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犬が飼えなくて、私に現れた謎の才能

 私の子ども時代、父は転勤が多かった。最短で2年、長い時で4年ほどで転勤命令が下り、その都度家族で大移動、私が小学6年になるまで続いた。

 記憶もないほど幼い頃は、なんの不満もなかったが、小学生にもなると、それはちょっとした試練だった。理由はもちろん、友だちとの別れ。幼さゆえ、もう二度と会えない、そんな気がしてしまう。
 実際には、会おうと思えば会えることも頭では理解していた。でも、友だちのようで、友だちではなくなる。当時の私にとっては、毎日会えることが重要だったし、新しい友だちを作るのは、子どもながらになかなかしんどかったのだろう。

 しかし反面、新しい土地や人に対する順応力が、それなりに身についたのも、この転勤のお陰である、と付け加えておきたい。(申し訳なかったなぁと父が思うといけませんので。)

 とは言うものの、それ以外にも、転勤にはもう一つ残念な事柄があった。

 小学生の私は、犬が欲しい。犬の散歩をしている同級生なんかを見るにつけ、欲しくて欲しくて、両親にせがんだ。しかし、転勤があるからダメという。
 確かに父の転勤は、まぁ、突然やってくる。もちろん父本人は、打診されていたと思うが、それでも、決まれば直ぐに引越しだ。だから生き物、特に犬を飼うのは大変だと言われた。

 両親は新婚当時、1匹の犬を飼っていたそうだ。名前はラッキー。独身時代の父が飼い始めたらしく、父の行くところにサーッと走ってついてくる、可愛い“相棒”だったのだろう。しかし、若い父は事件記者だったため、ラッキーを置いたまま家を空けてしまうことがあった。

 その日、数日ぶりに家に戻った父は、ラッキーはどうしているかと心配しつつ玄関の戸を開けた。今にも倒れそうなラッキーがフラフラと出て来て全身で訴えている。

“お腹ぺっこぺこです”

 急いで牛乳をお皿に注ぐと、ラッキーは狂ったように舐めた。
 そんな思い出話を聞くにつけ、余計に飼いたくなる私だったが、願いは叶わなかった。

 ある時、東京出張から戻った父が、「はい、お土産。」と、私に大きな紙袋をくれた。中を覗くと、当時一世を風靡した、チャウチャウという犬の、茶色のクシャっとした顔が見える。結構なサイズのぬいぐるみで、本物っぽく、ちょっと頭が大きい。
 私が驚いていると、父は、
「飛行機でね、隣の席の男の子が気づいて、袋の中とお父さんの顔を、何回も見比べてた。じーっと見られちゃったよ。」
 と、照れ臭かったことを笑って話した。
 私は父が東京からわざわざ運んで来てくれた、その茶色いワンコを抱きしめて、とても嬉しかったことを覚えている。しかし、同時にこれで我慢してね、という意味だと悟ったのか、それ以降、犬が欲しいとは言わなかったような、そんな朧げな記憶もある。

 結局、私はこれまでに、一度も犬を飼ったことがない。その代役のように、数多のぬいぐるみと共に育ってきた。とにかく知らぬ間に彼らは集まっていた。
 旅行や外出に連れて行くので、古いアルバムに残る私の写真には、いつも一緒に収まっている。本当は、“本物の相棒”と共にやってみたかった事を、この子たちに置き換えたのだろう。少なくとも、彼らに囲まれて育まれた何かはあったと思う。(そう思いたい🧸)

 副産物として、私はちょっとした『ぬいぐるみ使い』になった。本物を諦めた勢いで私に現れた謎の才能?によって、彼らは、あたかも生きているかのように、私の周りで活躍します、今もなお。

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