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【覚え書き】2024SS(Tokyo)8/31/2023 

じぶんで見えるじぶんのからだ、手を伸ばして触れた腿の裏、内部から微細な音や振動を伝えてくる内臓部、ずきずき痛むこめかみ、他人の視線を感じる背中……。僕らの身体感覚はいつも断片のように散らばっている。それらの断片を縫うようにして、想像力が「わたしの身体」を一つの全体像として描き出す。ぼくらの存在はその意味で一種のつぎはぎ細工だ。想像力が頼りなのだ。想像力が衰弱すると、かろうじて服がそれを支えてくれる。服が想像力をもう一度かりたてる。
(中略)
このごろよく見るようになったつぎはぎの服や、糸のほつれた服、透けた服、しわくちゃの服、穴の空いたままの服は、僕らのそういう存在条件を連想させる。それにしても一体どうして、そんなみすぼらしい服が、ぐっとドレス・アップした服装に劣らず、あるいはときにそれ以上に気持ちがいいのだろう。
僕らはもともとちぐはぐな存在なのに、多くのファッションはそういう根源的な貧しさをむしろ隠蔽し糊塗するようにゴージャスやエレガントを装う。

鷲田清一『ちぐはぐな身体』(筑摩書房、1995年)



https://www.fashion-press.net/collections/19028



今季より拠点をマドリードから東京に移したSHOOPのコレクションが国立競技場の地下へと続くスロープを使って発表された。テーマは、デザイナーが感じとる「東京」のイメージだという。


https://www.fashion-press.net/collections/19028


今季のコレクションでは、スリットや透け、ほつれ、ニットの粗い編み目などがそれぞれのアイテムの各所で用いられている。



しかしこれらが、いわば「東京の洗練されたエレガンス」を提示するために用いられているところに面白みがある。



寸足らず、つぎはぎ、ちぐはぐ、だぶだぶ、よれよれ、やつれ、しわしわ……要するにエレガンスやシックという美的価値からうんと隔たった服だ。

鷲田清一『ちぐはぐな身体』(筑摩書房、1995年)





川久保玲らが生み出した「美的価値からうんと隔たった服」は、もともとはエレガントやシックであるということから断絶された服であり、それは「ファッションにおける「美」の基準から外れていることによって意味を持つモードに抗するモード、すなわちアンチ・モードであった。



モードから下りるモード、みずからの終焉を演じてみせるモード、そう言うモードが、最新モードになっていると言う逆説的な現象を、ぼくは、アイロニカルな意味を込めて「最後のモード」と名付けたことがある。

鷲田清一『ちぐはぐな身体』(筑摩書房、1995年)


鷲田が言うところの「最後のモード」は、現在に至るまで繰り返し数え切れぬほどの延命治療を受けている。



延命治療が繰り返される過程で、「寸足らず、つぎはぎ、ちぐはぐ、だぶだぶ、よれよれ、やつれ、しわしわ……」が「美的価値からうんと隔たった服」という意味を持たなくなって久しい。



2023.09.01 0:38

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