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E.H.カー「歴史とは現在と過去との対話である」~Mrs.Green Apple「コロンブス」

シンプルながらも味わい深い歌詞について述べた昨日の記事と比べて、本日はちょっと込み入った話を、、

若かりし頃、もう25年くらい前でしょうか。随分と背伸びをして、E.H.カー「歴史とは何か」にチャレンジしました。しかし、覚えていることと言えば「難解だった」ことと、あと辛うじて「歴史とは現在と過去との対話である」という一節くらいなもんで。そして、浅はかな想像力を働かせて考えられるのは、現在と過去との関係は相対的なものなので、その対話の内容も変わるのだろう、ということです。

そして、ここ数日世間を騒がせている、Mrs.Green Appleの新曲「コロンブス」のMVについて。すでに議論百出の感がありますが、概ねのところは「コロンブスは今は征服者の象徴なので、類人猿に何かモノを教えている様は、先住民に文明を押し付けている差別的表現に見えて、よろしくない」というもので、まぁその通りかと思います。

歴史的研究、すなわち「現在と過去との対話」を、時の流れとともに重ねると、コロンブスも「探検家」ではなく、「侵略者・奴隷商人」という評価に変わる、ということでしょう。
(しかし、筆者が中学生だった30年くらい前でも既に、社会の先生が「『新』大陸を『発見した』という言い方もおかしい」ということは仰ってた朧気な記憶が…)

上記の謝罪文を読んでも、Mrs. Green Appleの大森元貴さんご自身も、少しヤバいかも、という認識は薄っすらあったようです。MVがどんな製作過程を経たかの詳細はここでは追いませんが、ではなぜこんな悪手なMVが出来てしまったのでしょうか。日本人の歴史的認識の甘さ、や、商業主義先行で歯止めが利かなかった、、などなどありますが、筆者はその一因として「難しいことしすぎだった」と考えます。

ここで引用はあえてしませんが、この歌の歌詞はとにかく
「長い」「難しい」
と思います。まぁE.H.カーに玉砕した人間なので、ミセスの世界観を理解しようとすること自体おこがましいのかもしれませんが、とにかく「長い」「難しい」

コカ・コーラとのタイアップなので、「炭酸の創造」「渇いたココロに注がれる」「飲み干したい」というフレーズが、商品とかかっていることくらいは分かりますが、結局「何の歌?」「なぜコロンブス?」という疑念が付きまとって仕方ありません。別稿でもう少し考えてはみたいですが、作詞時点で難解な世界観を、誰も正しく交通整理できてないまま、映像化・出稿されてしまった、ということが、今回の炎上の一因ではないでしょうか。

そして、方々ですでに述べられていますが、本稿でも重ねて強調しておきたいのは、「歴史を学ぶ」というのは、図らずも他者を傷つけてしまわないように、認識・知識を深めることにもなるかと思います。「現在と過去との対話」を重ねることによって、世界の人の思いや、はたまた身近な人々の認識とも「対話」できるのではないでしょうか。「歴史なんて勉強して何になるの?」などという問いの一つの答えを、本件は教えてくれていると考えます。(「正しい」歴史を学ぶべきですが、何が「正しい」のか、というのも、これまた難しい話です)

勉強しなくてよい事柄なんてないのです。全部が全部完璧に身に着けるのは無理ですが、少なくとも「こんなん知らんでも生きていける」とばかり言って、何も学ばなくなるのが一番恐るべきことです。表現に携わる人は特に。自戒の意味も込めて、、


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