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ぼっちだらけのひとりぼっちじゃないこの世界

自分のいけない癖がまた出てしまった。

おそらく普通の人なら見逃すレベルのごく微量な他人からの悪意のパルスを受信して、それをわざわざ自分の中でエンプリファイ(増幅)して出来た憎しみの炎で自らと世界を焼き尽くそうとする

あの悪癖(Bad Manner)

が、である。

この数日の懸命の消火作業でほとんど鎮火したとはいえ、僕の心の中にはまだブスブスと不満と不安といら立ちの炎がくすぶっているのが分かる。

なぜこんなことになるのか自分でも本当のところが分かっているから、余計にイライラするのだろう。

そう、僕はその時々でただ自分らしく生きているだけなのに、なぜこんなにも頻繁に他人の悪意を買ってしまうのか?

いや、どうしてこんなにも他人の悪意を過剰に感じ取ってしまうのだろうか?

それは、決して周りが悪いわけではなくて、僕自身がこの世界や人間に対して悪意を持って接しているからそう感じるだけの話なんだよな。

普段の生活では誰よりもにこやかでフレンドリーでサービス精神旺盛なタイプの僕だけど、実際は心の片隅で、

「どいつもこいつも好き勝手言いやがって。」

「お前らなんか全員死んでしまえ。」

などと物騒なことを思っているのだ。まぁ、もちろん無意識下ではあるけれどね。

きっと、だから、なのだろう。

他人から見たらどんなにささいなことでも、自分に向かって心なく冷たい言葉の礫を投げつけられるたびに、こんなにも、本当に我ながら尋常じゃないくらい自分の心が、それこそ昔、TVCMで見たダイナマイト爆破で下の階から綺麗に崩落するビルディングの映像のように、崩れ落ちてしまいそうになるのは・・・。

そして、こういう容易に他人には理解されない異常な感情を抱いたときだからこそ皮肉にも気づいてしまうのだ。

「僕たちが今いるこの世界は他の誰のものでもなく、自分だけのものだ。」

という真実に、ね。

同じ地球上に暮らしているように見えて、実際、みんなバラバラの世界を生きている。

言い換えれば、みんな、ひとりぼっちなのである。

逆に言えば、そういう意味では、みんな、

こんな僕と同じ

なのかもしれない。

そう、普段何食わぬ顔をして生きていながら、実際は自分のネガティブな本音をずっとひた隠しにしていて、けど、どうしたってそれらをないことにはできないから、時々、どうしようもなく死にたくなったり、時々、どうしようもなく周りの誰かを傷つけてしまう

それが僕ら人間という生命体が共通に持っている基本設定なのだろう。

でも、不思議なことに、あと、もう少しだとも思っているんだよね。

そう、あともう少しで、こんな僕でも、いやこんな僕だからこそ、誰かに対して、そして何よりも自分に対して、

優しくなれるのではないかって、いう風にね。

何の根拠も確信もないけれど、そういう希望を感じているのもまた本当のところでなのある。

だから、僕は性懲りもなくまだ

完全に自分を慰めてしまうことなく

こうして今日もしぶとく生きている。

noteを書き続けている。

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