見出し画像

がんだと家族から聞くのは厳しすぎる?

前回の続き
吐きまくって救急で入院になった翌日、病院へ面会に行く。
私は救急の先生から聞いてがんが確定したことを知っているけど、夫は知っているのだろうか。

がんだと家族の口から聞くのは酷なんでしょうか?
誰から聞くのが一番望ましいのでしょうか?


聞いてない、か

もともと最初に夫がLINEで「すい臓がんの疑い、がんならばステージⅣ」と直球を投げてきたせいか、私は救急の先生から検査結果が出ておりがんだと診断がついたことを告げられても動揺もしなかった。

かといって、救急からそのまま入院した夫にLINEで「先生👨‍⚕️からがんだって聞いたよ~👂」とかはさすがに言えなかった。

入院翌日、面会に行き、まずは認識のすり合わせをしてみる。
夫は鼻から管を通されて胃の内容物を出しながらだったが、昨日の救急での処置について話してくれる。原因と対応は同じ認識かな?
原因:十二指腸が狭くなって胃から下に食べ物が流れなくなっていること
対応策:十二指腸を広げるステントを挿入すること
うん、ここまでは同じ認識だ。

そうなると次の疑問があるはず ー”なぜ、十二指腸は狭くなっているのか”。 
鼻からチューブの出ている夫に向かって聞いてみる。
「どうして十二指腸が狭くなっているか、聞いた?」

そこは聞いていないらしい。検査結果が出たことも聞いてないという。

冷たい妻

ところで、他の患者さんの体験談を拝読すると、医者から告知されて頭が真っ白になったとか、泣き崩れたとかと聞く。
私が冷たいのかもしれないけど、ショックを与えるかもしれないから言うのをやめようと思うたちではない。
私の母は私が物心つく前から精神を患っていて、しょっちゅうてんかんを起こしては倒れた。そんなときに「大丈夫?」といって駆け寄るのは意味がないと子供のころから思っていた。大事なのは、料理中であれば火を消すなり、後を引き継いで料理を焦がさないようにするなり、ゲロゲロしている母の口回りをケアしたり、頭を床に打ち続けないように座布団を頭の下に敷くことだった。
小学校で誰かが怪我をすると女子がこぞって「大丈夫?」と言って駆け寄るのに慣れなかった。必要なのはその場に対応するソリューションであって、今この瞬間に必要なのは先生を呼ぶとか、傷を洗うとか、ばんそうこうの有無を確認するとかだと思っていた。
「大丈夫?」と声をかけることも価値のあることだと思えたのはずっと後になってからのことだ。とはいえ今でもその場への対応策を最優先にしてしまうことがあり、自分は冷たい人間なんだなとは思っている。

告知

話がズレたけど、夫に「検査結果はがんでした」と告げる話に戻る。

検査結果が出ていること、見立てのとおりがんで間違いなかったことを告げる。夫は鼻からチューブを出した顔でまっすぐ私を見ている。動揺はない様子。うん、さすが我が夫。冷たい妻と30数年やってきただけのことはある。話を淡々と聞いている。本人の心の中は見えないけれど。

「生検検査の結果は見立てどおりがんで、大きくなったがんが十二指腸を圧迫しているらしい」

言ったぜ。

正解もないし

夫がそれぞれの段階でどう受け止めていったのか、どんな思いだったのか、知ることは難しいと思っている。言語化できない部分もあるだろうし、言語化されたものを間違って受け止めてしまうこともある(よくある)。
表情やしぐさ、言葉の端々にしても結局それは妻の勝手な解釈に陥ってしまう。

私の実の姉は病気のことを伝えたら泣き崩れたりしたのだけど、そうするのがいいのだろうか? いいか悪いかでリアクションするものでもないのだろうけど。うーん、道に倒れて誰かの名前を呼んだりしても解決しないだろ、と思ってしまう妻。まぁこんなのを妻にしちゃったんだから、やっぱり直球を投げられてしまうのは想定内としていただきたい。球をよけるなり、打ち返すなりは夫の自由だし。
とはいえ、もっと長生きするものだと思っていたのに、すい臓がんステージⅣとはお互いに想定外だったけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?