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17.あの日、頂上でかけてもらった言葉は、私のトレッキングポールになりました

毎度のことながら、オリンピックの中継についつい見入っていました。

10年選手の我が家のテレビは、だいぶんくたびれてますが、青く高いパリの空の色も競技の様子も、十分に美しく映して見せてくれました。もうすぐ始まるパラリンピックを見るのも楽しみです。

そういえば小さい頃は、スポーツ中継を見た後、興奮冷めやらぬまま自分もあのアスリートのように走ったり跳んだり回ったりできるような気分になって、家の階段の上の方からジャンプしたりしてたなぁ。
きっとこの夏以降、またたくさんの子どもたちが(大人も♪)いろいろなスポーツを始めることになるのでしょうね。


観るのは大好きなのに、実のところ私は学生時代から今に至るまで、何かしらのスポーツを選んで取り組んだという経験がありません。どれほど興味を引かれても、苦手意識が先にたって、それを自分がやってみようという気にならなかったのです。

学校の体育も大の苦手でした。
たとえば陸上の持久走。
通っていた小、中学校にはマラソン大会なるものがあり、全校生徒が学年に応じた長距離を走るのが毎年恒例だったのですが、そのシーズンになると体育の授業でも練習が始まりました。
私は毎回、ほんの数百メートル走っただけで真っ赤になって息が上がり、休み休みやっとの思いでゴール。もちろん本番も完走どころか、完歩するのが精一杯です。

こういう時、体の苦しさもさることながら、あっぷあっぷしている姿を曝すことが苦痛でたまりませんでした。
個人競技はまだしも、バレーやバスケットといったチームプレーになると、もう完全にお手上げです。
こんな調子ですから、何をやっても楽しいと思わなくて、とにかく学校を卒業してしまえば、もう強制的に運動させられなくてすむんだから、それまで辛抱辛抱、とずっと自分に言い聞かせていました。


ところが現実は、そうそう甘くありません。
24歳で就職した私が一年目に配属された部署のボスは、その時すでに50代後半でしたが、とにかく声が大きくいつもエネルギッシュ、さあ行くぞ~、と先頭に立って動くタイプの男性。
スポーツとアウトドアが大好きで、休日明けにはよく、○○に出かけて△△をやってきた、というような話で盛り上がっていました。

周りの同期や先輩にも、陸上、球技、武道にフォークダンスと、学生時代にいろいろな経験のある人が多く、話題がそちらに行くと、私はひたすら息をひそめて気配を消すことに専念。
おまけに当時はまだ、職場の親睦スポーツ大会といった催しで、半強制的に参加者を集めることがよくありましたから、その度に何とか理由をつけてパスするのがひと苦労でした。


その年の秋のことです。
どういう流れでそうなったのか、ボスの提案で、部署のメンバーの有志が週末に山登りをすることになりました。
例によってどうやって断ろうかと思案していた私は、ボスから今までになく強い調子で参加を促され、しぶしぶ行くことにしました。 
けれども、行く先を聞いてびっくり。
近場のピクニック程度を想像していたのに、なんと目的の山は「烏ヶ山(からすがせん)」だというのです。

烏ヶ山は大山山系の中でも急峻で、1500メートル近くある中級者向けの山です。
うわぁ、無理無理無理~!!
でももう逃げられませんでした。
スニーカーじゃダメだと言われて、仕方なく緑色のごつい登山靴も買いました。

当日は、荷馬車に引かれて市場に行く気分で車で登山口まで連れて行かれ、大袈裟なようですが、本当に悲壮な覚悟で登り始めました。

持久力のなさは折り紙つきだし、ずっと運動する習慣のなかった私が本当に登れるんだろうか?
これでもし途中で動けなくなったりしたら、とんでもない迷惑をかけることになるかも……とにかく、それだけは避けたい!

烏ヶ山の登山道の距離は長くないですが、勾配がきつく、石の崩れそうな険しい箇所もあってとにかく一歩ずつ足を上げるだけで精一杯。
当然ながら登りでは他の人から大きく遅れて、周囲の景色を見る余裕も全くないまま、付き添ってくれた先輩と一緒に黙々と必死で歩きました。


ようやく頂上にたどり着くと、先に着いていたメンバーが拍手で迎えてくれました。
でも私は、その昔の持久走でゴールした時のように、達成感よりも情けなくて恥ずかしくて、お喋りする元気もなく、皆から少し離れて座り込んでいました。

するとそこに、そもそもの元凶である(と、その時は本当に恨めしく思っていました)ボスがやってきて、ポンと私の肩を叩き、
「登れたな」と声をかけました。
不意を突かれて、振り向いてもとっさに返事ができないでいた私に、日焼けした満面の笑顔で彼が続けて言ったのは、

「あんたを登らせてあげたかったんだよ。やったらできるんだから。」

こうして標準語で書くと多少スマートな印象になるので、なかなか上手く伝わらないと思います。
実際は地元の方言バリバリでしたから、普段だったらいかにもがさつで押しの強いオジサン、という感じにしか聞こえなかったでしょう。

でもその時のボスの言葉は、長く私の胸の中に凝り固まってトゲだらけになっていた感情をじわーっと溶かしてくれるような、温かくて優しい響きがあって、私は危うく涙が出そうになるのをこらえ、ペコリと頭を下げることしかできませんでした。


それだけ言ってボスは去ってゆき、まもなく私たちは下山の途につきました。
帰りは楽かと思いきや、疲れた足腰には険しい下り坂がとんでもなくキツくて、やっぱり最後尾でしたけれど、行きとは全く違うどこか弾むように爽快な気持ちで歩けたのは、登りきってホッとしたからだけではなかったと思います。


その後、私がその登山をきっかけにスポーツに目覚めたという話になれば良かったのですが、こちらも残念ながらそうはいきませんでした。
単なる持久力不足だけだと思っていたのが、次第に体の不調を感じるようになり、数年後に先天性の内臓疾患が見つかりました。
生活を制限することが必要になりましたが、子どもの頃から思うように動けなかった原因がようやくわかって、どこか安心する部分があったのも事実です。

そして意外にも、病気を深刻に考えて先行きを思い煩うことは、ほとんどありませんでした。
むしろ、カラダとのつきあい方がわかり、ここまではOKと判断がつくので、前より積極的に動くようになったと思います。

とはいえ、結婚、出産、再就職といった、これはチャレンジになるなーという局面ではやっぱり迷いました。
そんな時に、とにかく一回やってみようという道を選べた理由のひとつは、いつも心のどこかにあのボスの声と笑顔があったから。
だから、あの時登らせてもらったことに、感謝しています。


そして私は今、これが人生の烏ヶ山かも?と思えるある目標を、遠目に見ています。

たぶん、あれを登ることになるんだろうけど、いやぁ、これはきついな……

確かに年齢を重ねて、気力体力はさらに落ちました。
でも、いくらかは経験値が上がってる。
装備も良くなってる。
何より今の私は、登りたいと心から望んでいる。

これはもう登るしかありませんよね。

目下そのための準備とトレーニングを少しずつ進めつつ、仲間も見つけたいので周囲の何人かに打ち明けたりして、外堀からぼちぼちと埋めているような状況です。

自分のペースで大丈夫
とにかく前に一歩ずつ

その経過を遠からずnoteでお伝えできますよう。
そしていつか、今は天国にいるボスと再会して、感謝の言葉と一緒に報告できればと思います😊



お読みいただき、ありがとうございました🐪






















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