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18.“確定”したら、私のカタチが見えてきました

私が一念発起してパソコン教室に通い始めたのは、再就職を考えるようになった40代の半ばです。

当初、WordとExcelの基礎の基礎だけ教わったら(パソコンと言えばこの二つとインターネットしかないと思っていて)、さっさとやめて、あとは仕事を見つけてから自力で覚えていけばいいや、と考えていました。

ところが私の入ったのは、とにかく“ゆっくりやさしく"がモットー、生徒の大半はどうやら趣味の習い事として通っているらしい中高年という、いたってのどかな雰囲気の教室だったのです。

入ってすぐに、ん?なんか違う…とは感じたのですが、○もん式みたいなゆるい個別指導が気楽で通いやすかったこともあり、結局しばらく続けて、いささか想定外の時間とお金を投資することになりました。

でも、その後、教室をやめてかなりたってから就職試験を受けて、面接担当者に「パソコンの基本操作は本当に大丈夫なんですよね…?」と胡散臭そうにたずねられた時、内心腹立つな~と思いながらも、にっこり笑って「はい」と答えることができました。
教室で文書と表作りに少し慣れた頃、ちょっと欲張って習ったスライド作成や動画編集も今の仕事で役立ってくれていて、結果的にはのんびりやったのが正解だったようです。


そんなわけで、パソコンをぼちぼち使うようになってから十数年。
最近では、アナログ専門で暮らしていた頃と比べると、何につけても考え方・取り組み方が変わってきたと感じます。
それはまるで、頭の中にどーんとひとつ、デスクトップ画面が据えられたような感覚、と言ったらいいのでしょうか。

以前は、考える内容も意図する行動も、大切なはずの記憶も、曖昧でいつのまにかうやむやになってしまいがちでした。
これは、いろいろあって、10代の頃から長く精神的に安定していなかったせいもあるのだと思います。
傍目には問題なさそうに見せながら、内から潰れないようにするために、私が知らず知らず身につけた処世術が、しんどいこと、不安なことはなるべく早く意識から削除してしまうことでした。

でも、消そうと思ってぱっと消せるわけではないので、DELETEキーを押す代わりの何らかの操作が必要です。
おそらくそれが、どうしてもやめられなかった負の行動(例えば過食)だったんだ……と思い至るようになりました。

よほど強い感情を伴う場合は別ですが、今現在あまり記憶が残っていないところを見ると、自分や家族のライフイベントですら、一時はさくさく消していたようです。
でもまあ、日常たいていのことは、その時その場の成り行きにまかせて短いスパンで処理すればすむので、何とかなっていました。


ところが、実生活でパソコンに触れるようになって、いつしか自分の中のデスクトップ画面を意識し始めると、そんな状況が徐々に変わってきたようなのです。

すぐに処理のできない出来事や感情も、とりあえずざっくり入力して、あれば画像も添付して、このデスクトップにひとまず貼り付けておく、みたいなイメージ。
そうすると、しばらくたっても関連ワードや画像が浮かび、すぐに消えていた記憶が前より留まるようになってきました。
何よりも、自分を痛めつけるようなやり方でデリートをかけることが減ったのは有難いです。


さらにびっくりしたのは、とうに消えたと思っていた記憶が、奥の方には意外に残っているとわかったこと。
これもイメージで言えば、知らないうちに、頭の中の画面上に謎のアイコンがいくつも表示されていて、試しにそのひとつをクリックすると、忘れていた古い記憶がいきなり大画面で出てくる、みたいな感じでした。
いやはや、こんな記憶のファイルが、脳内にどれだけあるんだろう……?
たぶん私がnoteを始めた動機のひとつには、この無秩序に放置したまま蓋をしてきた記憶をなんとかしたい、ということもありました。


こうして今、まずはデータが重そうなものから少しずつ手をつけて、記事にしています。
当然ながら一部は完全に消えてしまっていたり、時間や場所を伏せておきたいこともあったりで、記事はどうしても“事実”そのままにはなりません。
また、あまりにネガティブなものだと、やはり外に出すのをためらってしまいます。

ですが、記憶を再編集して可能な限り客観的に、盛らず、誤魔化さずを心がけながら書いていくと、リアルタイムではわからなかったことが理解できたり、今につながる意味が見えてきたりするという、思わぬ効用もありました。

そして、その記憶が確定されて、間違いなく私の一部分を形作るパーツになっていると感じられる度に、ある種の不思議な安心感が生まれています。

もしそれが思い出すのがつらい記憶でも、パソコン教室で教わったように、フォントを変えたり、縮小したり、フィルターをかけたり、いろいろ加工して、消さずに置いておけるよう工夫すればなんとか大丈夫。


この先はたぶん、何もしなくても忘れることの方が増えていくでしょう😅
消去するなんて、もったいない!
今の私のカタチの元になっているものを、できるだけ大切にして、愛おしんでいきたい。
そう思えるようになったのが、パソコン教室に通った一番の成果かもしれません😊


読んでいただき、ありがとうございました🐪


























 













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