「自分がされて嫌なことは人にしない」について

時々議論になっているこの言葉について考えてみます。
私はこの教えは正しいと思います。相手が何が嫌かまだわからない場合にはこの言葉を行動規範にしています。
しかし全てにおいて万能であるとは思いません。人によって嫌なことが違うのは当たり前の事だからです。
当然自分基準で考えると相手の嫌がることをしてしまう可能性もあります。その場合は相手から指摘されたときに直したらいいと思います。

※一般的に「人にしてはいけないことは何か」を考える場合においてはこの考え方は不適切であると思います。自分を基準にしか考えないというのはよくないと思います。
今回の場合は自分を基準にしている云々の話ではありません。

相手は嫌じゃないかも~について

ときどき自分はされたら嫌だと言っていたことを他人にしてしまい指摘されたときに「自分はされたら嫌だけど相手はそうではないかもしれないからやった」と言う人がいます。それには疑問が残ります。
自分がされたら嫌なのにも関わらず敢えて人にすることは善意でやったとは思えません。仮に相手を喜ばせようとしてやってことだとしてもです。
だけどご自身はそれをされたくないんですよね?となります。

この考えは同時に自分を守れなくなります。
例えば、(極論になるかもしれませんが)A自身は批判されたくないことを自覚しているのにも関わらず、「相手Bは批判されるのに抵抗がない・むしろ批判して欲しいタイプかもしれない」と勝手に判断してBを批判した場合、Bに同じことをやり返されても「批判するな」と文句は言えません。
なぜなら相手Bからしたら「Aは批判されることに抵抗がないから自分もしてるんだな」と捉えるかもしれないので。争いのもとになります

自分は嫌なのに人にはするという人はレアケースかとは思いますが。

では、自分が嫌じゃない事は人にしてもいいのか

タイトルの言葉に否定的な意見を持つ人はこういいます。
基本的には(犯罪・迷惑行為など一般的にみて多くの人が嫌がると考えられる場合を除き)しても問題ないと思います。※ただし、相手が何が嫌かわかっていない状況であればです。
繰り返しになりますが当然人によって嫌なことは違いますから、相手に「これはしないで」と言われたことや明らかに嫌そうだった時はたとえ自分が嫌じゃない事でもしないようにするべきです。

まとめ

①相手の事がよくわからない場合は、「自分がされたら嫌なこと」を基準に考えるのが無難。相手が何が嫌かわからない状況下においては少なくとも最低限の事だという認識です。
②自分が嫌じゃなくても相手が嫌そうなら/相手に嫌だと言われたら、しない。
③「自分は嫌だけど相手は嫌じゃないかもしれないからする」ことはやめたほうがいい

この理論を人に言う場合、
「自分がされて嫌なことは人にしない」
「ただし嫌なことは人によって違う。自分基準で考えるだけでは視点が狭いので相手のことも尊重しよう」
この2つはセットかなと思います。


タイトルの言葉だけではすべてをカバーできる理論ではありません。
自分がされたくない事をしないことは前提、その上で相手がしてほしくない事はしない、でいいのではないでしょうか。

補足
自分はされたら嫌だけど、相手がそれをしてほしいと望んでいる場合はどうか
・私は少なくともしたくありません。逆の立場でも相手には求めません。
例え①私が客先で何も聞かれず苦手な飲み物を出されることが不愉快だとすれば、自分ならまず相手にそれを出していいか聞くようにする、ということをします。その飲み物を望んでいる相手に、自分が苦手だからといってそれを出さないという意味ではありません。
例え②私が服屋で話しかけられることが嫌だという場合、私は服屋に就職しません。

・自分はされたくないが相手はされても構わない、ならしません。


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