もし明日、死ぬならば
ふとしたきっかけで、最近、そんな思いを心の片隅に淡く抱きながら一日一日を生きるようになった。
そして、少なくとも今までのところ、その刹那的な思いは自分にとって、とてもポジティブな作用を与えているように思う。
うん、だって、明日死ぬとしたら、やはり、できるだけ笑顔で楽しく過ごしたいから、自然と周りの人にも優しくなったような気がするからだ。
例えば、昨日も、上司にさんざん搾られてしょんぼりしていた職場のオバサマに、3時のおやつとして、台湾のちょっと高級なパイを買ってきて会議室で2人でムシャムシャ食べたんだけど、初めて買ったそのパイがめちゃくちゃ美味しくて、彼女以上に僕が喜んでしまった、とか。
って、なんか違うか(笑)
でも、会社が終わる頃には、職場の同僚と楽しそうに雑談している彼女の姿が見られて本当に良かったなあ。
あと、以前の、というか、つい数日前までの(笑)僕は、人並み以上に絶対に叶えたい夢もあったから、焦る気持ちや降りかかる火の粉を払うためのストレスとかで、全然キャラじゃないのにゴルゴ13ばりに深い皺を眉間に刻みながら肩で風切るような日々を送ったこともあったけど、明日、死んじゃうと思ったら、そーゆー自分のことも素直に馬鹿だねえと思えるようにもなれたしね。
でも、だからといって夢を叶えるための努力を放棄したわけでは全然なくて、むしろ一日精一杯働いてその夢に一歩でも近づけたって自分自身が思えたならば、本当にそれだけでもう十分だよなって思えるようにもなったんだよね。
これって要するに残された時間が短いと、人間の欲望やエゴの大きさもそれに合わせてスケールダウンして、その結果、ささいなことでも幸せに思えるようになった、というだけの話なのかもしれないけれど。
ただ、その一方で、明日死ぬとしても、そんなふうに思えない人たちもこの世界にはたくさんいることも僕は何となく分かっているつもりだ。
だから、そんな安上がりな自分でいられる幸せにしっかり感謝しながら、僕は
今日も明日も明後日も50年後も
できるだけ
自分の身の回りの人だけでもう全然いいんで
たくさんの笑顔の花を咲かせられるように
精一杯、こんな凸凹だらけの全然たいしたことない自分を貫いていきたいと思う。
って、全然、明日死ぬ気ないやないかーい!
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