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ソウゾウとフカン。

こんにちは。

この1週間、数年ぶりに熱を出してがっつりダウンしていて、特に書くことがありません。ただ、健康って大事だなぁと思いました。

あと近況といえば、熱を出したから、という理由だけではないのですが、8月後半予定していたことを予定からなくしました。
色々重なった結果なのですが、今回のことから学んだことは、ふたつあって。
1つ目にいくら魅力に感じても縁がない時は縁がない。2つ目はコミュニケーションひとつで信頼が上手く築けないこともある。です。特に2つ目に関して、たとえ顔が見えないテキストコミュニケーションであっても、その文面に人柄やその人の誠実さが表れるということを学びました。多くは語りませんが、今回はとりあえず縁がなかったし、今後のコミュニケーションに生かそうと思います。

はい。ここからは、ほんとうに特に書くことがないので、意味は無いのですがタイトルだけ入れて2ヶ月くらい寝かせていたこの記事を書き終えたいと思います。

テーマは、タイトルの通りソウゾウとフカンで、私が中学高校と続けた部活の中で大事にしようと思ったことと、これから伸ばしていきたいと思っているスキルのお話です。

想像と俯瞰

まずは、想像と俯瞰の話をします。

私は中高の6年間吹奏楽部に所属していました。私の部では、部長の他に、パートリーダー、学年リーダー、マーチングリーダーなど色んなわけ方でリーダーがいて、それとは別に部内の係組織もあって成り立っていました。

部活動で、想像と俯瞰の大切さは日々感じていましたが、いちばん感じたのは係での活動です。私は、プロデュース係という学校外での演奏の機会全般(地域の夏まつりや市民センターで行う他校との合同演奏会など)の仕切りをする係をしていました。かなり仕事量が多いうえにミスると学校外の方にも迷惑をかける仕事で、キツかったけど楽しかった思い出です。

想像は、準備の段階でどれだけ当日起こりそうなことを想像できるかが当日の善し悪しを決めると思うから、この言葉(概念?)を心に留めていました。それで、できるだけリアルに、色々なパターンを想像するためには全体や自分も含めたそこにいる人のことを正しく俯瞰する必要があることを学びました。あと、70人近くいる部員に臨機応変な対応を求めるには、的確な指示を自分が瞬時に出せることが必要で、そのためにも俯瞰する力はなくてはならないのだと思っています。

多分自分の中にもっと伝えたい伝えるべき想いや出来事はあって、それが自分でもあまり上手く伝えきれていないなと感じる文章で申し訳ないですが、とりあえず想像と俯瞰の話はここまでで、次は創造と不感・不完の話にします。

創造と不感・不完

これらのソウゾウとフカンは、私がこれから伸ばしたいと思っているスキルです。

創造は、クリエイティブな感じをイメージしてもらいたくて、ふわっとしているのですがもっと自分の中から溢れるものを他者に発信できるようになりたいと思っています、ということです。生活面仕事面に限らず種々のアイデアもそうだし、なにかを作ることもそうだし、「知って欲しい自分を伝える」「自分が知って欲しくない自分の一部も(相手やタイミングによっては)伝えられる」「伝えられる言葉を創造できる」そんな人間になりたいです。

不感は、自分が結構気づかなくてもいい事まで気づきがちだなと思っていて、だから抜く時は抜く、必要以上に気づきすぎないことを大切にしたい、ということです。

不完は、多分日本語的には実在しない言葉だけど、私が思う不完はやりきらないこと、完璧を求めすぎないことです。創造に書いたこととも通ずるけど、自分が知って欲しくない自分の一部を出してもいいのかもしれないと最近思うようになって、そのためには全部を全部やりきらないで誰かを頼ることも必要なのかもしれないと思いつつあります。

また私のソウゾウとフカンに新しい意味が追加されたら書きますね。

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