トム・ヨークがやさしく歌いかけた夜
仕事帰り、駅のホームでばったり出くわした部長にお疲れ様とあいさつをしたら、部長から開口一番、
「(こっちに来たばかりの頃より)ずいぶん表情が優しくなったな」
と言われたのだった。
僕は
「そうですかねえ」
と頭をかきながら、内心では
「確かに部長の言う通りかもしれないな」
とうなづいていた。
というのも昨日のオンライン研修で同世代の3人と一緒に話しているとき、ふとパソコンの画面に映し出されている自分の顔を見た僕は、確かに
「この男はずいふんと優しくやわらかい表情をしているな」
と思ったからだ。
だから、その笑顔の名残りが今日も残っていたということも大いにありうる話だった。
その後、電車の中で部長に自分の近況をいろいろと話してから自宅の最寄り駅で降りた僕は、なんとなく家まで歩きたくなって、いつものバス停を軽やかに通り過ぎたのだった。
それから駅前の大きなショッピングモールの明るいトンネルを通り抜けると、そこは人影もまばらで街灯もほとんどない住宅街の暗がりだった。
見上げると夜空の月がやけに明るく輝いて見えた。
すると、まるでここぞとばかりに群青色のワイヤレスイヤフォンから
Radioheadの「fake plastic tree」
が僕の鼓膜めがけて流れ込んできた。
若い頃は、たいして英語も分からないくせにとにかくその歌詞に夢中になっていたバンドだった。
でも、今はその優しく背中を撫でるような美しい旋律とトムヨークの歌声に、
ただただ酩酊していた。
でも、最後のこの歌詞だけは、あの頃と変わらぬ強度で僕の心を激しく揺さぶった。
If I could be who you wanted, all the time
(あなたが望むような人になれたら、って思うんだ、それもずっとね)
けど、同時に僕はあの頃とはまったく違う波形で自分の心が揺れていることにも気づいていた。
なぜなら、この時の僕の頬には、あの時の冷え切って寒々としたそれじゃなくて、とても優しくてやわらかくてあたたかいそれが伝っていたからだ。