たったひとり、いや、たった一言だけでよいのかもしれない
いい人
が出てくる映画が苦手だ。
その理由は単純明快で、要するに
僕自身がちっともいい人ではないからだ。
だから、あの国民的アニメが映画化されて、
「◯◯を燃やせ!」
というあの有名なセリフが出てきたときも、劇場にいるほとんどの人は感動して泣いていたけれど、僕はまったく泣けなかった。
むしろ突然、自分の周りに現れたたくさんのいい人たちの姿に怖気付いてしまっていたかもしれない。
でも、そんな僕でも安心して観られて、かつ、毎回、観るたびに必ず号泣できる映画がひとつある。
ティムバートン監督、ジョニーデップ主演の
「シザーハンズ」
である。
なぜなら、この映画は、いい人がひとりも出てこなくて(厳密には一人だけ出てくるけど)、僕と大差のない
ただの人間
しか出てこない映画だからだ。
それは、その名のとおりハサミの手(シザーハンズ)を持つ異形(フリークス)の主人公も容姿端麗なヒロインも例外なく。
きっと、だから、なのだろう。
自分も周りの人たちも子供の頃に思っていたほどには、どうやらいい人ではなさそうだ
という事実に薄々気づき始めた、そして、そのせいで社会に出ることにずっと二の足を踏み続けていた思春期の僕が、この映画を何度も、それこそVHSの黒いテープが擦り切れてちぎれるくらい繰り返し観ていたのは。
そして、残念ながら、当時のその僕の仮説は、的中してしまったように思う。
なぜなら勇気を振り絞って飛び出した外の世界で、実際、僕はたくさんの人に傷つけられてきたし、逆にそれと同じくらい僕自身もまたたくさんの人を傷つけてしまったからだ。
そして、僕にとって耐えられなかったのは、実は誰かに傷つけられることよりも、そんなつもりなんかないのに、気づいたら家族や恋人や友人など大切な人たちのことを傷つけてしまった自分自身のことだった。
だから、昨日、久しぶりにこの映画を観たときも僕はあの時以上に
「シザーハンズって僕のことだよなあ・・・」
とつくづく思ってしまったのだと思う。
例えば、彼が出会った街の住人たちは「ただの人間」としてただありのままに振舞っているだけなのに、勝手に「いい人」だと思い込んだ彼が裏切られたと思って逆ギレして、暴走した挙句、みんなからハブられてしまうところなんか、まさにかつての僕そのものじゃないか(笑)
でも、やっぱりこの映画で毎回、僕がグッと胸を締めつけられてしまうのは、
彼のことを愛してやまない産みの親である老博士か突然、彼の目の前で、亡くなって倒れてしまうシーンである。
彼は床に倒れこんだ博士のほほを優しくなでようとするのだけど、そんな思いとは裏腹に、自分の鋭利に尖ったハサミの手は愛する人のほほに痛々しい赤い血の線を刻んでしまうのだった。
このときの彼のショックは果たしていかばかりだっただろうか。
というか、もし僕が彼だったら、絶望のあまり、そのハサミの手で自分の首をかっ切っていたかもしれない。
でも、彼はそうしなかった。
その理由もなんとなく分かるけれど、野暮だから言わずにおこう。
そして、これは完全に僕の想像だけれど、その日以来、いつか外の世界に出たときのために、人里離れたそのお屋敷にひとり取り残された彼は
「こんなハサミの手を持て余した僕でも、誰かを喜ばせられないかな・・」
と思って人知れず猛特訓したのだと思う。
そう、あの芸術的な、植木の剪定や犬のトリミング、ヘアカット、氷の彫刻のテクニックは、実はもともと彼に備わっていた超能力でもなんでもなくて、そんな彼の努力の賜物だったんだって僕は思っている。
そして、確かにその彼の努力は見事、報われた、
ように一度は見えたのだった。
だって、彼のその人間離れした技巧に街の人々は素直に感嘆の声を上げて喜んでくれたし、自分たちとは明らかに異質な彼のことをいったんは自分たちの仲間として受け入れてくれたかのように見えたからだ。
だから、彼が
「みんな、なんていい人たちなんだ」
って誤解してしまうのも無理のない話だったのかもしれない。
でも、そんな彼の淡い期待は見事に裏切られてしまう。
それは何も決して特別なことではなくて、人間とはそもそもそういう生き物であるということに過ぎないのだけど・・・。
でも、このときの彼の悲しみや怒りがなぜだか僕にはとてもよく分かるような気がして、だからこそこのときの彼の姿は本当に見ていていたたまれなくなる。
しかし、そんな彼の前に突然、救世主が現れる。
それは、彼や他の人たちと同様に、「ただの人間」に過ぎない一人の少女だった。
家族と一緒に彼と同居していた彼女は、彼に対して自分が犯してしまった罪への罪悪感やみんなに手のひらを返されて途方に暮れている彼への同情心をうっかり彼への愛だと勘違いするといういかにも僕たち人間がやりそうな過ちを犯してしまう。
しかし、その過ちこそが、
その一人の少女の気まぐれこそが、
彼の孤独な心
を唯一救ってくれたのだった。
クリスマスの夜
思いがけず二人きりになったリビングで、彼女は、あの凶器の手を恐れもせずに、彼の胸に勢いよく飛び込んできた。
そして、
「愛している」
と優しい声でつぶやいたのだった。
このとき、もちろん彼も本当は思いっきり彼女のことを抱きしめたかったのだけど、彼女を傷つけてしまわないように、肩に回した自分のハサミの手が彼女の体に当たらないようにずっと緊張しながら気を配っていた。
でも、その瞳にはかつてのようなさみしさやかなしみや心細さは薄れていて、むしろ
ずっと自分が手にしたかったものがようやく手に入ったような、
そんなどこか満足げで力強い眼差しに変わっていたのだった。
ストーリー的に言うと、その後、彼は人を殺めてしまうし、彼女とも別れて、またひとりであのお屋敷でひっそり暮らすことになるのだけれど。
だから、この映画のことを悲劇だとかバッドエンドだと思っている人は多いだろうけど、僕は全然そんな風には思っていないんだよね。
だって、彼は、自分を救ってくれたあの少女のために、いや、それ以上にあの時の彼女の美しい姿を思い出すために、毎年、冬になると、あのハサミの手を器用に操って大きな氷の彫刻を掘って、それまで雪が降らなかった街に雪を降らすようになったからだ。
そんな彼の姿を見ると、僕はこんなふうに勇気づけられずにいられない。
うん、たったひとりでいいのかもしれない。
いや、たった一言でもいいんだ。
僕たちが幸せになるために
必要なものは
きっとそれくらいで充分なんだと思う。
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