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祖母と大相撲札幌場所の思い出

 貴方の好きな場所は?と尋ねられたら、今の私は何と答えよう。
 26歳の私はこう答えた。
「カラオケボックスと、あとは、やっぱり初場所かな」

 これは、結婚披露宴で、配布させていただいたパンフレットの中の、自作自演のQ &A。相手の第一印象は?とか、相手の良いところは?とか。その中に一問、好きな場所は?という質問を作ったのだ。

 私の好きな場所、それは初場所。

(ここ、笑うところですよ!)

 ちなみに好きな人は霧島関(初代)

 そう、私は、当時大相撲が大好きだったのだ!

 これは、ほぼ間違いなく100%隔世遺伝だと、強く確信している。父方の祖母は大相撲の大ファンだったから。

 当時祖母は、札幌市中島公園の目の前に住んでおり、その公園内で大相撲札幌巡業、つまり札幌場所が開催されていた。

 父が用意してくれたチケットを握りしめ、祖母を迎えに行く。少し足腰が悪いけれど、よっこらしょと頑張る祖母と観覧席へ。そして私たちは心から相撲を楽しむ。
 数回だけだったが、祖母と相撲を見に行くのは好きだった。

 相撲への想いは、祖母には格別なものがあったはず。
 私が生まれる前に亡くなった祖母の夫、つまり私の祖父は、力士だった。

 力士と言っても、いわゆる、草相撲とか素人相撲と言われるものだ。  
 相撲は元々が神事であり、祖父の時代、昭和の始め頃は、豊作を祈願して奉納相撲が行われていたようだ。神社の境内に土俵を作り、相撲を披露する。もちろん、真剣な相撲だったと思うが、今とは違って娯楽の少ない時代、力士も観客も大いに盛り上がったのは間違い無いだろう。

 祖父の上腕は一升瓶の太さほどあり、関脇とか大関とか、いや横綱?とにかく強かったそうだ。
 

 祖母が、桐の箪笥に大切にしまってあった祖父の化粧まわしを見せてくれたことがある。確か四股名を金や銀の錦糸の刺繍で施した見事な化粧まわし。とても大事そうに見えた。
 超カッコイイその化粧まわしは、祖母の宝物だったに違いない。

 祖母を迎えに行く前に、相撲会場の外で、なんと、稽古合間の霧島関に遭遇した!
 私は大ファン。
 隣にいた彼(今は夫)を見た霧島関が、「彼氏?」と聞くので「いいえ、兄です!」と即答した。握手してもらって、祖母に自慢したのを覚えている。
 それから暫く、陶酔状態に陥ったのは言うまでもない。

 その後の私の大相撲熱は、ひと場所終わるたびに、一人番付編成会議を開き、来場所の幕内の番付を予想。発表されると、一喜一憂しながら答え合わせをするのが楽しみ、というほどに成長してしまった。

 番付予想をするほどの熱は冷めたが、強く正しい横綱の出現を期待しつつ、大相撲期間中、リビングではテレビ中継が流れている。

 さあ、今年もまた、札幌巡業の暑い季節が、間もなくやって来る。

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