見出し画像

たとえ気のふれたオバハンと思われようとも




いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです

心の病みで真っ暗だった50年


そこから一転


本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た


そんな私の過去のストーリー
を綴ったブログです




私は一年半前くらいから
アパートに暮らしている


その契約時には私には
車があった

が、訳あって手放した


でも、車があろうとなかろうと
駐車場代は払う契約

毎月きちんと払っている



そして、ある日


わたしの駐車スペースに
真っ赤な新車が!



え?
なんやに?これ?



その日はモンモンとしながらも
そのうちいなくなるだろう、、。


何時間後にいなくなりました


で、しばらくしたら

また!


停めやがってる!


さすがに
何だコイツ



ムカッ



そして、一泊



昔の私だったら、、


仕方ないとかさ、


たまにだし、、とかさ、


悪気がある訳じゃないし、、とかさ、、



もう、そうゆう


合理化?


やめるっ!



だって、私…

非常に不快!

ひとまず写真撮って
不動産屋の担当に相談!


ナンバー、車種、色を教えてと言われて
メールで写メを送り


今後この様な事があったら
どうしたらいい?の相談…。


アパート住民の方に
知り合いが来ても、車を
停めない様にお便りを
ポストインしますとの
返事!


ホッとした


が!


なんと 


地元の大きな花火大会で



わたしの駐車スペースに


車が堂々と
止まっていた!

今度は白の車!

私のアパートは花火会場のすぐ近く


私の駐車スペースは
一等地に相当する


花火大会を楽しむなんて


心境じゃぁない



わたしの駐車場あたりは
ゴザだの、イスだの



どこのどいつじゃ




その車の写真を撮った


そしたら



「やばくね?」

「あー大丈夫!大丈夫!」



どこからか聞こえる



なんで
駐車料金
払っている
私が不快で

勝手に停めた
ヤツ
楽しんでんの?

警察呼ぼうか?
レッカーしてもらいたい!
etc


花火大会ももう終わる、、



カッカして
部屋で羽織っていた
シャツを脱いで
タンクトップになった
その瞬間!



バンッ!
ってトランクをあける音!


どうする?私?


今日だけだし〜って
仕方ないよね〜って

また
合理化して
しまうのかい?


イヤっ
逃がすものかっ


とっさに
ベランダにでた!



「ちょっと!
なんで車停めてんのよ!」


タンクトップ姿の
立派な二の腕を引き連れて
その不届き者に
声をかけた


ギョッ
とする相手に

「ここあたしの駐車スペース!
なんであなた
停めてるの?」


申し訳ございません
と平謝りされた。

「どうして停めたんですかって
聞いているんです!」

「と、となりの部屋の人がここならいいって言われたんです」


本当に申し訳ございません
勘弁して下さい


と、逃げるかの様に去っていった



花火大会から

帰る人々の目なんてもう

本当に 

どうでもよかった。


たとえ
気のふれたオバハンだ
と思われようとも!



ちゃんと言えたから大満足

また
グンと自分軸が太くなった!

昔みたいに
言いたいことも言えないで


敵意や憎しみを
自分に溜めるなんて
本当にもう懲り懲り





私の幼少期は

寒くないだろ?
寒くても「うん」

楽しくないだろ?
楽しくても「うん」

お腹空いてないだろ。
空いてても「うん」

大丈夫だろう?
大丈夫じゃなくても「うん」


ずっとこんな感じだったのだから







〜引用始まり〜

心の中は丸く収まらない

よく「丸く収める」と言うことが言われる。
確かにそれに越したことはない。


しかし「丸く収める」ということが
問題を先送りするということに過ぎない場合が多い。


悔しいことがある。
しかし相手に向かって「悔しい」ということをハッキリと言えない。
気に入らないのに気に入らないという考えを表示できない。

我慢して事を丸く収める。

その場の事態は丸く収まったけれども、折れて解決した人の心の中は丸く収まってはいない。

むしろ折れた側の人の心の中の問題は大きくなっている。

つまり悔しいという感情は大きくなっている。

相手が失礼な事をした。悔しい。抗議をしたい。
屈辱を味わった。許せない。


しかしその場を丸くするために黙っていた。
自分が折れたことで事態は平穏無事に進んだ。
そしてそれは終わった。


しかしその人の心の中は丸く収まっていない。


うつ病になるような人はそのようなことの連続であったのではないか。自分が折れることで事を丸く収めることの連続であった。


だからうつ病になるような人の周りは
いつも事は丸く収まっている。


丸く収まっていないのは本人の心の中である。
心の中では怒りや憎しみがどんどんと積み上がっている。
周囲の人がその事に気がつかないだけのことである。


丸く収めたというのは表現はよいが、実はそのとき
に丸く収めた人は周囲の人を恐れていただけではないか。

「依存と恐れ」から抗議をしなかったのではないか。

「依存と恐れ」から相手の侮辱を受け入れたのではないか。

ことに自己蔑視している人は相手の侮辱を受け入れてしまう。

しかも侮辱を侮辱と感じないで受け入れる。


それが自己蔑視の心理の本質である。


自己蔑視している人は自分を安売りしてしまう。


しかも安売りしている事には気がついていない。


そこで周りにはタチの悪い人ばかりが集まる。
〜引用終わり〜
自立と依存の心理 加藤諦三




今となっては
誰ひとり、わたしの駐車スペースには
停めなくなった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?