け根性が甦ってきたのである。
 でも、水着、持ってない。土産物屋にぶら下がっているのは欧米人用ビキニばかりで、全身貧相なわたしには無理。なので、短パンとタンクトップで寝転がっていた。その下は、ユニクロの黒いブラとボクサー型パンティ・・・ん? 
 それでええんちゃうん。

 念のためマリーさんに「下着ってわかる?」と聞いたら、ろくに見もせず「わからん」と適当に答える。
 そんなわけでわたしは(ビキニ風)ブラとパンツで全身焼きに挑んだ。別に誰も見てないし。いやじつに気持ち良い。
 でも、じりじり焼いていると水に入りたくなるんだな。目の前は海。そこに浸からずしてどこに浸かる。
 ユニクロ下着で波間へゴー。
 インド人も外国人もみんなで波に乗って、わーい。
 たのしーい 
 ずっと遊んでいたーーい
 コヴァーラムに棲みたーーーーい

(最終回)につづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?