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Web小説が書籍化されても同じ小説とは限らない 第二章第三話

第二章第三話 突き抜けた個性とは

 そして、Web小説のそれらの縛りをクリアしながら、ライバルに差をつけるにはどうすれば……。

 それがわかっているのなら、そしてそれができているなら、私もデビューしているはずなので、論説するのも気が引けますが。
 ここで言及しないのも、片手落ちのように思います。ですので、サクッと書いて通過します。

 もし、突き抜けた独自性をと考えるのなら、自分のフェチ、すなわち変態性を、どれだけ恥ずかしげもなく書けるかどうかじゃないでしょうか。

 自分が何に執着を示す変態なのかということを、小説を通して豪語する。
 その時、書き手に少しでも躊躇や恥の感覚が生じると、ストーリーにも、それが透けて出てしまう。
 私は自作の投稿作への批評の中で「まとまってはいるが、決め手に欠ける」。
 そう、何度指摘されてきたことか。

 針を振り切ってしまえない踏ん切りの悪さが、作品としての勢いであったり、インパクトの弱さに通じてしまう。
 だからといって、書き手がキャラを演じさせても、小説を読めば『真正・頭おかしい人』かどうかは、伝わってしまいますよね。どうしても。

 明治末期から昭和初期にかけて活躍した文豪の谷崎潤一郎だって、ドM変態の総合商社。太宰治だって、メンヘラの帝王。何ごとも極めれば、文学やエンターテイメントに昇華させることができますよ。

 だから、人には絶対知られたくない自分を描く。
 谷崎潤一郎も三島由紀夫も太宰治も坂口安吾も、みっともなくて情けなくて、ろくでもない自分をネタにした人。恥をかけということです。

 だけど自分は普通だという認識があるのなら、その『普通』さを全開しましょう。前面に打ち出しましょう。あなたがどれほど『普通』であるかを、書くのです。

 それでも、黒船ペリー来航以来のカルチャーショックの変態作家が出現しても、奇抜なアイデアだけが抜き取られ、あっという間に『検索ワード』にされてしまう。そして、書店には似たような作品が溢れかえる。

 そのスピードといったら、Webの特性そのものといっても過言ではありません。

 類似品が乱立すれば、頭ひとつ抜きん出たはずのアイデアもマンネリと化し、その系統の売上も、どんどん頭打ち状態になっていく。ラノベ作家と出版社の苦悩は尽きません。

 なんだかWeb小説で個性を打ち出すには! を書くつもりが、筆者の愚痴っぽくなってしまいました。すみません。
 次章からはWeb小説と、紙媒体の小説に対する脳の反応について、掘り下げて書きます。

Web小説が書籍化されても同じ小説とは限らない 第三章Web小説と文学の脳内ツール | 記事編集 | note

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