思考の流れのスケッチ
音楽を聴くと体からなにかが抜けて気持ちいいけど、抜きすぎるといよいよ文字が書けなくなる。ドゥルーズがカフカに対して「歌わないことで体中で歌っている」(うろ覚え)みたいなことを言っていて、溜めておくことも大事だと思った。溜めすぎると今度は抜くのが難しくなって、抜くために訓練が必要になるから、塩梅が難しい。
実作であれ鑑賞であれ、空っぽになってもいいと思えるような大きな作品に向き合うのがいいとされている。されているけど、最近は空っぽにならなくてもいいという思想も一般に認められやすくなった気がする。死を回避した安全な作品。訂正可能性の哲学。
たしかに命をすべて消費してひとつのことをやるには、今の時代は速度がはやすぎるのかもしれない。自分の人生のすべてが速度によって簡単に「消費」(この言葉で合っているか?)されてしまうのは耐え難い。
なにかを考えるにはあまりに早く、それでいてあまりに動きがない時代だ。だから細やかにフィットさせる。体を水の流れに馴染ませるところから始める。
でもそういう安全さにどうしようもない欺瞞を感じてしまうのが人間だ。たとえ大きく間違えていても全てを賭けている人をみんな信用する。サルトルのねばつき。カルチャーに特に興味のないあの人が好きになるのはひとつの命をフルにベットしてことに当たっている人物ばかりだった。彼女の判断はどうしようもなく正しく、あまりに間違えてくれないので、ウザったい。
鑑賞者として堂に入った人間というのは、小品を好まない。長大であればあるほど信用に足る。少なくとも著者から嘲笑されることはない。なぜならその場合一番割を食うのは必ず著者だからだ。そして音楽で命を燃やす人がまた眠りに落ちる。
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