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読者がいるから。


最近は平日お仕事三昧に休日推し活&アプリ三昧でなかなか更新ができてなかったです。

推し活とは「二次元は裏切らない」こと、そう、名探偵コナンです。
コナンカフェでぶっ飛んだりアホみたいにグッズ買い漁っては眺めながらうっとりしたりしております。
アプリに関しては、登録初週の爆発的いいね祭りからひと段落、ちらほらないいねにちょっと寂しさを感じている初夏でございます。
おっと、初夏といえば梅雨に入りましたね。
私は湿度が天敵なので湿度の高い梅雨は心底嫌いなのですが、一方で梅雨の後に来る真夏が大好きなもので、梅雨が来たということは今度は梅雨が明けるしかないということ、そう考えると梅雨入りの発表を聞いてちょっと嬉しくなってしまうような、拗れた感情を持っております。

いきなり飛ばしすぎた前置きですみません。
みなさんこんばんは。ぽです。


課長「ぽさんの説明はわかりやすいよ、ありがとう」

マッチング相手「ぽさんは自己理解がよくできているんですね。素敵です。」

数ヶ月前までの私はそんな言葉かけてもらえたことがなかった。

正直自分は仕事上で誰かに説明をする時そんなに的外れなことは言っていないと思うし、はっきりとした口調で話して時には場をまとめたりもしていた。
それでもストレートに「説明がわかりやすい」と言われたことはなかった。
だから、課長にそう言われた時はとてもびっくりしたし嬉しかった(うちの課長は話術と愛嬌で転がすのが上手いのでまんまと転がされていたのかもしれないが。)。
同じようなことで、同期から「〇〇っていう趣旨の文章を書きたいんだけど接続詞がわからない、助けて〜」と嘆きの連絡をもらったとき、特に熟考することなく「〜〜って書いたらどう?」と提案してみた。
そうしたら同期は「わかりやすすぎる。さすが文学部卒。聞いてよかった!」と心底感謝してくれた。

マッチングアプリで会った人と通話したり直接お会いした時に、以前の私からしたらびっくりするくらい、自分のことを話すようになっていた。そうしたら相手から、自己理解できてるんですねと言われた。それも2人から。(嫌味ではなく私は素直にお褒めいただいていると認識しておりますのでその点に関しての議論は受け付けません。)
自己理解は、まさにnoteで目的としてやっていたものだったから、noteの目的が少なからず達成できているのかもと思うと少し嬉しかったし、それを自分の言葉で相手に伝えることができたことも嬉しかった。


そんな経験があって、
「あれ?私、文章書くの上手くなってるかもしれない。」
「自己理解ができて、それを的確に伝えることができるようになっているかもしれない。」
と思った。

「なんで?」


そりゃあもちろん
noteをやっているからでしょう。


ただ書くだけじゃない。
noteには、こんな無名なアラサー女の文章を読んでくれる「読者」がいる。

私はnoteを始めるにあたって、多くの人に読んでほしいとか、自分の意見をたくさんの人に発信したいとか、そういう気持ちはなかった。

それでも、「読者がいる」ことは認識していたから、無意識に「人に読まれる文章を書こう」と意識していた。

(無意識に意識していた??????これ日本語として変??????でも伝われ!)

読者がいるから、どうしたら誤解なく読んでもらえるか?どうしたらストレスなく読み進めてもらえるか?どうしたら読み進めようと思ってもらえるか?といったことを考えながら書いていた。
厳密には「読者がいるから」ということは意識していなかったけど、読者を思い浮かべながら書いていたというのは無意識にやっていたことだったなと。

そうやって読者ありきで文章を書く経験を積んだから、ほんの少しの期間だったけど、それが日常にも出てきて、課長や同期から声をかけてもらったんだと思う。

それから、noteで、自分の赤裸々で恥ずかしい心の内を、非難や否定もされずに読者に見届けてもらい、時には読者からスキやコメントをもらうことで、
「あ、私の心の中、話してもいいんだ」
という安心感が生まれた。
また、人に伝えることを躊躇わなくてもいいんだと、自信を持つことができた。
だから、自分の気持ちを目の前にいる相手に伝えることも自然とできるようになったのだと思う。



noteからもらったいい変化はこんなところにも。と、ちょっとびっくりしたけど嬉しかったなぁという、そんなお話しでした。

前置きが長すぎて本編が短く頭でっかちになってしまいましたね、ご愛嬌❤︎



ありがとうございました。


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