生粋のB型人間

私は生粋のB型人間だ

物事のこだわりようが半端ない

特に自分の興味の持った分野や、家事の一部においては細部までこだわる

他人にそのこだわりを押し付ける訳ではなく、自分の中で納得がいかない事をそのままに出来ない癖がある

要するに『癖が強い』人間なのだ

例えば家事でいうと、掃除は苦手(腰が重い)なのだが、洗濯は大好きだ

なぜかというと、洗濯には『終わり』がある
洗濯機のボタンを押し、機械の音がなったら取り出して干す
この一連のスパッとした作業が潔くて好きなのだ
(衣類の8割を、洗濯ネットに一つずつ入れる作業が洗濯前に発生するが☜これがこだわり)

掃除に終わりは見えない

ここが汚れている、あそこに埃がまだある、あっちもやらなくちゃ!
という追求し出したら、キリがない、『果てしない』=終わりが見えないということ

『終わりが見えない』物事をいつまでも追いかけていると、ストレスが蓄積して、いてもたってもいられなくなってしまう

だから、家事はサラッと何も考えずに出来るものを優先し、苦手な家事は(こだわってしまうもの)、ご褒美を用意して(甘いものや飲み物など)、なるべく手短に済ませる

そうすることで、ダダ下がりの気分を上手く上げつつ、継続することが出来る

家事のもう一つ、『洗い物』も私の得意分野だ

洗濯と同じく、『洗う』という点ではそっくりだ

もしかしたら前世は『アライグマ』だったのかもしれない

それくらい、付着した汚れを取り除くことが快感で仕方ない

お皿もこびりついた汚れが嫌いで、丁寧すぎるほど神経質に洗ってしまう(少しの食べ残しの付着も許せない)

洗い終わると同時に、心まで洗われた気がして
スッキリさっぱりとした気分になる

家事の大変さを夫が理解し、食洗機を購入したものの、もう半年ほど使っていない(1、2回くらいは使用したかもしれないが)

夫からは『せっかく買ったんだから使ってよ』と言われている

確かに、2年ほど前に購入した当初や、新婚時代に備え付けの食洗機があった頃はよく利用していた

それは、頑張って料理を作っていた頃だった(苦笑)

最近は、色々な事において手を抜くことを覚えた

それにより、洗い物も激減し、私が皿洗いが実は好きだったという事実に気づいたのだ

そういえば、昔レストランでアルバイトしていた時にも、グラタン皿などのねちゃっとした汚れか取りにくいお皿でさえ、洗いたくて仕方がなかった

『どんどん下さい!私が洗います!♪』というように

やはり『アライグマ』の血が流れているような気がしている

洗い物の話ばかりとなってしまったが、私のこだわりは半端ない

半端ないからこそ、手を抜く部分を作っていかないと、全てを完璧にやりきることは不可能なのだ

家事は数え上げたらキリがない、掃除が好きな人で、料理も完璧にできる人はいるのだろうか(いるのかもしれないが)

自分の得意な分野に全力を注げているのならば、後は多少目をつぶってもいいのではないだろうか

完璧に家事をこなせる人間はロボットに近い

もし家事ロボットなどというものが存在するのならば

『主婦』という立場はいらなくなるだろう

出来損ないの主婦だとしても、選んでくれる相手がいる

それだけでも生きている価値がある

生粋のB型人間由来の考え方で締めくくろう





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