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歯を食いしばって繰り返し生きている〜父とその旦那〜













いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです


心の病みで真っ暗だった50年



そこから一転


本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た

そんな私の過去のストーリー
を綴ったブログです












私は離婚を2度している。
今は高一の次男と二人暮らしている。








私の父はお米屋の長男だった。だけど弟が病気になり、お勤めに行けない…。だから後継は弟になった。




嫁に来た母と、幼いわたし達兄妹を連れて借家に住んだ。母のスナックで生計をたてて暮らしていた。





私の父はヒモだった。





地元で当時、一番という高校も出て、部活でもキャプテンだった事をいつも誇らしげに話す…。





でも働いてない。






そんな父が、ラーメン屋を起業したことがある。母のスナックに飲みに来た【パチンコ屋の社長】に敷地内にラーメン屋を出してみないか?って話しにまんまと乗せられて。





もちろん、あっという間に終わった…。





父は知り合いがくると、今日は会計いいよ!とか、大サービスするからとんと儲けにならないと母が怒っていた。






迷惑だったのは母。大反対だったのに、父から強行突破され朝からラーメン屋の手伝い。夜はスナックで働いていた。






どちらも体調不良、経営不振で店は数ヶ月で終わった。







私が高校生の頃は…




『新聞のチラシ』に入っていた【匂わないにんにくの漬け物?】を仕入れて、自分の子供が、子供の友達に売って、儲けたみたいな話が載っていた。





父は間に受けて、『俺はこれをやるから、お前、友達多いから売ってこい』って









断ったら、いつまでも、いつまでも、『お前があの時協力してくれれば金が入ったのに』って私の【せい】






父は地道に働くことが出来ない人だった。そのくせ、土木作業員の人達をとても見下すのだった。







いつもなんだか、一攫千金を目指している感じ。






だけど晩年、何かとお金を都合してくれた祖母が亡くなり、母の店ももう限界…。どうにもならなくなった。






母の姉、私のおばちゃんの会社で作業員として雇ってもらえた。それでも長くは続かなかった。






私のおばちゃんの離婚した人も甲斐性なしだった。しかもDVまで…。こちらは長女だったから見合いで婿とりだった。





そのおばちゃんは子供を連れて、離婚して、それからは会社の社長にもなった。





そのおばちゃんの娘の旦那が、おばちゃんの会社の後継になったけれど…。その旦那も、身一つでやってきて全てを自分の物にしていった。







私の離婚した人もそうだった。身一つでやってきて、私の全ての財産を自分の物にしていった。








私の祖父は戦死している。母も叔母も小さい頃だから記憶があまりないらしい。





母や叔母からみた、祖父は結核のために離婚しているという。





女、ひとりで頑張って生きてきた家系だった。母だって離婚はしなかったけれど、父はもはや子供の1人だったのかもしれない。






父が産まれたのは、養子縁組の祖父母から。その姑さんが子供が出来ない為だったときく。




祖母は、父が赤ちゃんの頃から、その姑に抱くことさえ禁じられて、甘やかすことも許されなかったと聞いた。





父は父で、母親に甘えることもなく大人になってしまった。さらには、歳の離れた弟が産まれた頃は、姑が亡くなったから、祖父母は弟を赤ちゃんの頃から、かわいがった。





満たされなかった母からの愛情…。それを妻の母に求めたのかもしれないけれど。






親の生きる姿を見て育つ。






私は、母の生き方をそのまま受け継いでいた。





本心では大っ嫌いな甲斐性なしの旦那に尽くして、それでいて離れることもできない。尽くしていることが生きてる価値みたいに。





もちろん、母は気づいていない。とても愛し合っていたと思い込んでいる。





父も母もいつでも、どこに行くのでもいつも一緒だった。夕飯の買い物さえも。





私もそうだった。いつでも元旦那がついてくる。




【おしどり夫婦】【片時も離れられない夫婦】【ラブラブ夫婦】…




いつも言われていた。



どちらも本心は大っ嫌いなのに、いつも一緒にいる。




私は離婚した。【結婚したら幸せ】【子供を産むことが女の幸せ】そうゆうものだと思い込んでいた。



無意識で大っ嫌いな父と同じ様な男と結婚して、歯を食い縛りながら、幼少期と同じように生きていた。繰り返し生きている!





私の幼少期は、躾の仮面、正義の仮面、道徳の仮面をつけた父親に攻撃されていた。その父を憎むことも出来ず、抑圧した。そして、認めたくないあまり【私の父はいい人です】聞かれてもいないのに、言って回っていた。




そして、その旦那も躾の仮面、正義の仮面、道徳の仮面をつけて攻撃してくる。父と同じ甲斐性もなくて、頼りないその旦那の事を大っ嫌いで憎いのに、抑圧した。認めれず【私の旦那はいい人です】って聞かれてもいないのに行って歩いた。





さらに私の生き方に問題があった。何かに【尽くす】という生き方。【尽くす】対象がないと生きて行けないような生き方だった。そして【尽くされた方】がダメになってしまうような【尽くし方】だった。だから自ら甲斐性なしを選んでいた。尽くしがいがあるから。



幼い時に出来上がった【無価値観】



私には価値がない…。


そこからそんな生き方になって行った。



だから私には全てぶっ壊す必要があった。



【破壊しないと再生できないから】





私の母の祖父。結核だった。






〜引用始まり〜
病気や問題 :  結核

考えられる原因・内的要素 : 利己的なために衰弱する。所有欲。残酷な企み。復讐。

新しい思考パターン : 自分を慈しみ受け入れれば、楽しく平和に暮らせる。
〜引用終わり〜
ライフヒーリング ルイーズ・L・ヘイ


この本が全てではもちろんないけれど…。




利己的、所有欲、残酷な企み、復讐…。




なんだか私の一族に関わった男達って皆、こんなイメージ。





母親に愛さなかった、男達の復讐とさえ感じてしまう…。





昔の私や、母の様な生き方で、搾取して生きて行こうとする男。男だけではないけれど。







私の生き方を変えただけでも、きっと一族の負の連鎖は断ち切れたと思う。






お盆の事を考えていたら、なんだか父を思い出していた。父の事は嫌いだし、まだ憎い。…だけど父もかわいそうな人だった。きっといつも心の中は苦しかったのだろう。父だって【愛されないで生きてきた】




だけど、愛されてなかったって受け入れられなかったのだろう。自分が心理的に子供のまま大人になった事も気づかなかったのだと思う。




私も、50年も受け入れられなかったからよくわかる…。












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