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リバース【短編ホラー小説】(3/5)

<7月29日>
 悠人は1人で車を走らせていた。山道を上の方に向かって進んでいく。梨沙は彼女の実家預けてきた。今の状況で家に梨沙だけを残すのは危険だ。梨沙の両親はいつまででも気にせずいてもらって大丈夫だと言ってくれている。当面、今回の件の詳細がわかるまでは実家にいてもらう方がいいだろう。

 梨沙を実家に送り届けたその足で、悠人は目的地へと向かっていた。利堂大毅。あかりちゃんのお父さんであり、梨沙の前の夫。彼に会うことが悠人の目的だった。梨沙に聞いた話だと、彼は梨沙の2歳年上でフリーランスのライターということだった。あかりちゃんが亡くなってから時々梨沙に暴力を振るうようになり、最終的には離婚に至った。梨沙が北条のところへ通うようになってからすぐに別れたらしい。悠人が梨沙と話すようになった時にはもう離婚していたため、悠人はこれまで利堂について何も知らなかった。知りたいとも思わなかったし、今回のようなことがなければ会いに行くなんてあり得なかっただろう。

 まあ、うまい具合に会えるかどうかはわからないけど。そう考えながら、悠人はアクセルを踏む足を緩めた。ハンドルを右に切って横道に入ると、目の前にスライド式のゲートが見えてきた。ゲートはレールに沿って開いており、脇にはK市霊園と書かれた看板が立っていた。ゲートを抜けて敷地内に入り、駐車場に車を停めた。悠人はエンジンを切り、1度長く息を吐いた。座席にもたれ、気持ちを落ち着ける。できれば、今日ですべてを終わらせる。そう決意して、悠人は車を降りた。

 来る途中で買ってきたお供え用のお菓子を持って、悠人は梨沙に聞いた区画へと向かう。まだ10時前だが、日差しは既に厳しい。山の上だというのにあまり風がなく、じりじりとした暑さを肌に感じる。霊園は想像していたよりも広かったが、平日の午前中ということもあってか他に歩いている人は見当たらない。駐車場にも、悠人の他には駐車している車はなかった。駅から無料のシャトルバスが出ているので、それを利用する人が多いのだろう。

 目的の区画へ入り、両脇に墓がずらりと並んだ通路を進む。スマートフォンのメモ帳を開き、梨沙に確認したお墓の位置を確認しながら進んでいると、目の前にそれらしき墓石が現れた。小さな墓石に“想”の文字。ここだ。ここに、あかりちゃんが眠っている。悠人は持ってきたお供え物を墓石の前に置き、手を合わせた。顔も声も何も知らない、1度も会ったことのない少女なのに他人の気がしないのは、梨沙の悲しみを近くで見てきたからだろう。もし、利堂が本当にあかりちゃんを利用して梨沙を苦しめているのなら許せない。自分の愛した者たちに、どうしてこんな仕打ちができるのか。

 悠人は立ち上がって時計を見た。時計の針は10時10分の辺りを指していた。1本目のシャトルバスが霊園に到着するのが10時30分だったはずだ。そこから2時間おきに、計3本のバスが1日に運行される。梨沙はこの間ここに来た時に、お墓に供えられていた花を替えたと言っていた。誰かが供えた古い花があったということだ。今日はあかりちゃんの命日。花を供えた者が来る可能性が高い。梨沙の両親は来ていないと言っていた。利堂本人が来るとは限らないが、関係のある者に会える確率はそこそこあるのではないか。

 ちょうど、ここから少し戻った通路の脇に座れそうなあずまやがあった。悠人はもう1度墓石に向かって手を合わせてから、あずまやへと向かった。


 悠人は、飲み干したペットボトルをあずまやの近くにあったゴミ箱に捨てた。予想していたよりも暑く、持ってきた飲み物はもう尽きてしまった。結局10時30分のバスではこちらに来る者はおらず、悠人は2時間ほどここで過ごしていた。確かゲートを入ってすぐの建物の前に自販機があったなと思い出し、悠人は次のバスの時刻を過ぎても誰も来なければ買いに行こうと決めた。目当ての人物が悠人と同じようにシャトルバスを利用しない可能性もあるため、できるだけここから離れたくはなかったが、脱水症状にでもなってしまってはそれどころではなくなってしまう。悠人は時計で14時30分になったのを確認した。時間どおりであれば、今ごろ停留所にバスが到着しているはずだ。もう15分待って誰も現れなければ自販機へ行こう。

 昼を過ぎ、あずまやの中にも日差しが入り込んでいた。悠人は日差しを避けて柱の陰にもたれかかっていた。朝に比べると少し風が出てきていたが、まさに焼け石に水という感じだ。ハンカチで汗を拭きながら時計を確認する。10分が経っていた。もう飲み物を買いに行ってしまおうかと考えていると、1人の女性がこちらへ歩いて来るのが見えた。日傘を差し、手には花を持っている。女性はあずまやを通り過ぎて通路を進んでいく。還暦くらいだろうか。悠人が柱の陰から見つめていると、女性はあかりの墓の前で止まった。一気に悠人に緊張が戻る。女性は日傘を閉じ、そばに荷物を置いたところで急に辺りを見回した。悠人が持ってきたお供物や梨沙が替えた花に気付いたのだろう。

 悠人は出ていこうかと思ったが、迷っているうちに女性が墓の掃除を始めた。悠人は、女性の墓参りがひととおり終わってから声をかけることにした。女性は手慣れた様子で作業を続ける。ここへは頻繁に来ているのだろう。年の頃合いから察するに、利堂の母親辺りだろうか。

 しばらく様子を窺っていると、女性は墓石の前にしゃがんで手を合わせた後、荷物をまとめ始めた。悠人は、意を決してあずまやを出た。悠人が近付いていくと、女性がそれに気付いて顔を上げた。悠人が一礼をすると、女性も頭を下げて答えた。どう切り出したものかと悠人が思案していると、女性の方から話しかけてきた。

「もしかして、梨沙さんのご関係の方でしょうか?」

 悠人は一瞬迷ったが、素直に答えることにした。

「はい。梨沙の夫で、鳴海と申します」

 利堂の知り合いを装うことも頭をよぎったが、向こうがいきなり梨沙の関係かと聞いてくるということは、利堂の関係者で墓参りに来る者はいないのだろう。相手の言葉や表情に敵意も感じなかったため、悠人は正直に答える判断をした。

「梨沙さんもいらっしゃっているのですか?」

「いえ。今日は1人で」

「そう、ですか」

 女性は少し訝しげな表情をした。言ってみればあかりちゃんとは赤の他人である悠人が、1人でここにいるのを不自然に思ったのだろう。

「あの、あなたは利堂大毅さんのお母様でしょうか?」

「ええ。これは申し遅れました。私、利堂芙美と申します」

 芙美が頭を下げたので、悠人も軽く頭を下げる。

「梨沙さんには、大変申し訳ないことをいたしまして・・・・・・」

 そう言って芙美は頭を下げた。悠人は一瞬、芙美が今回の件のことを言っているのかと思ったが、すぐにかつての離婚の件を言っているのだと気が付いた。

「いえ、昔のことについては、私は部外者ですから・・・・・・。あの、ここへはよく来られているのですか?」

 悠人の問いかけに、芙美が頭を上げる。

「ええ。できるだけ、月命日には。息子はもう関わりたくないと言っておりますが、それではあまりにも・・・・・・この子が可哀想で」

 芙美は墓石に目をやった。悠人もその視線を追う。

「大毅さんは、ここへはいらっしゃらないのですか?」

「来ません。息子にも新しい家庭がありますし・・・・・・。ひどいと思われるかもしれませんが、息子も苦しみました。私は母親ですので、あの子を責めることはできません。だからせめて、私がこうして毎月ここへ来ているのです」

 芙美の言葉は、悠人が想定していた大毅の人物像とは異なる姿を想像させた。過去と決別し、新たな家庭を持った男。そんな人物が、今更あかりちゃんを使って梨沙に嫌がらせをするだろうか。芙美の言葉を鵜呑みにはできない。ただ、目の前の彼女が嘘を言っている風には見えなかった。

 悠人が考え込んでいると、芙美が悠人に向かって1歩踏み出し、また頭を下げた。

「あの、息子への恨みごとでしたら、私がお引き受けいたします。どうか、それでご容赦いただけませんでしょうか・・・・・・」

 芙美は深々と頭を下げそのまま動かない。悠人は急な芙美の行動に戸惑った。彼女は、過去のことで悠人が大毅を責めるために来たと考えたのだろう。

「あの、頭を上げてください! 私は別に、そんなつもりで・・・・・・。大毅さんに用があって来たのは、そのとおりなのですが」

 芙美がゆっくりと顔を上げた。

「用、というのは・・・・・・」

「その、何と説明していいか・・・・・・。梨沙に今、あかりちゃんのことで不審なことが起こっていまして。あかりちゃんを思わせる荷物が誰かから届いたりですとか・・・・・・。もしかすると、大毅さんが何か知っておられるのではと思いまして」

「荷物・・・・・・。息子が、それを送りつけたと?」

「いえ、そこまではわかりませんが・・・・・・。内容が内容なので、もしかすると大毅さんが関わっているのではないかと」

 芙美は考え込むように黙ってしまった。息子が疑われていると聞いて、気を悪くしてしまったのだろうか。しかし、悠人も梨沙のために引き下がるわけにはいかない。

「あの、できれば大毅さんと直接お話をさせていただけませんか? 後日でも構いませんので」

「息子が関わっているとは、私には思えません」

「ですが・・・・・・」

「息子をかばって言っているのではないんです。本当にそう思えないんです。起こったことが何であれ、それがあかりに関することなのであれば、息子が関わっているはずがありません」

 芙美は強い口調で毅然と言い放った。

「どうして、そうお考えなのですか?」

 悠人の問いに、芙美はすぐ答えなかった。考えていることを話すべきか迷っている、そんな風に見えた。悠人は、促すようにじっと芙美を見据えた。その視線を受け、芙美はゆっくりと息を吐いてから口を開いた。

「先ほども申し上げましたとおり、息子はもうあかりのことには関わりたくないと考えております。息子は梨沙さんと別れる前、あかりのことが恐ろしいと話していました。あの子は呪いの子だと・・・・・・」

「呪いって、それは、どういう・・・・・・」

「わかりません。私にも、詳しいことは何も話しません。ただ、息子はあかりを恐がって、最後には離婚を決めました。そんな息子が今になってあかりに関わるはずがありません」

 悠人は芙美の話に混乱した。芙美が言っていることが本当なら、確かに大毅は犯人ではないのかもしれない。しかし、呪いの子というのはどういうことなのだろう。悠人はそれが今回のことに無関係だと思えなかった。

「あの、不躾なお願いなのは重々承知なのですが、やはり大毅さんと直接お話をさせていただけませんか? 大毅さんの言葉と梨沙に起こっていることは、もしかすると関係があるのではないかと思うんです」

「私としては、やっと落ち着いて暮らせるようになった息子に、関わらせたくはありません・・・・・・。それに、私が言ったところで息子があなたと話をするかは・・・・・・」

「お願いします。妻が、梨沙が苦しんでいるんです。少しでも手がかりが欲しいんです。私の連絡先を伝えてもらうだけでも構いません。どうか・・・・・・」

 今度は悠人が芙美に向かって深く頭を下げた。芙美が、そんなことやめてくださいと言って悠人に近寄ったが、悠人は動かなかった。芙美を困らせていることはわかっていたが、悠人は許しをもらうまで頭を上げないつもりだった。最終的に、悠人が押し切る形で芙美は悠人の連絡先を受け取った。大毅が応じるかは保証できないという芙美に対して、悠人は丁寧に感謝を述べた。駅まで車で送ると申し出たが、芙美はバスを待って帰ると言って断った。

 悠人は駐車場の車に戻り、座席にもたれて大きく息を吐いた。結局、今日1日では何も解決しなかった。むしろ、謎が深まったように感じた。あとは利堂大毅から連絡があることを祈るしかない。自販機で買った水を一気に飲み干し、悠人はエンジンをかけた。


 悠人は、スマートフォンの着信音で目を覚ました。霊園から帰った後、疲れて眠ってしまったようだ。部屋の中は暗く、もう夜になってしまったようだった。スマートフォンの画面を見ると、知らない番号だった。もしやと思い、悠人は急いで電話に出た。

「もしもし・・・・・・」

 悠人が応答すると、知らない男の声が答えた。

「鳴海さん、ですか?」

「そうですが、あの、どちら様でしょうか」

「利堂と申します」

 悠人は予想外に早い連絡に驚いた。連絡が来ないことも考えていたので、その日中に電話がかかってくるとは思っていなかった。

 更に驚いたことに、悠人が事情を説明しようとしたところ、会って直接話をしようと利堂の方から申し出てきた。悠人はもちろんそれを承諾した。日にちは明後日の14時ということになった。梨沙はしばらく実家に泊まることになっているので問題はない。

 手がかりがつながったことに悠人は安堵した。しかし、どうにも嫌な予感が拭えない。悠人は芙美の言葉を反芻していた。呪いの子。利堂に会って、解決につながればいいが。悠人はスマートフォンを置き、もう1度暗い部屋に横になった。


<7月31日>
 悠人は、駅前の喫茶店へと入った。店内を見回し、できるだけ静かに話ができそうな席を探す。ちょうど、店の奥の角席が空いていたのでそこに腰を下ろした。水を持ってきた店員にアイスコーヒーを注文する。時刻はまだ13時20分過ぎだった。利堂との約束の時間まではまだ30分以上ある。

 梨沙には今日のことを秘密にしていた。そもそも、悠人は利堂の母親に会えたことも梨沙に黙っていた。今のところ進展はないし、利堂の話を聞いてから梨沙に何をどう伝えるか考えようと判断したのだった。北条には、昨日のうちに今日利堂に会うと伝えていた。当面、梨沙には秘密にしておいてもらうよう頼んでいる。

 悠人はスマートフォンを取り出し、利堂の電話番号宛に座席位置をメッセージで送った。返信はなかったが、相手が文面を確認したことを示す表示は出ていた。

 20分ほどして、1人の男性が悠人のいる席の方へ歩いてきた。ポロシャツにスラックスを履いた、背の高い男だった。がっしりとした体型で、短く刈り込んだ頭がスポーツマンのような印象を与えた。男は悠人の席まで来て立ち止まり、軽く会釈をした。悠人も立ち上がって頭を下げる。

「どうも、利堂です」

 利堂はニコリともせずに悠人の正面の席に座った。悠人も名乗りながら席に座る。この男があかりちゃんの父親であり、梨沙の元夫なのか。予想はしていたが、やはり実際に本人を目の前にすると良い気持ちにはならなかった。梨沙に手を上げたとも聞いているため、初対面にして既に目の前の男に嫌悪感を抱いていた。しかし、今日は梨沙のために情報を手に入れるために来たのだ。少しでも多くの話が聞けるよう、できる限り愛想を良くしなければ。

「利堂さん、本日はわざわざすみません。まさか、本当に会っていただけるとは・・・・・・」

 利堂は悠人の言葉にフンっと鼻を鳴らした。

「母を押さえられているんですよ。来るしかないでしょう」

 利堂は敵意を隠そうともせず、ぶっきらぼうに言い放った。利堂は悠人が芙美に会ったことを脅しだと捉えているようだった。

「いきなりお母様に押しかけてしまったのは、申し訳ありませんでした。ああでもしないと、連絡が取れないと思ったものですから。決して悪意があるわけでは・・・・・・」

 言葉の途中で店員が注文を取りに来た。利堂はアイスティーを注文した。悠人も追加のコーヒーを注文する。

「ま、とりあえずこちらもあんたの顔は確認できた。連絡先もわかっていますし、おかしなことはしないでくださいよ」

「おかしなことなんて、そんなことしませんよ」

「じゃ、さっさと片付けてしまいましょう。何が聞きたいんですか?」

 悠人は店員がテーブルにコーヒーとアイスティーのグラスを並べ終えるのを待って口を開いた。

「最近、梨沙の身におかしなことが起きているんです。ヴァーチャルであかりちゃんの姿を見たり、あかりちゃんが家のドアホンを鳴らすのを見たり。家にあかりちゃんが事故の時に履いていたのと同じサンダルまで届いているんです」

 利堂はシロップを入れずにそのままアイスティーを飲みながら、悠人の話を黙って聞いている。

「正直に言って、私はあなたの仕業なんじゃないかと疑っていました」

「私がそんなことをして何になるって言うんですか。大体、もうあいつらとは関わりたくもないのに」

 利堂がグラスを置いて言った。悠人は利堂の話ぶりを不快に感じた。あいつらというのは、あかりちゃんと梨沙のことなのだろう。自分の娘と元妻だというのに、乱暴な物言いだ。悠人は、感情を抑えて話を続ける。

「お母様もそうおっしゃっていました。本当に、利堂さんは今回のことを何もご存知ないんですね?」

「だからそう言ってるでしょう」

 声を荒げるというほどではないが、利堂の口調からは苛つきが窺えた。態度こそ良くはないものの、悠人は利堂が嘘は言っていないと感じていた。やはり、利堂は無関係なのだろうか。しかし、ここで話を終わらせてしまっては手がかりがなくなってしまう。

「あの、利堂さんはあかりちゃんを恐れていると、お母様がおっしゃっていました。呪いの子と呼んでいると」

 利堂は舌打ちをし、そんなことまで話したのか、とつぶやいた。素直に話してくれるだろうかと悠人は不安に思ったが、利堂は思いのほかすぐに話し始めた。

「そうですよ。私はあいつが怖い。あいつは人を呪う」

「呪う、というのは・・・・・・」

「あんた、今おかしなことが起こってるって言ったでしょ。あいつの姿が現れただのなんだの。それだよ」

「それって言うのは・・・・・・」

「私も、同じような目に遭ったんですよ」

「あかりちゃんが目の前に現れたりってことですか?」

「ええ。あかりの声が聞こえる。足音がする。ビデオに姿が映り込む。そんなようなことが、あいつが死んでしばらくしてから毎日のように起こるようになったんですよ」

 悠人は利堂の話に驚いた。過去にも同じようなことが起きていた? しかし、梨沙はそんな話を少しもしていなかった。

「あの、もう少し詳しく教えていただけますか。そんなことがあったなんて、梨沙からは一言も聞いていないもので・・・・・・」

「梨沙は、あいつは何も知りませんよ。ほとんど家にいなかったんですから。何とかって大学の先生のとこに通うようになってから、あいつは、夜寝るために家に帰って来てるようなもんでした」

「では、梨沙はその時あかりちゃんの姿を見たりといったことはなかったんですか」

「ないですね。私はライターなので、日中家で仕事をすることが多かったんですが、大体その時ですよ、変なことが起きるのは。私も、その時は自分がおかしくなってしまったのかと思って梨沙には何も言いませんでした。そんな私の気も知らず、梨沙はその教授のところでゲームが何かに夢中になっていたようですね。ヴァーチャルって言うんですか? ほんとに、こちらのことなんてお構いなしに」

「梨沙は治療に通っていたんですよ!」

 悠人は、利堂の話し様につい語気を強めた。言ってからしまったと思ったが、利堂はあまり気にしなかったのか、話を続けた。

「知りませんよ。自分だけが辛いみたいな顔をして。こっちだって苦しかったんですよ! しかも、あかりは私の前にしか現れない。私だけを責めるようにね」

 利堂は次第に感情的になっているように見えた。悠人は利堂が好きではないが、彼は彼で苦しんできたのだということが感じられた。今の梨沙と同じような苦しみを、彼は乗り越えてきたのか。しかし、梨沙の前にあかりちゃんが全く現れなかったというのは気になる。今回、あかりちゃんは梨沙の前にしか姿を見せていない。両親以外に姿を見せないというのは別に不思議ではないが、なぜ梨沙の前には今になって現れたのか。悠人には、やはり霊の仕業などではなく、誰かが何かの目的でターゲットを絞っているように思われた。

「今はもう、不審なことは何も起きていないんですか?」

「あいつと別れたらピッタリ止まりました。鳴海さん、あんたもあいつといると巻き込まれますよ。あかりの呪いに」

「そんな言い方・・・・・・。それに、私はあかりちゃんの呪いだなんて思っていません」

「私を疑っていたと、おっしゃられてましたもんね。ま、今になって思うと、人間にもやりようはあったのかもしれませんね」

「やりようと言うと?」

「電子機器をハッキングしたりだとかね。考えると、直接目の前にあかりが現れるということはなかった。さっきも言ったとおり、ビデオに映るだとか、何か物を介してしか見たことがない。声や足音なんかも、スピーカーなり何なりから鳴らそうと思えば不可能ではないのでしょうね。当時は私も参っていましたから、そんなことは考えもしませんでしたが」

 利堂はアイスティーを飲み干し、店員に追加を頼んだ。先ほどの感情的な態度とは打って変わって、今は冷静な語り口になっている。悠人は、利堂の感情の起伏に危うさを感じた。普段は冷静に見えて、急に感情を爆発させるタイプではないかと分析した。何が引き金になるかわからない怖さがある。

「ま、私のと今あいつに起こっているのが同じなのかはわかりませんがね」

「いえ、お聞きする限り、ほとんど同じ現象のように思います。梨沙も、スマートスピーカーから足音が流れたと言っていましたし」

「もし同じ人間の仕業だとして、そいつは何がしたいんでしょうね。いえ、もう私には関係ないことですが」

 利堂は追加のアイスティーを一気に飲み干してから続けた。

「鳴海さん、私はこれ以上関わりたくない。知り合いに電子機器に強い人がいます。彼ならそのスピーカーの記録なんかから何かわかるかもしれない。そいつを紹介します。それと今日の話で、私はもう勘弁してくれませんか」

 利堂の申し出を悠人は承諾した。話も十分に聞くことができたし、更に手がかりにつながるかもしれない人を紹介してくれるとあっては、利堂の申し出を断る理由はなかった。悠人は悠人で、あまり利堂には関わりたくないという気持ちもあった。

 利堂は、知人に確認を取ってから連絡すると言って席を立った。支払いは悠人が持つと言ったが、利堂は自分が頼んだ分の金を置いていった。

 悠人は残っていたアイスコーヒーを飲みながら、利堂に聞いた話を振り返った。利堂は、梨沙と別れてからおかしなことは起こらなくなったといった。利堂は当時それをあかりちゃんの呪いだと考えたようだが、もしそれが他の誰かの仕業だとしたら、そいつの目的は利堂と梨沙を別れさせることにあったのだろうか。目的を達成したから、利堂への働きかけが必要なくなった。そう考えることができる。しかし、それで誰が得をしたのだろう。もし同じやつの仕業なら、今回の目的は何なのだろう。考えても出口が見つからない。

 悠人はコーヒーのグラスをテーブルに置いた。まだ半分くらい残っていたが、それ以上飲む気がおきず、悠人は店を出た。


<8月2日>
 悠人は市役所の出入り口にある端末に職員証をかざし、デジタルのタイムカードに退勤時間を打刻して職場を後にした。職場と住んでいるマンションは1駅ほどの距離であり、悠人は歩いて通勤している。

 市役所の敷地内を歩きながら、悠人はスマートフォンを取り出した。電話のアプリケーションを起動し、着信履歴を呼び出す。履歴の1番上に、知らない番号からの着信が表示されていた。今日の昼過ぎに着信があったものだが、業務が忙しく出られなかったのだった。昨日利堂から、話していた電子機器に強い知人に電話番号を伝えていいかと連絡があったため、おそらくその人からの着信だろう。大手メーカーの情報部署に勤務しており、小山内という名前らしい。

 履歴の電話番号を選択して電話をかけてみると、やはり相手は小山内だった。悠人のことは、不正アクセスを疑って悩んでいると利堂から伝えられているようだった。小山内は、自分は専門家ではないと断った上で、希望するならできる限りで調べてみると言ってくれた。小山内に機器を送って見てもらうこともできるようだったが、現場のネット環境等も確認しないとあまり効果的ではないと言うので、家まで来てもらうことになった。日時は次の土曜の13時からに決まった。梨沙もまだ実家へ帰っているところなのでちょうど良い。謝礼は利堂に請求するからいらないと小山内は言ったが、そういうわけにもいかないので、悠人の方でもいくらかは包もうと考えた。

 小山内との電話を終えて自宅に戻ったところで、今度は北条からメッセージが届いた。梨沙を連れて大学へ訪問する日時をそろそろ確定させようという内容だった。悠人は利堂から聞いた話を北条にかいつまんで説明し、次の土曜に電子機器へのアクセス記録などを調べてもらうことを伝えた。すると、北条の方も直近では次の土曜しか空いていないということだった。教授によると、当日は梨沙と面談し、健康状態のチェックも行った上でヴァーチャルにダイブしてのセラピーも行う予定にしているらしい。悠人がずっと同席していなくても問題はないとのことなので、大学へ行くのも同じ土曜日にしてもらった。いつまでも梨沙を実家に置いておくわけにはいかないし、問題を早く解決したいので、可能な限り最短の日程で進めたい。午前中に梨沙を大学へ連れて行き、それから悠人だけ1度家に帰ればいい。

 北条とのやり取りを済ませてから、悠人は自分が仕事着のままだったことに気付いて服を着替えた。時計を見ると、もうすぐ19時になろうというところだった。悠人は空腹を感じていたが、遅くなる前に梨沙へ連絡しておこうと考えた。梨沙にメッセージを送り、電話しても問題ないか確認する。大学へ行く日程のことだけでなく、梨沙の今の様子も確認したかったし、何より梨沙の声が聞きたかった。

 梨沙から電話しても大丈夫だと返信があったので、悠人は梨沙の番号をダイヤルした。1コールも待たず、梨沙が応答する。

「もしもーし」

 数日ぶりに聞いた梨沙の声が元気そうだったので、悠人は安堵した。メッセージ上ではやり取りをしていたが、実際に声を聞くと久しぶりという感覚がする。

「もしもし、梨沙? どう? 元気にしてる?」

「うん。こっちに来てから落ち着いてるし、割と元気」

「よかった。何か変なこともない? 大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。今のところ何もないよ。ちょっと寝不足だけどね」

 まだ夢にはうなされているということだろう。実家に行ってからは何も起こっていないようだが、事の真相がはっきりしない限りはまだ安心できない。実家でも何も起きないとは限らないし、こちらに戻って来た途端に何かあるかもしれない。何もなかったとしても、梨沙のケアには時間が必要だろう。

 悠人は、北条のところへ行くのが次の土曜になったことを伝えた。北条に聞いた当日の予定を話し、自分は仕事の都合で1度大学を出ると説明した。利堂のことは、梨沙には何も言っていなかった。まだどう説明すればいいか、説明すべきなのかも迷っていた。梨沙もあえてなのか、悠人に利堂のことは聞いてこなかった。土曜の小山内の調査結果次第では、そろそろ話さなければならなくなるかもしれない。

 梨沙と他愛もない雑談をした後、そろそろ電話を切ろうという時になって、梨沙が突然真剣な声で言った。

「悠人、ごめんね」

「どうしたの、急に。何がごめんなの?」

「あかりのことで、こんな迷惑かけてさ。悠人は関係ないのに」

「関係なくないよ。梨沙のことは、全部俺に関係あることだよ。関係ないなんて言われたら、ちょっと寂しい」

 悠人の言葉を聞いて、梨沙がふふっと笑った。

「え、何か面白かった?」

「いや、なんか悠人って、私よりも乙女だなって思って」

「人が真剣に話してる時にさあ・・・・・・」

「ごめん、ごめん。でもほんと、感謝してる。ありがとうね」

「なんか、取って付けたようなありがとうだなあ」

「そんなことないよ! 本気、本気」

 結局、そんな調子で冗談を飛ばし合っているうちに、気付けば通話時間が長くなってしまった。電話を切った頃には20時を回っていた。久しぶりに梨沙と普通に笑って話ができたな、と悠人は嬉しく思った。早く梨沙と2人で前のように楽しく過ごしたい。土曜日に少しでも何かわかればいいのだが。

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