天は赤い河のほとりで桜木みなとさんを好きになった話

これに触れずには私は宝塚を語れないのです。

初観劇は宙組の天は赤い河のほとり。
その前から家族が宝塚にはまっていて、私も各組応援している方がいるくらいで、宙組ならずんちゃんかなーぐらいの感覚でした。原作は最後まで読んで予習ばっちり、twitterのレポを読んでるとどうやらずんちゃんのザナンザがすごくいいらしい、これは注目しなきゃ、といざ劇場へ。

もうお芝居の最初から最後まで目が奪われっぱなしでした。
何が刺さったってセリフにもどこにも書いてないけど表情見てるとビンビン伝わってくるユーリへの愛。時間の都合上ストーリーとしてはカットされてたけど、原作では描かれていたそこの片思いが確かに舞台上で表現されていて、もうそれにただただ感動して。

正直なことを言うと、それまでミュージカルの演技にはちょっと苦手意識があって。大変失礼ながら、テレビとか映像で見るお芝居と比べて、舞台上だとなんかすべてがオーバーリアクションなイメージがあって。でも、桜木さんの演技を見てそのイメージが完全に覆されました。

舞台上にザナンザがただ在って、何十年かのザナンザの人生の最後の数日間を目撃しているような気持ちになって。ああきっとこの人は小さいころから真面目で優しかったんだろうなとか、幼いころに生涯兄を支える覚悟を決めて生きてきたんだろうなとか、もうそれがあくまで一つのキャラクターであることを忘れてザナンザという一人の人物に引き込まれてしまって。しかも、時折見せるユーリへの表情が愛にあふれてるけどそれが実らないことも分かってるからどこか苦しそうで。ザナンザの人柄を考えるとその表情を人に見られることはきっと本意ではなくて、桜木さんとしてはそれも観客に向けてやっているんだろうと分かっていても見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって。誰かのお芝居を見るだけでこんなにいろんな感情が出てくるんだ、ということにも驚きました。しかも観客に見ちゃダメなものを見てしまったような気にさせるって、それって頭の中ではどこまでも見られることを計算してやっているだろうに私たちが目にする演技は全く観客の方を向いてないんですよ、感情の矢印が。ザナンザはただその世界の中で生きているだけで、まさかそれが演劇として大勢の人に見られてるとは夢にも思わない、みたいなその生々しくはないけどリアルさというかちゃんと体温のある現実感みたいなものが?あって。(自分が何が言いたいのか段々分からなくなってきたぞ)

特に忘れられないのは祭りの後のシーン。祭りのシーンでの楽しそうな表情、でもカイルとユーリが楽しそうにしてるのを見ると急にさみしそうな顔になるところ、そこから舞台をそっと去るときに残していく何とも言えない顔。この去り際の表情が、私が観劇したときとそのあとのいろんな映像を見比べるとそれぞれ違う表情をしていて。同じシーンだけど、公演を重ねるごとに「苦しそうな顔」→「苦しそうだけど自分の引き際を悟る顔」→「二人の仲を心から祝福する顔」になってるんですよ、私がそう読み取ってるだけかも知れないけど。それを目にしたときに完全に桜木みなとという舞台人に惚れこみました。どの感情もザナンザという人物としては大正解で、でも公演回数を重ねるごとに少しずつ進んでいるその感情も全部正しくて、そこを毎回変えてくる遊び心というか何回もある公演の中でいろんな正解を見せてくれるのかこの人は、ってもうこれは好きになるしかない。それでどのくらい心を奪われたかというと、ザナンザが亡くなってからも生きていたらそこに立っていたであろうカイルの横のスペースをその後もずっと見てたくらいです(重症)。


そこから、もう完全に舞台人桜木みなとに惚れこみました。この人の演技をこれからもずっと見ていたいと思ったし、お芝居を観ることってこんなに面白いんだって気づいたし。今では映画やドラマのような画面の中のお芝居を見ることも好きになったけど、今でも誰かの演技を見るときに好きな人の基準になってるのはきっと無意識だけどずんちゃんのザナンザなんだろうなって思います。


キリがないので以上!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?