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ぼくがいちばんそんけいするひと

なんとなく思いつきで、ちょうど一年前の今日(9/7)書いた記事を再掲(少し改変)します。

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ぼくのまいにちのにっかは、おうちにでんわして、むすこのようすをかくにんすることだ。

もちろん、きょうもおひるすぎにでんわした。

つまのこえはあまりげんきがなくて、とてもいやなよかんがした。

じっさい、むすこはあさからずっときもちわるかったらしくて、いよいよもうがまんのげんかいをこえた、といって、ずっとなきじゃくっていたらしい。

ぼくは、つまに、いま、きもちわるいのは、おとついふやしたおくすりのふくさようのせいで、きのう、おくすりをへらしたからまたすぐにらくになるはずだよ、とむすこにつたえるようにおねがいした。

そして、かいしゃをでたちょくごにも、またでんわをしたけど、こんどは、つまから、あまりにもかなしすぎて、さっきまでふたりでいっしょにないていたところだよ、とつたえられた。

ぼくはむすこのすきなちょこすてぃっくぱんとはいちゅうぐれーぷあじをこんびにでかってから、いえにかえった。

どきどきしながら、どあをあけたら、おちこんでいたはずのむすこがかけよってきて、いろいろはなしかけてきてくれた。ないようはよくわからなかったけど、げんきそうだったから、ぼくはひとまずほっとした。

むすこにうでをひかれ、りびんぐにはいると、てづくりのかみのぼうをてわたされて、ちゃんばらあそびがはじまった。

とちゅうからは、おたがいたたきあうのもわすれて、ももたろうとおにのそっきょうしばいをはじめたけど、ぐだぐたなかんじがぎゃくにおもしろかった。

そういえば、きみがげんきだったときは、いつもこんなちょうしだったね。

あとはすもうをとったり、かれがじょうずにそくてんするすがたにかんしんしたりしたあと、ぼくはきょうないたりゆうについてかれにたずねてみた。

そしたら、

このはんとし、きもちわるさがちっともなおらなくて、もしかしたらこれからえいえんにこのきもちわるさがつづくのかなとおもったら、きゅうにすごくふあんになって、そして、くらいきもちになって、たくさんないたんだ

と、じぶんのきもちをしょうじきにおしえてくれた。 

じゃあ、いまはどうしてこんなにげんきなのかな?

というぼくのしつもんに、むすこはけろりとしたかおをしながら、こんなふうにこたえた。

ほんとうにたくさんたくさんないたから、もうないているばあいじゃないっておもえたんだよ。

ないてもなにもかわらないし、なにもよくもならない。だったら、できるだけあかるくしようとおもったんだ。

たしかに、めのまえのかれはとてもちょうしがよさそうで、そして、とてもたくましくみえた。

ところではなしはかわるけど、きみのごばいくらいとしうえのおとうさんは、これまでのじんせいで、ほんとうにたくさんのひとたちにであってきた。

そのなかには、にほんじんならしらないひとはいないようなゆうめいじんもいたし、いわゆる、とうだいおうのしりあいだって、ごにんくらいいる。

そんなおとうさんが、このせかいで、いちばんそんけいするひとはだれかわかるかな?

もしかしたらおどろくかもしれないけど、

それは、まちがいなく

きみのことだよ。

そのちいさいからだにはあまりあるしれんがとつぜんおそいかかってきていらい、ずっときみのすがたをとなりでみていたけど、いつだってきみのたいどやはつげんは、どんなりっぱなおとなにもまけないくらい、きぜんとしていて、たくましくて、かっこよかった。

だから、これをよんでくれているひとたちにむけても、さいごにあらためていいたい。

ぼくがこのせかいでいちばんそんけいするひと、

それは

ことし、きゅうさいになったばかりの

ぼくのむすこ

です。

はやくきみみたいなひとになれるように、ぼくももっともっとがんばらないといけないな。

〈おしまいける〉

当時、聴いていた曲もやはりメランコリックだったなあ。

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