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私の生き甲斐とは〜今宵の呟き〜




ないですね。


もう、日々、生活を送る事しか、考えていません。


 昔は、人生焦ってたのですよ。そう、何者かにならないと、
 生きる意味ないとか、評価されないといけない、みたいに。


 しかし、29歳くらいから、何者にも、ならなくていいやと、思うようになりました。

 もう、穏やかに過ごそうと。



 そう、今の生活が、続けばいいのですよ、無駄なものに、お金を使わなければ、

 勝手に、お金は貯まるし、急な病に罹らなければ、今すぐ死ぬこともない。



 多分、精神科医として、外来をして、生活をしていく、これが私の人生の最高到達地点

 そう思うようになりました。もう、夢は叶っていると。



 この、情報過多の時代で、有名になることは、ほぼ不可能であり、

 皆、社会から認識されぬまま、この世を去る、しかし、それでいいのですよ。


 足掻けば、足掻くほど、己の首をしめる事となる、
 ならば、今の現状を認め、受け入れ、平穏に過ごす、それこそが最たる方法だと、

 この事に気づけたのが、人としての成長であると、そう思うようになりました。



 なので、皆も、自分を認めてほしい。もう、あなたは何者かになっているし、幸せだと思う。


 自分の生活を愛することが、大切であって、誰かと比べたり、

 無理をして高価なものを身につけることは、幸せから遠ざかる愚かな行為。


 自分のことを好きになれば、いい。


 社会は、人々に、価値のある人間を望むが、我々は、商品ではない。


 皆が、苦しむ原因となった、諸悪の根源は、SNS、煌びやかな生活や、自分よりも、美しい、

 富を持つもの、フォロワーがいる、そういった存在を羨み、
 憎み、引きづり下ろそうとするから、不幸となる。


 この、スマートフォンというデバイスさえなければ、
 人はもっと幸せになることができるのではないか。


 仮に、SNS上で、何者かになったところで、それは果たして幸せなのだろうか、

 自分の立場、

 自己が固定され、より苦しむのではないか、それを維持するのに疲れるのではないか。


 人生とは、常に、通過地点であらなけらなならず、到達してしまっては、それは人ではない。


 資格などの形ある、到達はしても良いが、人生にそれを求めてはならない。


 人は、一人で生きているわけではない、皆、己が何者なのか、分からぬ状態で、共に支え合い、高め合っている。


 形ある到達に価値はない、

そして、

 人生に、それを求めず、日々の生活に感謝して、
 少しでも、変わることができたのであれば、あなたは、

 人として、最高の形を描いている。

精神科医ましろ







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