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36 中高年が行く南インド57泊59日(12) (エルナクラム→トリヴァンドラム)

 ここは安宿ではある。が、曲がりなりにも客を泊めておるのだろう、ゲストハウスよ。
 用があったらこれでと言われていた電話で、ノーウォーター、すぐ来てすぐ、すぐすぐすぐと呼び出すと、チェックイン時のバイトみたいな奴がやってきた。で、裏口の外でごちょごちょと何か触り、水は出た。
「大元のコックを開けておいたから大丈夫」とか言う。なんで今までコック閉まってたんだよ。

 もうわたしは不信感の権化。停電には寛容だが水のトラブルは我慢できない。宿を替えようよ。でも、マリーさんはめんどくさがる。
「明日カタカリ観たらもうコヴァーラムに帰ればええやん、ここに長居せんでも」
 んんーーそれはそうかもしれんけど、でもこの島好きやし、マッタンチェリー地区も見てみたいし。
「ほんならあさって」
 
 大好きだ!と興奮したフォートコーチンは、けっきょく3泊4日で去ることになった。水の出ない宿のせいだ。3泊4日で4回バイトを呼んだ。
 もう宿を閉めるつもりだったのかもしれない。2階に白人の女の子がいるだけで他に客はなさそうだったし。
 マハバリプラムのラクシュミー・コテージはパソコン使い放題だったから宿事情も調べられたのに、家族や友達にメールばかりしていた。古びた旅人(わたし)は次の目的地についてネットで検索、という習慣がないから。

 2日目、本土へ渡って散歩がてら(意外と遠かったけど)エルナクラムのバススタンドを探し、トリヴァンドラム行きのバスが毎日30分に1本にあることを確認。午後フォートコーチンに戻り、夜はカタカリ・ダンスを観て、シタールとタブラの演奏を聴いた。
 3日目は島のマッタンチェリー地区を訪ね、ダッチパレスやシナゴーク、活気ある倉庫街を見物。鄙びたカフェの濃いコーヒーで休憩し、庭の大きな山羊を写真に撮ったところでカメラが力尽きた。

 理由は 以下、① (関空→チャンギ空港→トリヴァンドラム)で書いたとおり。

しかし。90年代と違って困るのがカメラであった。もうフィルム式コンパクトカメラはアンティーク。スマートフォンはまだ持っていない。母のデジタルカメラを借りて行くことにしたのだが、バッテリーがたぶん2ヶ月もたない。充電器と変圧器は重くて嵩張る。
 しょうがない。バッテリーが切れたら写真撮影はそこまでということで。

 そんなんだから、美しいフォートコーチンはわたしの脳内および心の中にだけ残って在り、それはそれでいいと思っている。
 
 観光らしい観光を終えると満腹感みっしりで、確かにもうここには長居しなくていいような、コヴァーラムに帰りたい気持ちになっていた。

 4日目、出発の朝も水は出なかった。生乾きの洗濯物をビニール袋に突っ込んで宿を出る。ジェッティーからフェリーで本土に渡り、バススタンドまでオートリキシャに乗る。
 ほどなくトリヴァンドラム行きバスは現れた。エアコンバスだ。ラッキー。
 乗り口脇の席をゲットする。前が手すりだから広いんだ。ラッキー。

 バスは満員にならずとも9時半きっかりに発車した。エアコン吹き出し口からの風で寒いぐらいだ。あ、洗濯物乾かそ。ビニール袋に入れてきたシャツやら何やらを広げて手すりに干す。日光も冷風も有効利用するで。
 いやあコンフォタブル、コンフォタブル。帰るよ、トリヴァンドラム。待っててね、コヴァーラム。

 が、大した距離ではないと踏んでいたのに、けっこうな道のりであった。途中、何箇所も道路の拡張工事に遭遇し、そのたびに渋滞の列にはまる。のろのろ。とろとろ。
 けっきょく7時間半。ようやくトリヴァンドラムのバススタンドに到着した。
 近距離バス乗り場11番から、コヴァーラム行きに乗る。終点にはWILSONの親爺(宿オーナー。よければ①をご参照ください)が獲物を待ち構えていそうなので、ひとつ手前で降りた。裏道で静かな宿を見つけたい。

 ビーチに向かう坂道を下っていると、背後からオートリキシャがするする近づいてきて、声をかけられた。「部屋探してる? うちに来ない? 小さいゲストハウスなんだけど、君たちみたいなゲストに泊まってほしいなあ(意訳)」

 え? どういうこと?

(13 )につづく

マラヤラム語も小さな一歩から。



 

 

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