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ボクのラジオデイズ

今の若者って、ラジオとか聴いているのだろうか? 聴くとしたら、やっぱRadikoとかなのかな?今、人気のラジオパーソナリティって誰なんだろう?

そんな疑問がふと頭に上ったのと同時に、そういえば、今ではほとんど聴かなくなったラジオをあの頃は、特に深夜帯限定で、よく聴いていたぁ、という記憶がぼんやりとよみがえってきた。

ただし、ボクはそれほどラジオには思い入れはないし、それこそ僕なんかよりラジオ愛について熱く語れる人は(同世代以上の人なら)ゴマンといそうだけど、せっかくなので、そんな薄~い僕のラジオ遍歴を少しばかり振り返ってみたいと思う。

第一期:11歳~12歳
うちは父親が結構、厳格な人だったので、当時、隆盛だった「ザ ベストテン」系のTV番組をいっさい観ることができなかった。けど、ちょうど色気づいてきた年頃だったこともあり、ちょっと大人な香りがする歌謡曲が気になって仕方がなかった僕は夜中にこっそり布団の中でイヤホンをしながらラジカセで「ヤングミュージック」という名前のベストテン系の音楽番組を聴き始めた。
これがおそらく僕のラジオデビューだったと思う。ちなみに、いろいろ聴いた曲の中で当時、一番、印象に残っているのはチェッカーズの「あの娘とスキャンダル」だった。
当時、スキャンダルという言葉の意味も、何ならセックスと言う言葉も知らなかった僕は、

「プールサイドでうぉううぉううぉう しちゃいけないぜ、スキャンダル」

というサビの歌詞に、

「えっ!プールサイドでしちゃいけないことっていったい何?何?何?」

とスキャンダルと言う言葉を過大評価して、きっと若いお兄さんとお姉さんがなんだか子供が見ちゃいけないようなとてもいやらしいことをプールサイドでしているんだと勝手に想像して無駄にコーフンしていたものだった(ちなみに具体的にどうするかのイメージはまったくなかった・・)。

あと、この時期にもう一つ僕がハマっていたのは、NHKラジオの「真打ち共演」という寄席番組。関西人だったけど、上方の笑いのノリにいまいち乗れなかった僕にとって、「ただ笑わせるだけじゃない」感じがした江戸の落語がたまらなくカッコよく(粋に)聴こえたのだった。

ちなみに、別に示し合わせたわけでもないのに双子の弟も同じ番組にハマっていて、週末の夜、子供部屋から「シシシ・・・」という二人の笑いをかみしめる声が漏れていて、両親はさぞかし不気味だっただろう。

第二期:14〜15歳
この時期に自分の人生でもっとも思い入れのあるラジオ番組と運命的な出会いを果たす。
そのラジオ番組の名前は「ヒートポップス」

関西ローカルの音楽番組なのに、ラジオパーソナリティが杉真理(すぎまさみち)という東京在住のミュージシャンで、僕はすっかりその人の「標準語」による軽妙洒脱なトークの虜になってしまった。

とにかくこんなふうに心底楽しそうに生きている大人がいるという事実に、当時の僕はとても勇気づけられた。というか、このときの杉氏は今だに僕にとっての理想の大人像である。

また知る人ぞ知るビートルマニアの彼から、いろんなバンドのエピソードを絡めながらザ・ビートルズの名曲の数々を教えてもらったのも大きい。

特にジョン・レノンの天才詩人ぶりを表すエピソードとして、彼の代表曲のひとつである
「no where man」が文字の区切りをひとつ変えるだけで「now here man」になる、つまり、どこにもいない男が、今ここにいる男になるという事実を知ったときは鳥肌が立つくらいの衝撃を受けたものだ。

というか、僕のこれまでの人生はまさにno where manがなんとかnow here manになろうとして悪戦苦闘してきた軌跡だと言っても過言じゃないかもしれない。


第三期: 高校〜大学時代

僕が高校時代に大阪にFM802というローカルFM局が新設されて、その新しいラジオ局の目玉となる音楽番組のパーソナリティがデビューしたばかりの谷村有美だった。

今では割と黒歴史認定して記憶をずっと封印してたけど、この番組をきっかけに、当時、ドーテイ街道まっしぐらな僕は彼女を筆頭に、種ともこ、遊佐未森、平松愛理など年上のお姉さんシンガーソングライター沼にハマっていた。
けど、20歳を過ぎたあたりから彼女たちに限らず、ラジオで流れるJ-POPの類がすべてダサく聞こえるようになってしまい、自ら積極的にラジオを聴くことを止めてしまったのだった。

断片的に覚えている当時のエピソードも、あるFMラジオの女性パーソナリティが、大島弓子と橋本治が好きだと話す男性リスナーに向かって露骨に「社会不適合者ですね」と見下したり、あと英語が堪能なパーソナリティが、「ミスチルのtomrrow never knowsは文法的におかしいから彼らはバカだ」と主張する中学生女子のハガキを読み上げて特に訂正しない姿に大人のいやらしさを感じとった、とか本当にろくなものがない(苦笑)

第四期 50の手習い
まあラジオにたいした思い入れがないとか言いながらもラジオパーソナリティ(というかヒートポップスの杉さん)はずっと自分の憧れの職業だったから、おかげさまでツラの顔もだいぶ厚くなった今年の夏、妻と息子が帰省中のタイミングで自宅でこっそり念願のラジオ番組(その名も「DJぷる兄のヒートポップス」)ごっこをやったのだった。それも合計10回も(笑)

クオリティはともかく、やってる本人はめちゃめちゃ楽しかったなあ。

そして、実は昨日もストレス解消を兼ねて、また懲りずに久しぶりにラジオごっこをやってみたのだった。

うん、確かにこれは癖になりそうだ(笑)

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