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子育て集中期のトンネルを出ていた

今、小さい我が子と過ごしている全ての親の皆さんに、尊敬と労いを込めて


我が家には子どもが3人いる。とうとう1番下の子が5歳を超えた。
5歳!もうほとんど、人間としてコミュニュケーションが取れるじゃないか。
あれ?毎日がラクだ、とふと気づいた。
ここのところ、子どもに対してストレスを感じる事が少ない。
子どもたちを見るともうずいぶん大きくなっていたことに気づいた。

外へ出ると、めちゃくちゃ広かった

我が子が小さい頃、わたしはトンネルの中にいた

5年ほど前
3歳の息子と、1歳の娘、そして出てきたばかりの赤ちゃんを抱えて、
私は毎日トンネルにこもっていた。
周りが見えていなかった。

助けて欲しかった。
でもこれは自分で越えなきゃいけない壁だと思っていた。
仲間はいた。
仲間もみんな、とっても大きな荷物を持っていた。
私と同じ大きな荷物だけど、仲間のそれは少し軽そうに見えた。

今振り返ると、子供を見守ることは一人で越るべき壁ではない。
でも、誰に頼ったらいいかわかんなかったのだ。

頼る人を見つけられない

親は遠くに住んでいるし、それぞれ仕事もある。
電話をかけると、心配してくれるが、心配させている事実に情けなくなる。
本当はもっと軽やかに楽しそうに育児している姿を見せたい。

夫に頼りたいけど、夫には仕事や付き合いや、彼の時間もある。
今私が抱えているものをどれくらいわかってくれているのか?
それはわからないけど、彼なりに協力して頑張ろうとしてくれている。
そこをまずは受け止めよう。

親しい友だちと息抜きに喋るのはすごくいい。
でも相手の時間を奪うようで申し訳ない。
そしてその充電も余裕も、子どもの癇癪が5分続くとなくなってしまう。

一緒に子育て集中期を乗り切った同志が引越し祝いにくれた花瓶

勝手に穴の中に入る

絶対に死なせてはいけない命を3つ抱えていた。
やる事が山盛りあった。
食べさせる事、寝させる事、衛生環境を守ること。
どれも理想のレベルに達しない。

毎日起きたら布団クリーナーをかけているというママ友の話を聞いて凹み、
今月の食費は3万円で抑えられたとお弁当を持参する人を本気で尊敬し、
私だって毎日ごはん作ってる偉いやんと自分を褒めた日に
「こんなの食べたくない」と子どもが食べてくれない。

いつもギリギリで小さなことに感情的に怒ってしまい、
私よりひどいママはこの辺にはいないんだろうな、
ごめんねママが私でと本気で落ち込んだ。

わたし以外のママ友たちは、きっと強い結びつきがあるんだろうなと感じていた。
予定が立てられず、今日の晩ごはんも計画できなかった。
常に、部屋も頭の中もやることも、散らかっていた。

昨日「だが、情熱はある」最終回を観た。

当時若林さんのラジオを聞きながら、「良かったねぇ」と思っていた。
そして疑問だった。
なぜその話を繰り返し繰り返し、持ち出すんだろう?
もう片付いていることじゃないの?
もうあっち側なんだから。もうしんどくないでしょう?

でも、あっち側に来てしまった今、わかる気がするのだ。
あの時のつらいのに誰にも助けてって言えない5年前の私が、
ずーっと私のことを見てる。

そのひんやりとしたさびしさと、無力感。

そこら中にあの時の私がいる気がする。
何かしてあげたいけど、もう手が届かない。
私には、もう本当には、わからない。

あの時の私に、どうか生き延びてと、祈ることしかできない。


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