アステアみたいなステップで
高校の頃、重度の対人恐怖症だった僕は、一日のほとんどの時間を下を向いて過ごしていた。
そのせいで真っ先に当時を思い出せる光景として思い浮かぶのは、いろんな種類のアスファルトの歩道ばかりだったりする(まさにこれぞ「上を向いて歩こう」ならぬ「下を向いて歩こう」だね(苦笑))
あと、もう一つよく覚えているのは、というか困っていたことは、緊張のあまり人前で全くマトモに話せなかったことだ。何か話したくても、いつも僕の「ああ・・ああ」という出だしで、たいがい会話は終わってしまっていた。
そんな我ながらイケてなさ過ぎた高校時代のボクは、もちろん、部活など参加するわけがなく(厳密には高校1年の夏合宿の後に体育会特有の人間関係の煩わしさに嫌気がさしてサッカー部を退部したのだった)、授業が終わったら、速攻で家に帰り、当時流行っていたWOWWOWで映画三昧の日々を過ごしていた。
その古今東西の充実したラインナップの中で、当時の僕が特に夢中になっていたのが無声映画とミュージカル映画だった。
前者は、チャップリン、バスター・キートン、マルクス・ブラザーズなどのいわゆるドタバタ喜劇(スラプスティック・コメディ)の類。
後者は、ジーン・ケリーやフレッド・アステアなどが活躍したいわゆるハリウッド黄金期と呼ばれるブロードウェイミュージカルが中心だった。
どちらもセリフやストーリーといった言語的なものが主役ではなくて、あくまで、変な動きをしたり、すんごく華麗に踊り続けたり、というフィジカルな表現がメインだったから、きっとうまく喋れなかった僕にとっては、それだけで、もうとても安心できる居心地のよい世界だったのかもしれない。
その中で僕がいちばん夢中になっていたのが、
フレッド・アステア
だった。
決してジーン・ケリーみたいなハンサムガイではないけれど、喜劇役者みたいなひょうたん顔したフツーのオジサンの彼が、華麗に大胆に、そして何よりも涼しげな顔をしながらとても楽しそうに踊り続けている姿を見続けていると、
「僕もこのまま言葉をちゃんとしゃべれなくても、何とかなるんじゃないか・・・。」
という淡い希望が頭をもたげてくるほどだった。
まぁ、高校を卒業してからは、まるで憑き物が落ちたみたいに、それこそアステアに限らず、ミュージカル映画の類をほとんど見なくなってしまったけれど・・・。
そんな僕がアステアと思いがけない再会を果たすのはそれから数年後の大学3年の時だった。
彼との再会は、当時、僕が愛聴していたピチカート・ファイブの
「陽の当たる大通り」という歌の中でだった。
その頃には、あの酷い対人恐怖症もやや薄らいで数人の友達にも恵まれていたけれど、相変わらず典型的なコミュ障&陰キャ野郎だった僕は、この歌詞の中で描かれている光景のことを
これぞ自分が人生で目指すべき最高のラストシーン
といった感じで、憧れの眼差しで見つめていたと思う。と同時に、こんなフィナーレ、こんな僕が迎えられるなんて絶対にありえないよな、と絶望もしていたけれど・・・。
ちなみに、それは、こんな歌詞だった。
そして、あれから20年以上の時を経た今
僕の心境(見た目も(苦笑))はあのときの自分とはすっかり様変わりしていて、そんな僕は思わずあのエロ詩吟の人みたいになっている。
そう、今の僕は、北斗いや南斗
「なんだか行けそうな気がしている」
のである。
そう、最後は僕だってちゃんと
フレッド・アステアになって
fin
を迎えたいのだ。
そうすれば、この我ながらよく分からない闇鍋みたいな映画が終わったあとも、その中で出会えた大切な人達にたまに僕のことを思い出してもらえそうな気がするからだ。
それもみんなとてもやわらかな笑顔を浮かべながら、ね。
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