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『読書する人だけがたどり着ける場所 齋藤孝』

私は今まで、ほとんどSNSをやってこなかった。

大学時代に流行ったmixiに始まり、Facebook、Instagram、皆がやっているから私も...と始めてみて数回は投稿したこともある。
でもすぐに見る専門になった。そのうち見ることにも疲れてしまい、意図的に見ないようにした。

友人からは、ものすごく面倒くさがり屋だと思われているようだ。

私がまず初めにmixiに挫折したのは、面倒だからではない。
ひとたび記事を投稿すると、誰がそれを読み、コメントをくれるか、気になって気になって仕方ないのだ。
そして、反応が薄いと誰かを嫌な気分にさせてしまったかもしれない..と落ち込む。

ある意味私はとても自意識過剰なのだ。
誰もそんなに気にしてないのに、誰よりも自分が気になって仕方なかった。

そうゆうわけで SNSとは距離を置いていた。

SNSは私にとって、意識が全て他人に向けられるツールだった。

一方、読書は私にとってなんだろうと考えると意識が自分に向けられるツールのように思う。
読書をすると自分と向き合うことになる。

『本よりアニメの方が分かりやすくて良いなぁ』と言っていた娘が
『本を読んでいると、本当に自分がその世界にいる気分になるんだよねぇ』とも言っていた。

確かに視覚的には文字だけの本よりも、テレビや動画の方が分かりやすく、想像力も膨らむように思える。
でも実際に自分がその場にいるような、著者の話を直接聞いているような、そんな錯覚が起きるのはやはり本を読んでいる時だ。

逃げ出さずに最後まで話を聞くとどうなるか。それは「体験」としてしっかりと刻み込まれます。読書は「体験」なのです。実際、読書で登場人物に感情移入しているときの脳は体験している時の脳と近い動きをしているという話もあります。
中略
自分一人の体験には限界がありますが、読書で擬似体験することもできます。読書によって人生観、人間観を深め、想像力を豊かにし、人格を大きくしていくことができるのです。

読書する人だけがたどり着ける場所 

誰かの体験や物語に感情移入して、その世界に没頭し、他人の感情を想像し、自分ならどうするかを考えることによって、自分と向き合う。
それが読書の意義なのかもしれない。

でも、読書から得た自分の考えや自分の言葉をやはり、アウトプットしたいと思うようになった。

心に残った言葉を手帳に書き記したり、一度読んだだけでは理解出来ない内容をノートにまとめたりというアウトプットはしてきたが、やっぱり誰かに読んで欲しいという気持ちがあった。

そんな時に出会ったのがnoteだ。

noteは、今までのように皆やってるから..という理由で始めていない。初めて自分の意思で始めた。

自分と向き合い、他者にも意識を向ける。
読書をして、noteに自分の思いを綴る。

そんな風にインプットとアウトプットを自分なりにしていきたい。

本書を読み、改めて本との付き合い方、インターネットとの付き合い方を、自分なりに構築したいと思った。

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