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「聞く」はぐるぐる回していくもの。

ものごとは、きれいに回っているものだなぁと思う。
回るというか、巡るというか。

子どもの頃のお仕事に、隣の家に回覧板を届ける、というものがあった。
ゴミの当番表とか、地域のお知らせとか、そんなものだったと思う。
「見ました」という印鑑を押して、何件かを順に巡っていくそれは、決して途中で止めてはいけないものだった。
うちで止めたら、隣の家はもちろん、そこから先のご近所さんに、大事なお知らせが伝わらない。重要な仕事だと言われて、子ども心に「責任感」を持って回覧板運びをしていたように思う。
今もあるんだろうか。回覧板。

「わらしべ長者」というおとぎ話では、1本の藁が巡り巡って、千両のお金になった。
「金は天下の回りもの」というけれど、お金も財布の中にとどめておくより、使って回したほうが、社会は活性化する。
何かをいいなと思っても、思っただけでは広まらない。
「いいな」を回していくのが、世の中のお仕事のような気もする。

最近読んでいる臨床心理士の本「聞く技術、聞いてもらう技術」によると、「聞く」もグルグルと回していくものだという。

例えば、うちの妹はなにかあるたび、昼夜を問わず母親に電話をし、愚痴を吐く。うちの母親は、時折げんなりしながらも、「聞いてあげること」が親の役目として、ひたすら彼女の愚痴に耳を傾けている。
妹から母へ、この場合、「聞く」は一方通行だ。
が、ひとしきり妹の話を聞き終えたあと、母は私に愚痴を吐く。
妹から母へ、母から私へ、「聞く」が回っていく。
一方的に聞くばかりでは、聞いた方にストレスが貯まる。
だから、「聞く」もどんどん回していったほうがいい。
確かに、と思う。

子どもの悩みを親が聞く。あるいは部下の悩みを上司が聞く。
悩みを聞いた親や上司は、自分だけでどうにかしてあげとうと思ってしまう。そして、意外に、その心的負担は大きいという。
であれば、伴侶や自分の親、さらに上の上司や同僚に話を聞いてもらう。それを聞いた人は、また別の人に聞いてもらう。
決して、秘密が筒抜けにされるわけではなく、話を聞く負荷や責任を、循環させていくことで、「聞く」余裕が生まれ、次第に「聞く」社会になっていくのだという。

話を「聞く」と「聞いてもらう」はセットで回していくといい。
聞き役ばかりではなく、ときには聞いてもらう。
誰かを助けたら、誰かに助けてもらう。
誰かに何かをしてもらったら、誰かに同じように返していく。
「恩送り」というやつだ。恩も回していくといい。

人の愚痴を聞いて、「どうしたらいいのよ〜」と自分も愚痴を吐く。
それで少しすっきりしたような母親を見ていて、「聞く」は回すものだなと、あらためて思った。
なんでも、留めず、回していこう。









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