見出し画像

男の定義〜しみチョコ製法・男は助けてくれる〜









いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです

心の病みで真っ暗だった50年


そこから一転


本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た


そんな私の過去のストーリー
を綴ったブログです









私は最近、私の叔父の知り合いのおじいちゃんから中古車を買った。そのおじいちゃんの工場が私の住んでいるアパートから【すぐそこ】にあった!



できれば30万くらいで、タバコの匂いしないのがあれば嬉しいんだけど、、ってお願いしたら、あっさりあった。おじいちゃんは隠居仕事だけど、もう辞めたいから30万でいいから、この車買ってと言ってくれた。相場では50万から60万らしい。




住民票だけあれば、あとすべての手続きするよーって言ってくれた。わたしは住民票だけ渡した。しばらくすると、用意出来たよーって連絡が来た。【すぐそこ】へ取りに行った。





最近、アパートでボーとしていたら、そのおじいちゃんから電話がきた。

【タイヤ交換するよー。鍵貸して】って。


そういえば、すっかり忘れてた!私のタイヤもおじいちゃんの工場で預かってもらっている。でも、給料日前でピンチ!だから今度にするって言った。


【金なんていつでもいいよ!鍵ちょうだい。ベランダから顔出して】って。そこで鍵を渡した。ついでに、CD入れたら出なくなっちゃって、、、って言ったらついでに直すよって。無料でいいよって!




結局、取り替えになった。さすがに有料だろうと、いくらか聞いたら要らんと言う(笑)タイヤ交換はそれは仕事したからもらうよって2500円支払った。その間の代車のガソリン半分以上使ったから、さすがに詰めてくるって言ったらそれも要らんという。




【タイヤ交換するために、タイヤを4本乗せて、ガソリンスタンド行って取り替えてもらって、また4本乗せて帰ってきて、倉庫にしまう】をしなくてすんだ!




代車だって行きたいとこに、バンバン行ったのにガソリンもいらないって!(返す前に入れるつもりだった)



私がしたことは部屋着のまま、ベランダから鍵を受け渡ししただけ。(2500円も払った)



でも、戻ってきた車のガソリンがもうなかったんだ!詰めに行かないと、、、って車乗ったら、ガソリンが増えてる!さらに、ラジオとCDしか聞けなかったのが、超最新式プレーヤーに取り替えられていた!




おじいちゃん〜!優しい〜!






私の昔の【男の定義】はすごいものだった!




もちろん【無意識】の!






男の人🟰助けてくれ【ない】守ってくれ【ない】頼り【ない】情け【ない】優しく【ない】弱いものには強く、強いものには弱い、、、etc




幼少期に無意識で取り入れたもの、、、




意識ではいつも、男の人🟰優しい人だった




だけど、【無意識ではそんな事になっている】のも気づかないで、意識では【男の人は守ってくれて〜、助けてくれて〜】とか(笑)




だからいつも助けてくれ【ない】、守ってくれ【ない】頼り【ない】優しく【ない】そんな男の人ばかり引き寄せてた!




そんな私に【しみチョコ製法】を教えてくれた人がいる。しみチョコってドップリ中までチョコが染み込んでいる。コーティングとか、表面だけじゃなくて。



【ない】しか知らないから、ひたすら毎日、男の人は助けてくれる、守ってくれる、頼れる、優しい、、、って自分自身にしみ込ませていく製法(笑)男の定義の書き換えをして染み込ませる!なんとまぁ素晴らしい成果が出て来た!じっくり地味にしみチョコしてたんだなぁって自分でもしみじみ思う。そして受け取れる自分も出来てきた!





でも、それより先に【自分を知って】生き方を変えないと、また同じ繰り返し。





私は、奴隷的に生きてきてしまった。
そして自分自身がズルい男を作っていたこと…。
それを理解した。



〜引用始まり〜
愛されなかった人は奴隷的になる

私はジョージ・ウェインバーグの本をよく訳す。
そのなかにネリーという子の話が出てくる「自己創造の原則』(三笠書房)という本がある。


ネリーは長女として生まれる。
ところが弟が生まれると親の注意が弟の方に移ってしまう。


彼女はかんしゃくをおこしたり弱になってみたりいろいろするが、
父親の愛情深い注目は獲得できない。


ところが「よくお手伝いをする良い子」になると父親に認めてもらうことがで
きた。


そこで彼女は従順なお手伝い、召使い、
役に立つ者としての自分を認めさせるしかないという信念をかたくしていく。


ところが彼女は若い男性に会って好きになると、
いつでもその男性に奉仕してあげることを探しだそうとする。


料理をつくってやる。部屋を片づけてやる。
レポートをタイブしてやる。シャツのボタンをつけてやる。


彼女がこのような奉仕によってしようとしていることは何であろうか。
それは自分のありがたみや価値を証明しようとしているのである。


彼女は最初の性体験も、
喜びを共有するためではなく
相手を喜ばせたいと思ってのことであった。


ウェインバーグは彼女の人生に二つの問題がおこりはじめたという。
一つは結婚の話が出だすと恐怖と絶望の入り混じった感情に彼女はおそわれ
る、というのである。


それは結婚を考えるほど親しくなると、
彼女の奥深いところから、この男は彼女ゆえに彼女を愛しているのではなく、
金を払わなくてすむ召使い、
売春婦として愛しているのだという確信が頭をもたげてくるからである。


第二の問題は、
彼女とかかわりあいをもつ男は同じタイプの男だったということである。


人を利用しようとするずるいタイプである。
もしそのような男ではなくても、
彼女自身がその男をそのような人間にしてしまうのである。


ウェインバーグは彼女の行動を奴隷的という。
ホルナイはabuse という言葉を使う。


abuse とは、悪用する、濫用する、酷使する、虐待する、つけ込む、というこ
とである。また女性を辱しめる時にも使う。


これらのタイプの人は、
心のなかで他人と暖かい心の交流をもちたいと望んでいるのである。
そう望んでいるから、利用されるままになってしまう。
しかし肝心の暖かい交流を得ることはできない。


ネリーは、父が臨終にさいして弟のほうばかり注意していたことに絶望する。
満たされない愛情欲求のためにその後の人生を悲劇にしてしまう人は多い。


ネリーの場合は願う父の注目が得られなかった、
ということだけであるが、
恩きせがましい親というのはもっとひどい歪みを子供にもたらすであろう。


おまえのことをしてやりたいからしてやった、
というのは恩きせがましさではない。


恩きせがましさというのは、
大変で嫌なことだけど苦労しておまえにこれこれのことをしてやった、
ということである。


ネリーの場合は、
自分の存在が相手に無価値であるという感じ方まである。


しかし恩きせがましさというのは、
自分は無価値であるばかりでなく、
相手に負担なのだと感じさせる。


従って好きな人であろうが嫌いな人であろうが、
誰に対しても奴隷的な心理的傾向を示してしまう。
〜引用終わり〜
愛されなかったときどう生きるか 加藤諦三


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?