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3歳児、不登園試みるも失敗するの巻

 我が家からわずかに路地を入った先に、幼稚園がある。いつもの夏はプール遊びを楽しむ声が風に乗って聞こえて来たはずだが、今夏は聞こえて来なかった。あまりの酷暑で、それすら危険だったのかもしれない。
 最近、運動会の練習が始まったようだ。涼しくなって良かった。

 ところで、現在の幼稚園の主流は、3年保育だろうか。25年ほど前の我が家の子どもたちはそうだった。しかし、私が園児だった57年前は、3年保育はまだまだ少数派だった。


 みみこ3歳、4月からカトリック系の幼稚園に通い始めた。園長先生は背の高い、外国人の神父さん。いつも黒い立て襟の神父服を着ていて、歌を歌ったり、手遊びをしながら英語を教えてくれる。

 私のクラスは、4歳児のさくら組の中に、まるで瀬戸内海に浮かぶ小島のように存在していた。小さな丸テーブルに私を含めて5人の3歳児が着席。その名はつぼみ組。
 登園すると、1年先輩に囲まれての生活が待っている。まだ人間始めて3年の私にとって、1年も長く人間やってる子たちに、太刀打ち出来るはずがない。やりにくいったらありゃしない。

 当時は、よほど遠方からでない限り、幼稚園児も小学生のように、子どもだけで登園していた気がする。都会じゃそうはいかないだろうが、私の住む地域、少なくとも、我が家は幼稚園のすぐ近くに位置していたので、一人で登園するのは当たり前だった。

 ある朝、行ってきま〜すと家を出たものの、私はどうしても幼稚園に行きたくなかった。いや、実のところ、毎日行きたくないのだ。家で自由にやってる方が数倍楽しい、そんな子だった。つまり私は、

 隠れ登園拒否児。

 今朝だって、叶うならば家で遊んでいたかった。しかし欠席理由は見当たらない。熱は無い、お腹も痛くない、体はすこぶる元気。
 3歳児は頭をフル回転させて考えた。ここはなんとか、一芝居打たねばならぬ。たぶんまだ100センチにも満たない身長で、周囲を見渡し、見つけた!絶好の欠席理由。
 私の目の前、幼稚園至近の道の中央に、真っ黒い巨大な毛虫が這っているではないか!

 “あーこれは無理。幼稚園行けない。もう一歩も前に進めない。おウチ帰ろ”

 まわれ〜右!!

 してやったりの面持ちで、ピシッと踵を返し、家に帰ろうとしたその瞬間だった。
 道路工事のおじさんが、私の妙な動きを見ていたのだろう「お嬢ちゃん、どうしたの?」と声をかけられた。不意をつかれた正直者の私は、大きい毛虫がいて幼稚園に行けない、と言ってしまった。

 するとおじさんは「そーかそーか、よし!」と言うなりヒョイと私を持ち上げて、毛虫の向こう側へ着地させてくれちゃったのだ。
「ほら、もう大丈夫だ。はい、行ってらっしゃい」
 おじさんは手を振った。
 もちろん私も手を振った。


 私の目論みは、この上なくあっさりと儚く消えた。これじゃ、幼稚園行けちゃう‥。立ち尽くす私。

 3歳児、不登園を試みるも見事に失敗したのであった。


 月日は流れ、翌3月、つぼみ組修了式。みみこ、精勤賞(皆勤賞に果てしなく近い賞)を獲得する。

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