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星よ、知るならこちらまで (時を渡ったその愛、放ります)

今私は44歳。
この半年、女度が上がっている(自分調べ)

免許更新の写真がおじさんだったこと、マスク生活が終わりそうなこと、そして恋に気づいたこと。
女であることが楽しい、今まで生きてきて一番。

私が女度を上げることに、母がおもしろくないと感じていることを察して(育ってきてできた感覚により)、私は色気を纏うことを強く制していた。
2年前に母との同居を辞め、距離を置くことにして、私の精神的なたかが外れた。

女らしい、きれいな色気を纏えたら、男性にもっと素直に気持ちを伝えられたのかもしれないなと、女性ホルモン生産ラインが半分閉鎖された44歳は思う。

小学校中間にもなると、私は意識的にショートカットにした。髪を結ったりしたら、更に母に嫌われる気がして。

中学に入り、やがて初潮。
とても母に伝えられなかった。
自然なことなのに、すごく悪いことしてるみたいで、使ったナプキンはトイレのゴミ箱に入れず、ゴミ収集の日まで隠して自分で持っていた。

すぐに気づかれる。変なことしてるものだから、そらゃそういう顔される。
生理痛でうずくまることも何だか煩わしいよう。
痛すぎて、トイレから出て家の廊下で転がっていたら、何も言わず私をまたいで通っていく。
声をかけたと思ったら不機嫌に「なんなの?」だって。
ほんと泣けてくる。

変な教師の変な言葉で更に自律神経を崩されて、苦しくて悩んでるなんてことも、まさか話せなかった。

私はその時ヤンキーが好きだったけど、両思いなんて望んでいないというか、はなからそんなことはあり得ないことと思っていた。

「◯◯が好きなんだって」って教えられたり、「お前のこと好きなやつ知ってるぞ、知りたい?」と言われたりしたけど、そんなこと受容したら、やっぱり母の影を感じて苦しくなるだけで楽しめなかった。
すごく、うれしかったのにな。

入試、滑り止めで受けた私立の受験料10万円が無駄になり(本命の公立が合格したからだけど)、そのことをずっと言われた(母子家庭だから仕方ないけど)
合格しても、おめでとうより10万円…ハフ~(*´-`)

この辺り、姉は高校で彼氏ができて、学校をサボったり、夜にアパートの下で彼と話してたりしてた。
その様子を隠れて窓から見下ろして眺めて、面白くなさそうに文句を言う母。
嫉妬なんだな、と後から思った。

姉もそういうこと察していたのだろう。
短大に通いだしてから、ほぼ家におらず、その後早々に同棲のため家を出ていった。

姉は感情が激しくて、喧嘩をすると急須や傘を投げてきたり、母にもかなりきつくて、母は何かあると私を頼る。
そんなことも、この頃から始まったはず。

姉は自分の気持ちを尊重して、それによって道を作っていく強さがあったんだろな。
賢い。正解。うらやましい。

私なんて、役にでも立たないと生きてちゃダメと言い聞かせて、自分を卑下ばかり。

戦時中の人たちはもっとつらかったと、自分を戒めて生きてた(だから第二次対戦に関心があって。資料とか映像は泣いて見れないけど…HSPなものだから)

母はね、父が好きだったんだよね。
さみしいし、娘が若い女になっていくことを、1人の女としてしか見れなかったんじゃないかな、なんて。
そしてまた母も、自分の母親(私の祖母)から愛されなかったらしいから。さみしいね。

時代を越えてくる、繰り返される、複雑なかたちの愛の渡航。
人を愛することを知って、どうか知り得たら、渡航してきた複雑なかたちの愛を空にでも海にでも放って、自然に還してしまいたい。

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