見出し画像

首が曲がらないのに腰だった話と、「思う」と「考える」は違う話

ごくごくたまに、壁を登りにいく。
ボルダリングというやつだ。
壁にボコボコ付いている小さな岩みたいなやつに
手(指?)を引っ掛けて、急斜面を登っていく
スポーツというか、アトラクションというか
そういうやつ。
腕力が小学生並みで、
ペットボトルの蓋を開けられないこともある私には
かなりハードルの高い趣味だが
これ、実は、手(腕)の力で登るわけではない。
足腰の力を使って登っていくのだ。

年末、仕事のしすぎで首が回らなくなった。
比喩ではなく、本当に首を左右に振れない、振り向けないのだ。
困った私は、駆け込み寺のように
「神の手」と仰いでいる鍼師のもとを訪ねた。
鍼師は私の全身をかる〜く触診し、
あろうことに、腰をバキバキ治療し始めた。
曰く、「腰ですね」だった。
首に鍼を打たれる気満々でいったのに、
腰に鍼を打たれて、
なんというか、拍子抜けだった。
が、実際、腰の治療が首に効いた。
実は、問題の解決策って、
そのものとは遠いところにあったりするもんだなぁ。

なにかに突然ハマるとき、
首じゃなく腰、みたいなことが起きる。
手じゃなく足腰、みたいな。
ハマる要素はもともとあったのだろうけど
自分がそこに気づいていなかった、みたいな。
ハマりものだけじゃない。
問題の解決策が
まったく違うところから見つかることがある。
険悪だった夫婦仲が良好になった途端、
営業成績があがった、とか。
私の好きな本当の話で、
癌で闘病していたおばあさんが
韓流ブームで『冬ソナ』ペ・ヨンジュンにハマり
彼に会いたい気持ちから
癌が治っちゃったという奇跡があって
何が病気を治すきっかけになるか
わからんものだと感動したものだ。

話は変わって。
いま面白く読んでいる本の主人公が
タコ(蛸)の中学生なのだけれど
彼にヤドカリのおじさんが話す言葉が
個人的にツボだらけで
興奮の連続。
そのひとつが、

「なにかについて『考える』ことと『思う』ことって、
どこが違うんだろう?」

「考える」と「思う」の違い……
わかるようで、わからない。
答えを知りたい!ってなるよね? なるんだなぁ。
で、ヤドカリおじさんの答えが、すごい。

「『考える』と『思う』の違いはね、
『答えを出そうとすること』にあるんだ」

そっかぁ!
もう私までタコの中学生と一緒に頷いたもん。
「いいね」押しまくりだもん。
この答えを読んで、ひれ伏すレベルだもの!

そう、「思う」は頭の中でぐるぐるするけれど、
答えを出そうとした途端、「考え」だすものだと思う。
たとえば、私と韓流エンタメナビゲーターの田代親世さんがやっている
You Tubeチャンネル「ちかちゃんねる☆韓流本舗」では
視聴者の方から、時々アンケートをとって発表しているのだけれど
これが実に練られた文章で、面白いのなんのって。
たとえば、「あなたが推しに出会った理由」
彼女たちはお題を与えられ、
これまでは頭のなかでぐるぐる思っていただけのことを
「書く」という作業のため、
「伝える」という作業のため、
答えを出すため、考え始める。
その結果、素晴らしい文章が、考えが綴られていくわけ。

話は行ったり来たりになるけれど。
「思う」と「考える」は繋がっているんだろうけど
「思う」でとどまっていると
結果は出なくて。
同じように、首だよ首、と思っていると
腰の悪さが見えてこないというか。
ここ掘れわんわんと言われたからといって
「ここ」を掘るばかりじゃなく
意外なところに旅することで
宝物が見つかったりするものだよなぁと。

今日も今日とて、話がまとまっていない感満載だけど。

まったく関係のないところから
思いがけず答えが出たり
好きが見つかったり
そういうことがあるから
「ここ」だけにこだわらず
あちこち出かけてみようと
思ったりしている。


あ、
答えは見つけるものじゃなく
答えは出すものだ、というセリフをどこかで見て(読んで?)
心のメモに書いてあるんだけど。
(なにで見たんだったけなぁ……)
この言葉も、いいよね。

*タコの話
「さみしい夜にはペンを持て」(著:古賀史健)

*ちかちゃんねる☆韓流本舗


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?