"就活"という名のデスゲーム

 今年の四月から大学三年生になりました。就活早期化が進んでいるとの事なので、私も就活を始めなければ…と錘が乗っかったように重たい腕を動かし、とりあえずエントリーシートや自己PR文を書くためのネタを探し始めたのですが……



あれ?私って何もない空っぽ人間じゃね??


と気づいてしまいました。いや1万年と2千年前からそんな事は分かっていたのですが、とりあえず私の自己PRになりそうな強みを絞り出してみました。しかし、「絵を描く事が得意」だの「想像力豊か」だの殆ど自己PRになれなさそうな事柄ばっかりでした…。

 そもそも自己PRを書く理由としては、その人の人柄を知ってもらうために書き、企業でどう役に立てるかをアピールするために書くと挙げられると思うのですがね、そもそもね、こうした認識がおかしいと言うか、なんと言うか……

役に立つか立たないかという、まるで人間を企業のための道具としか思っていないようなこうした事をアピールしなければいけない就活が嫌い

「そんなんじゃ使ってもらえないよ」とか「お前使えねえな」とか言う人間、割といるじゃないですか。そうした人間を人間とも思ってないような人間の形をしたナニか、そしてこのナニかを生み出した社会、こうした社会にどれ程の人間が息が詰まりそうになっているのか、考えた事があるんでしょうかね?役に立つ事をアピールするために、本当の自分を偽って、思っても無い事べらべら喋って、いかに相手を騙し、賢く立ち回るか、それが出来なかった人間はどんどん振り落とされ、「自分はダメな奴なんだ」とその人の自己肯定感を地に突き落とし、やがては自ら命を絶ってしまう。
…就活なんてただのデスゲームじゃないですか。

 それに無事就職出来たとしても、自分を偽ったばかりに企業と適合せずに辞めてしまう、もしくはブラック企業に当たり、人格否定を繰り返されながら鬱病になってしまう。就活とは一体何のためにやってるんでしょうかね?

 そもそも、企業で働き企業のために利益を生み出すという事に、私はどうも興味が湧きません。毎日ノルマに追われ、行きたくも無い飲み会に参加し、休日出勤は当たり前、死んだように働き、生命の輝きを失っている。それじゃストレスでいつまで経っても人に優しく出来ない人間が生み出されてしまうのは当たり前ですよね。私は企業で働くよりも、一人で絵を描いてそれでお金を稼いだり、全くお金なんていらないから弱い立場に置かれている人のために働きたいと思います。ですがそれでは生活が出来ないですよね。そんな事分かっています、分かってはいるんですけれど、どうしても私自身が企業で働いているイメージが湧いてこないんです。企業研究をするために様々な企業のHPにいって、事業内容や社員紹介ページを読んで、ノートに書き出して、
「よし書けた!」と思ったのも束の間、「なんのために働くんだろう。こんな事に一体何の意味があるのだろう…」という虚無の感情に襲われ、筆が止まってしまいます。

 企業で求められている人物像を見ても、コミュニケーション能力だの、チャレンジ精神だの、粘り強い人だの、私には無いものばかり。私は昔から人と話す事が苦手で、コミュニケーションは避けてばかりだったし、様々な事を考えてしまって行動出来ず、メンタルも弱くて大学生になっても授業中やバイト中に一人で泣いてしまう事だってあります。それに私のMBTIはINFPなので、余計自分がいかに企業に求められていないのかが実感させられます。
 また、面接で頻繁にされる質問の中に、「小・中学校ではどんな立ち位置だったのか」とか「友達からなんと呼ばれてるのか」とか「人生で一番辛かった経験は何か」というものがありますが、私は小学生の頃や中学一年の頃なんて、クラスメイトからよく嫌がらせや軽いいじめなんかを受けてたり、クラスから孤立してたし、友達だって殆どいないし、強迫性障害が悪化して心療内科に通ってた時期が本当に辛かったし、けれどもそんな事言ったって企業からはマイナスなイメージ食らうだけなので、何も言えないんですよね。けれども家族に恵まれていた事は本当に感謝しています。

 先の見えない就活、自分に自信が持てない日々、私はなんとかこうした事を抱えながら生きていきたいですね。







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