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「エントシャイデン/entscheiden」 序章

<あらすじ>
超ハイテンション鬱系ヒロインがダークモードの異世界で喋り倒したり、銃をぶっ放したり、たまに心を癒したりするファンタジー小説。

「目が覚めると、そこは高所でした」

 は? な転生案件を乗り越えて、
・皮だけ儚げ美青年(仮)な隊長
・存在がハラスメントの圧強お姐さん
・不思議ちゃんな地雷系女子
・脱力系ロジック脳男子
を筆頭に、様々な人と衝突し、間違いまくりながらヒキニートが社会復帰を果たしていくサクセスストーリー(?)
ビブリオテーク/図書館を舞台に、
ベルグリフという定義する能力でブラックホールみたいな渦を収束させて世界崩壊を阻止するビブリオテーカーにみごと就活成功したヒロインの明日はどっちだ?!

全編、終始意図的な深夜テンション(作者が)でお送りします。

prologue:1
人生とは? in上空


「いや、もうほんと、何なんすかね、人生って。人生全般をさしては申し訳ない。私の人生が何なんだろうっつう、はあ、ほんと、上手くいかないものだとは思ってたっすけど、思ってたけど、バット!」

 怖いもの見たさに足首へスルスルと視線を滑らせる。背景には、バッチリ高層ビルが立ち並び、遠近法で足蹴にしているかのようだ。
 わあ〜、どこぞのビルを薙ぎ倒す巨大生物の気分だー。たっのしー(棒)。

「下手なクライマーにしても、もう少しやりようがあるだろうがー!」

 毛玉だらけのパーカーは先の鋭い大きな針に縫い付けられ、洗濯機に揉まれて強度を増した布地は破れる気配がない。

「こちとら、高所恐怖症じゃコラー!」

 街を一望できる塔の上、雲は頭をすり抜け、風は容赦なく背中を押してくる。

 「目を覚ますと、そこは異世界でした。」ならまだ納得がいく。「目を覚まして、そこは高所でした。」は全然理解できない。
 できようはずがない。

「雲が顔にかかるとか、どんな世界線ですか? 拉致されたんすか? 瞬間移動? なんかこの街見覚えない感じするのって気のせいですかね? お家帰りた……いや、そうでもないけど。食べ物持ってきてないんすけど。dead or aliveじゃないっすよね。dead or deadっすよね。餓死するか転落死するかの2択ってありなんすか? あ、水には困らないのか。ある意味配慮? いや、水だけで過ごすにも限界あるっすよー」

 やまびこすらないこの状況は、正しく高度な高所にいるとしか言いようがない。

「とりあえずー、赤い帽子の配管工さんシステムなのかだけでもー、教えて欲しいですー」

 リスポーン機能を求める必死の叫びはやまびこを返す同じ背丈のビルもなく、空高くに消えていった。

prologue:2
その頃...


ほしいですー、ですー、すー

「あ?」

 城戸刹那(きど せつな)は色味の変わらない米粒ほどの家屋群から天井に目を移した。
 わずかな空気の振動、人の叫ぶ声が聞こえた気がした。しかし、ここは電波塔の最上階テラス。建物内で叫んだならばもう少しハッキリと聞こえるはずだ。

「外から……なわけないか」

 スマホを確認する。仕事は入っていない。なら、確認するくらいはしておいた方がいいだろう。
 刹那は周囲を確認して自分以外の客がいないことを知ると、黒くハリと光沢のある生地のマスクに手をかける。

『感覚を共有させてくれ。ここから上だけでいい』

 電波塔の壁に手を当てて呟くと、刹那の鼓膜に大量の音が叩きつける。痛みを奥歯を噛み締めて耐えていると、微かに人の声らしきものが聞こえる。さらに耳を澄ませる。

「……あー、もう! 手に汗握るにも程がある環境ですよ。手に汗握った瞬間から蒸発するんじゃないですか? 寒いし。あ、寒いと蒸発しないや。え、手汗、まさか凍結の危機! 手汗って凍るとやばいんでしたっけ? てか、寒いから汗かかないのか。なら、手に汗はそもそも握らないって、こりゃ一本取られましたな。あははは」
「何言ってんだ、こいつ」

 頭のいかれた奴がいることは分かった。刹那は手を離して考える。問題は、ここの上にテラスはない。無駄口から察するに、おそらく塔の本当に頂上にいる。信じられない状況ではあるが。

「仕方ない」

 再びスマホのチャットを開き、うざったらしい女からの煽りメッセージの下に救援要請を書く。
【凪、応援頼む。救助者発見。ビブリオタワーの最上階テラスまでは降ろすから、身元確認と体調を診てくれ】
 ここから連続で力を使うとなれば、救助した後意識があるとは確証がない。刹那は自分が気を失った時の為に同僚に連絡を取った。
 スマホを閉じて肩掛けのバッグにしまい、体から外す。

「さて、風を止めた方がいいか、時間を止めた方がいいか。どっちにしても、負担がやべーな」

 意味もなく首を鳴らし、体をほぐす。

「上部分を……いや、壊したら復元は俺には無理だし」

 バッグを探って使えそうなものを探すが、入っていたのは財布とスマホ、延長コード、有線イヤホン。使える気がしない。

「いや、紐があれば、そうだな」

 辺りを見渡すと、展示品のライトアップのために電気ケーブルや延長コードが張り巡らせてあった。
 階段でフロアを一つ降り、スタッフに問い合わせる。

「どこからでもいい、頂上に出る方法はないか? 人が最低限1人通れるくらいの幅があればありがたい」
「え? いや、あの、それは……」

 難色を示すスタッフは刹那のマスクと耳元で光る黒いイヤーカフで姿勢を正す。

「すみませんでした! 【司書】の方ですね。整備用の出入り口があります」
「助かる。あと、延長コードも借りる」
「え?」
「人命救助にご協力願う」
「あ、はい、承知しました」

 説明を長々としている時間はない。コードを壁から片っ端に抜き、固結びで繋げていく。今電気が通じれば確実に漏電する。

「助かった、協力感謝する。あなたは持ち場に戻ってくれ」

 スタッフは怪訝そうに刹那の様子を伺う。

「ここまでくれば後は居てもらうと困る。ベルグリフを使うのでな」
「あ、そうですよね。では、お気をつけて」

 スタッフが声の届かない位置まで去ったところで、再び黒いマスクを下げる。

『30度以上の物体に触れたら全体に巻きつけ。そのまま俺が「いい」と言うまで固まれ』

 ふうとやり遂げた息を吐いてひと繋ぎのコードを持って立ち上がる。教わった通用口まで運んだところで刹那は動きを止めた。

『30度以上の熱で固定化は緩む。熱が離れたところで再び固まれ』

 人ひとりがギリギリ通れる大きさで切り込みが入った金属の壁に向かい、取手を捻った。
 髪を抜きにかかるみたいな風が襲う。
 ビューどころではない、雷鳴のような轟音が鼓膜を軋ませる。

「おい、聞こえるか? 助けに来た。返事をくれないか?」

 聞こえるわけないかと次の手段に入ろうとしたその時。

「うぇぁぁぁぁあ、あ、じゃまっす」

 黒い影が太陽を隠した。


ーーーat 図書省特殊部隊オフィス

「あ? 応援要請だぁ? 何様になったつもりなの、あいつは」

 久城凪(くじょう なぎ)はオフィスでウインナーコーヒーを飲んでいた。

「応援要請って仕事ですから、何様のつもりもないのでは? 女王陛下」
「馬鹿にしてるなら答えなくていいわ。無駄に人を怒らせないで」

 昼下がりのカフェタイム、会社から許された休憩時間を凪は甘いドリンクと過ごす。中には、高いところにわざわざ登りに行く奴もいる。自分から疲れに行く高いところが大好きな馬鹿のことだ。

「仕事ですよ、女王閣下」

 西宮絲(にしみや いと)は興味がないと投げやりに言い放つ。目の前のディスプレイから目が離れていない。

「変なところで真面目よね。いいわ、人の休暇を邪魔するとどうなるか分からせてやる」

 これから半休を取る予定だという旨はしっかり伝えておいたのに、2歩歩けば忘れる鶏じゃいるまいに。レディーにそれくらいの配慮もできないから、あいつは顔だけでモテないのだ。

「ほどほどに。人命救助はちゃんとこなして下さい」
「……なんで知ってんの?」
「僕にも城戸さんから、おそらく同文が届いてます。女王様の考えはお見通しですね。ひゅーひゅー」
「ウザっ」

 凪は舌打ちしてソファから立ち上がる。組んだ足が当たった勢いでソファの足が浮き、着地した時にはガタンと音を立てたが、凪も絲もそれぞれの進行方向から振り返ることはない。

「……冗談が通じないな」

 一人になったフロアで、絲は小馬鹿にするように呟いた。
 ドライアイ気味の目を擦ってブルーライトカット眼鏡をかけるが、絲の視界は暗い。

「あれ、ってことは、もしかして」

 目を擦るが視界は戻らない。
 暗闇に沈んだ視覚は映画を映すようにぼんやりとした映像を出す。知らない女が渦に落ちてえら呼吸ができなくなったメダカのようにバタバタと抵抗をしている。
 光が入り、ガラス張りのオフィスが見え始める。

「あー、面倒だなぁー」

 椅子に頭を預けて天井を見上げる。

「あー、でも、いま仕事しないともっと面倒だー」

 絲は背伸びして体の凝りをほぐす。

「一応、業務規定に従い、情報共有を行わなければ。あー、疲れる」

 絲は業務チャットに高速で文字を打ち込みエンターを押す。
【『予知』 女性の脱法者。渦に取り込まれます。グレーのジャージ、ピンクのラインが入ってます。髪ショートで20代】

「未来の僕がリアルタイムで見れてるってことは……、城戸さん案件が九条さんだけじゃ足りない深刻バージョン、または二人がで払ったせいで人手が足りなくて僕が出動ってところかな」

 絲はゲーミングチェアに頭を預けてくるくると椅子を回す。何もない天井に考えを投影し、整理された頭が一つの答えを導いた。

「今のうちにサボっとこ」

 デスクに置かれたシロクマのアイピローを着けて、目を閉じた。

ーーーat 図書省エントランス

 真紅の薔薇を体現したパンツスーツが視界に入り、速水林檎(はやみ りんご)は階下で大きく手を振った。

「凪せんぱーい」

 モデルウォークで颯爽と階段を降りた凪に豊満な胸が絡まりつく。

「林檎」
「先輩、無事半休貰えたんでスパ向かいましょう。あとほら、先日のインタビュー記事が公開されましたよ。めちゃカッコよく映ってて、一緒に見ましょうよー」

 林檎はスマホに映るニュースレター、BunchTimesを見せて、指を差しながら「ここのセリフが良かった」と口早に感想を告げる。

「そう、したいところだけど。事情が変わった」
「……一隊の長たる者が仕事遅いってどうなんですかねー」

 断られると思っていなかった林檎は、へそを曲げて凪が難色を示した原因らしき刹那を非難した。

「緊急な上に人命かかってるから、さすがにバックれるわけにもいかないじゃない」
「それもそうですね、はぁ。あ、じゃあ、スマホだけ貸してくれません? 予約って先輩のスマホからなので」
「オッケー、これ預けとく」

 林檎が差し出した手にスマホを乗せ、凪は小走りで建物を出て行った。
 スマホを操作して予約管理画面を出すと、画面が暗くなる。

「久城さんが小走りなんて、なにかあったんですか?」

 照明よけになっている喜多理玖(きた りく)は、その長身を惜しみなく曲げて林檎の手元を覗く。

「……喜多、ストーカーやめてくれない?」
「ストーカーじゃないですよ、今日は普通に通りかかっただけ」
「感性疑うわ」
「俺はセンスいいですよ」

 理玖に見せまいと体の方向を変えての操作を試みる。ニコニコと自分を見守る長身の男をどうして良いか分からず、林檎は背を猫のように丸めて意思疎通を拒否した。
 ピコンッ
 絲からの業務チャットに長らく見なかった『予知』の二文字が記されている。

「やば、喜多! 凪先輩目視できる?」
「いえ、もう姿はないです」
「……まあ、リーダーが持ってるだろうし」

 なんとかなるだろう。自分で納得して凪のスマホを閉じた。


ーーーat ビブリオタワー

 その頃、神のいたずらか悪魔の罠か、はたまた凪の私念か、刹那のスマホは上から落ちてきた影に飛び蹴りを受けていた。

「あぶなっ。気を付けてくださいよ、下に人がいるなんて、天地も分からない人間からすると知ったこっちゃないっす」

 バキッ
 着地した足の裏には足蹴を食らった刹那のスマホ。液晶が割れる程度の全治一か月の怪我は、見事頭と胴体が割って離され御臨終となった。

「……まさか、自力で降りて来るとはな」

 二等分されたスマホに目を釘付けにされた刹那は、恨み言を言わずにはいられなかった。

「降りるっつうか、ひもじさより景気よく四肢爆散を選んだっつうか……まあそうっすね。自分、問題は自分で解決するタイプなんで」

 洗いざらしたジャージに身を包んだ女は、「どうしよう。予定外に生きている。まあ、死んでなくてラッキー?」と独り言を空気に向かって話している。

「はぁ、とりあえずその足を退けろ」
「ほえ、あ、こりゃ失敬」

 ディスプレイは粉々になり、あたりに飛び散っている。破片をうさぎのように飛び避けて、女はテラスの手すりにもたれかかる。

「ところでここはどこっすか? あんたが犯人っすか? 私を食べても栄養価は微妙だし、金をむしるよりまず私が金食ってる虫の分際なので、てか、誘拐するにしても保管場所はもう少し手の届きやすいところの方がお互いに良いと思います。最終的に殺すにしても、あんなバカ高い高所、まあ、金的にも高いっすけど、どうやって始末するつもりで……」
「止まれ、一旦話させてくれ」

 刹那は床にあぐらで座り込み頭を抱える。
 助けようとしたら自力で落ちてきて、スマホが壊され、今誘拐犯扱いを受ける。いっそ助けるなと言って欲しかった。

「てか、まじありえないっつうか、『普通』は人気のない廃屋を選ぶと思うのですが。あれ? そういえば……」
『黙れ』

 刹那の言葉は届かず、女は喋り続けた。
 最終手段と刹那がマスクを下げて女の口を強制的に閉じる命令を下した時、ふと訳のわからない単語があったことに気がつく。
 聞き違いかと首を傾げて女への閉口命令を解こうと垂れていた頭を挙げると、黒い渦から毛玉だらけのジャージ、そこからのぞく血色の悪い細い腕だけが突き出ている。
 すぐに腕も渦に飲まれた。

「まじか」

 刹那は床を手探りでスマホを見つけるが、大破して何も使えない。

「……まじか」

 もう「まじか」としか言いようがない。
 刹那は360度をガラス窓で囲まれ、渦に吸い込まれた女のジャージのような曇天だなぁと詩人の気分でため息をついた。

prologue:3
まず世界観の説明が欲しい


「どうすっかな」

 トグロを巻く渦と睨めっこすることを諦め、刹那が周囲を見渡すと、チンッとエレベーターが止まる音がした。

「ちょっとそこの黒歴史、私を呼びつけるなんて……」
「非常事態だ。女が1人、渦に飲み込まれた」
「私の休暇、を、は?」
「だ、か、ら」
「ちょっと待って、脱法者の報告は受けてないわよ。さっきまで絲と一緒にいたけど、アイツ何も」

 凪は内ポケットにスマホを探すが、布の袋はスカスカと音を立てた。

「あ、そうだった。ちょっと、リーダー、スマホ貸しなさ……」

 凪が言い終わる前に刹那は両手で一片ずつ割れたスマホを持ち上げた。

「うわぁ」
「そういうことだ」

 真紅の派手美女と黒装束の美丈夫の間になんともいえない空気が漂う。

「絲は、一刻も早く呼び出すしかないな」
「それか、私のスマホ持ってる林檎を召集するかね」
「どっちも呼び出せ。仮にも職務時間内だろ」
「私と林檎は違うけど」
「あ゛?」
「分かってるわよ」

 器の小さい男だと凪は腕を組み、目を閉じた。
 黒光りするイヤーカフと真紅の唇が鮮烈なコントラストを描き出す。組んだ腕を解き、マスクと耳の付け根の間に挟まる髪の束を指で摘んでしゅるっと後ろ髪に合流させる。

「このフロアにスタッフは?」
「下にいる」
「呼んできなさいよ」
「お前が行けばいいだろ」
「スマホが一刀両断されたくらいでふよふよにならないで。か弱いお嬢様なの?」
「うるせえ」

 刹那の視線はまだ当分された金属の塊に囚われていた。眦に涙の幕がうっすら張っている。

「ゲームの引き継ぎコード、控えてねぇんだよ」
「きもっ。はぁ、しかたないわね」

 凪は階段を降りて下のフロアの案内所に向かう。
 スタッフは凪が近づくにつれて訳知り顔になっていく。

「【司書】の方ですね? お仕事は終わりましたか?」
「まだよ。電話、借りていいかしら?」
「はい」
「あと、まだかかるから、引き続き上に人はよこさないで」

 スタッフは笑顔で応える。

「大丈夫です。もともと、本日のお客様は少ないですから」

 そう、今日は建国記念日。人は寂れた高いだけが売り文句の電波塔よりも、街中でひしめく出店の飴細工に夢中だ。
 世間は浮かれ上がって、会社はことごとく休んでいるのに、公務員のビブリオテーカーはキビキビ働いている。全く、勤労この上ない。
 林檎にかけようとしたが、電話番号は覚えていない。絲のものも同様。仕方ないので、公式に出されているダイヤルにかける。

「はい、図書省でございます」
「ビブリオテーカー特殊部隊の久城凪、特隊のオフィスに繋いで」
「少々お待ち下さい」

 気の抜けたオルゴールの音色はすぐに止み、人為的な間の後、男が応答する。

「……召集ですか?」
「それは、職務怠慢の自白と捉えていいの?」
「よくないです。僕、メール送ったじゃないですか。他にどうしろと」
「……全員集合よ」
「なぜですか?」
「いいから、リーダーがお呼び」
「あなたさまが陰のリーダーですよね? 表のリーダーの首輪はしっかり握っててくださいよ。鞭で躾てくださいよ」
「なんで私に赤のレザーコート着せたがるのよ? いいからさっさと来なさい」
「え? てっきり城戸さんのこと「雄豚がっ!」て呼んでると思ってました」
「この話続けても時間は稼げないわよ」
「ちっ」

 聞かせるための明瞭な舌打ちで電話は切れた。

「時を争うって分かってて、毎回出動を引き延ばす癖はなんなのかしら? まったく、勤務中だってのに」

 勤務時間にサロン探しをしていた凪や林檎は置いて考え、絲の不真面目さに愚痴を言うところがまさに女王の風格である。
 凪が渦とともに涙ぐむ刹那の元に帰ると、黒づくめの男はすっかり気分も体も立ち上がっていた。

「連絡はついたか?」
「泣き止んだのね」
「ついたんだな」

 刹那は渦に近づき多方面から観察を始めた。

「注射ではもう泣かないなと思ってたけど」
「あいつら来ねーな、いつまでかかってんだ」

 凪に被せるように刹那が話す。

「ゲームのデータごときで。また最初から経験値を積み上げていく感動を味わえるんだっておめめキラキラさせて、ポジティブに生きなさいよ」
「……課金してたんだぞ。限定キャラとか、復刻しねーんだよ、このゲーム!」
「諸行無常ね。ゲームとはそういった苦い現実を教えるためにあるのかもしれないわ」
「フツーに札束燃えたんだよ!」
「自分で燃やして灰を片付ける手間が省けたのね」
「……クソが、非ゲーム人には理解できねーんだよ」
「非を除いて読み返してみるといいわ」

 刹那はだんだんと萎れて、床に座り込んだ。
 チンッと音がして、エレベーターのドアが開く。

「二方お揃いで。……城戸さん、ヒールで踏まれたい気持ちは理解できませんが、多分土下座の格好の方が女王様が踏みやすいですよ」
「うるせえよ、絲」
「え、SMプレイ? 私がいない間にそんなニッチなことに!」
「林檎、この程度の奴が私に釣り合うわけないわ」

 絲と林檎が合流し、刹那が重い腰を上げる。黒くトグロを巻く渦を囲んで、絲が手を挙げた。

「仕事はしました」

 渦を焚き火のように囲み、薙いだ雰囲気をそのままに絲は淡々と告げる。

「うるせえ」
「しつこい」
「知ってますよー」

 絲は渦を見ながらゆっくり手を下げた。

「林檎」

 縁がピンクの黒いマスクから口元を露わにして、林檎の様に赤くツヤのある唇が動く。

『拳銃』

 目を閉じて集中する林檎の手に2丁の拳銃が現れた。

「僕、居なくていいですよね」
「うるさい」

 凪が絲の頭を鷲掴んだところで、林檎の口が動く。

「ベルグリフの創造ですよね。定義が曖昧すぎて渦ができたみたい」
「ほっとくとヤベーやつだな」

 刹那がこの後のことを考え始めると、凪は喜色を浮かべて渦を見る。

「というか、珍しくお仲間候補じゃない」

 ベルグリフの創造ができるということは、ビブリオテーカーの資質があるということ。事件を起こしたとしても、悪意さえなければ脱法者――ベルグリフ創造の力がありつつも国家に報告・登録がされていない者――もビブリオテーカーになることができる。
 能力自体が珍しいのだ、人手不足とあれば多少性根に問題があろうと国は雇ってくれる。

「どうせ働きませんよー」

 だからこそ、生存戦略の必要がないビブリオテーカーはのびのびと育つ。
 現状、9割がニート。
 優遇された地位、生きていれば一生公務員、監視の意味もあるので仕事をしなくても追い出されない。
 脱法者も、それぞれ理由があって登録していなかったわけだが、結局素直に登録して自由気ままなニートライフを満喫するのだ。

「林檎は偉いわね」
「えへへー、凪先輩、もっと褒めて」

 猫のように凪に擦り寄る林檎は、凪の手が頭から離れるとかがんだ体勢で何かに怯えるように凪の後ろに隠れる。

「凪さん! 渦から離れて!」
「え?」
「……て、あ……っす……」

 渦から呻き声のようなものが聞こえる。こんなこと、これまでは無かった現象だった。

「刹那!」
「分かってる」

 刹那がマスクを急いで下ろし林檎から拳銃を受け取る。絲は林檎と凪を盾に後ろへ下がった。

「……あー、……テス」

 戦闘態勢をとる刹那と、退路を確保する他三人。
 人が少なく、ゆったり流れていた時間はいまやピリついている。エイリアンでも這い出てきそうな不気味な声に一同動けない。
 ノイズは急に晴れ、声が文章として聞こえてきた。

「……あ、あー、聞こえとりますか?」
「お前、さっきの」

 刹那はスマホに足蹴りを入れられた場面がフラッシュバックする。確かに、忌々しくも記憶に新しいあの女の声だ。
 渦に飲まれるとはすなわち簡易的なブラックホールに落ちたようなもの。別世界と言ってもいい。これまでは、原因を抹消して、渦を消滅させるしか無かった。その間、中に落ちた人間の声なんて聞いたことがない。一部、ビブリオテーカーの素質を持つ者は渦を卵状に収束させる。そういった一部の生き残りに聞いても、渦内で意識はなかったという。

「とりあえず、というかまずですね」

 刹那は初めてのことに驚くとともにどうしてもこんな事態が起こっているのか考え込む。すると中の女は刹那が応答したのを確認して明るい声で言い放つ。

「この世界の設定について、ト書きか語りか、説明が欲しいっすね」

prologue:4
普通ってなんだろう?


 人気のないスカイデッキ。全面がガラス張りは掃除が大変らしく、せめて脂がつかないようにガラスの壁と床には距離があり、手すりという名の停止柵がある。
 エレベーターを降りて左手の手すりがあるあたりは、黒い渦に侵食されてそこだけ溶けたように柵がなくなっている。

「渦の原因、聞き出せそうね」
「そーですねー。喋れるなら喋っていただきましょうよ」
「僕帰りますよ」
「まてこら。そーだな、ただ、こいつマジでうるせえから覚悟しとけよ」

 帰ろうとする絲のフードを掴み、中の女から聴取をしようとしゃがんだ凪と林檎に忠告をする。
 凪は何を言ってんだこいつはと下層のゴミを見る目を刹那に向けた。

「あのー、すみませーん」

 人のいない店で店員を呼び出すような感じで林檎は呼びかける。

「はいっす」
「なんでその状況になってるか分かります? 普段自分だけが独自の意味で使うような言葉があったりとか」
「よくわかんないっすけど、よくわかんないっすね」
「なるほどー、わからないっぽいですねー」

 林檎は凪達を振り返り、「ムリっぽいです」と爽やかに言った。

「すぐ諦めるな。つうか、話という話は成立してなかっただろうが」

 刹那は渦と視線を合わせるようにかがむ。

「おい女、自分だけしか使わない言葉、自分で創り出した言葉、意味を自分で変えて使っている言葉、どれかをさっき渦に飲まれる前に使った覚えはあるか?」
「まず、前提からいいっすか? あの、小生、世界線の設定を、プロローグ的な何かの提示を要求したのですが、なぜに出てこないんすか? まあ、世界設定を先に読んでからゲームスタートがセオリー、礼儀であることは存じているのですが、なにぶん知らんうちにスタートしてたもんですから、受動的ゲームスタートは初体験。ちょっと、この言い方色気あるっすね。でも、読んでない勢のために、最初は説明交じりの何かがあるもんなんすよ。じゃないと評価が1くらいになるっすよ。あれ、どんなクソゲーでも1はつけないとレビュー書けないのって不満あるんすよね。正直星を1つあげる価値すらないクソゲーってあったりするんす。まあ、そんなことはよくてチュートリアルのことっすけど。ポップアップでも別に構わないっす。NPCに喋らせるのが面倒なのであれば。でも、とりあえずそこ説明しとかないと、いきなりブラックホールに飲まれたくちとしては、どうにも。とにかく、設定を知らねば攻略も始まらんし。つうか、忘れてる? もしくは、小生、無視されとりますか? 現実世界だけに飽き足らず、空想な世界ですら価値を認めてもらえない私とは、その存在意義やいかに。あ、そういうことすか。じゃあ、しばらく黙っといた方が……」

 やっと息を吸う音が聞こえたと思えば、マシンガンは再び乱射される。

「とわならんぞい! 存在感うっすいなら、なおさら喋り続けて生きていることを報告しとかにゃいかんでしょ。ここでへこたれないのが、ニートの中のニートっす。ここでへこたれていては陰キャの名が廃るってもんでしょ。喋らにゃ損損」
『黙れ』

 こめかみに青筋を立てて刹那はマスクをとった。我慢の限界だったのである。しかも、まだ喋る雰囲気がバシバシ感じられた。

「……っるさい。何このジャンクスピーカー」
「珍しく意見が合うな」
「ノリを間違えた地方ラジオ」
「それも当たってる」
「ウザっ」
「シンプルに悪口は止めろ」

 刹那の言ううるさいが「五月蝿い」だけではなく「煩い」も含んでいることが共通認識となった瞬間だった。

「ゲーム好きオタクなら、リーダーの十八番じゃない。全面的に任せるわ」
「こう言う時だけリーダーって呼ぶな。きめぇ」
「ゲームデータ飛んで号泣してたことバラすわよ」
「……もうバラしてるだろうがよ!」

 元々自由人ばかりの部隊、リーダーとしての威厳を見せようとしても初対面から敬意すら払わない連中に今更と思うかもしれない。しかし、成人の男がゲームデータが消失して泣くのが結構人間的に引かれる行動であることは理解しているのだ。
 普通に、恥ずかしいものである。
 頬に宿る熱を散らそうと冷たい手の甲を当て、刹那は渦を見る。

「いいか。聞かれたことだけに答えろ。俺らの態度が緊張感を奪っているなら申し訳ないが、この手の渦は最悪世界を飲み込むまで肥大化する。下手したら地球が終わる。結構な緊急事態だ。今もお前を飲み込んだ渦は成長している。お前の長ったらしいお喋りに付き合っている時間はガチでない。以上を踏まえた上で、」

 刹那はマスクを下す。

『答えろ』
「まず、お前が渦に巻き込まれる前に、感覚的でいい、違和感を覚えた言葉はなかったか?」
「うー、そうっすね、よくわかんないっす。なんか、あったようななかったような」
「では、ゲームでの言葉を別方面に利用したことはないか? 二次創作で新たな技に名前をつけたり」
「いやー、自分、二次創作は見る専っす」
「……手がかりねえぞ」

 渦は着々と手すりを飲み込み、そろそろ二倍の面積になる。このままでは、仮に柱まで這ったときには塔が崩れる。

「つうか、『普通』に考えてくださいっす。拐かされた金食い虫二乗がブラックホールに飲み込まれるなんて……、あれ? ゴミ掃除か。意外と道理にかなって」
「ねえ、その、フツウ、って何?」

 渦の成長スピードが急に上がった。
 つまりは、先ほどの言葉の中に未登録のベルグリフ――概念――が存在する。凪には、聞き覚えのない言葉が引っかかった。

「意味わかんねえけど、わかんねえってことはそれだな。使うなら定義をしっかりしろよ、ったく」

 刹那が背後の絲に目配せをすると、ハンドバックからタブレット端末取り出して手渡される。

「んで、そのベルグリフ、定義は?」
「え? て、定義。『普通』の? えーと、平均的な、みたいな」
「みたいなってなんだ」
「いやー、皆さん『普通』に使っていらっしゃるもので。なんてーか、もう結構広い意味なんすよね」
「は? よくわかんねーこと言ってねえで、さっさと定義よこせ」

 女はしばらく黙り込んで、重い沈黙の後恐る恐る口を開く。

「定義って、『普通』の定義は争点なんすよ。『普通』はこうする、『普通』にやっといて、『普通』の容姿、『普通』の性格。『普通』の、生き方、とか。皆んな、誰かに自分の価値観を押し付けて、それを『普通』なんて聞こえのいい言葉にして。『普通』じゃないと仲間はずれ。『普通』を装っても、ミリ単位の間違い探しでハブられて。正解なんて誰も知らないはずなのに、知ったふりをして。平均値なんてどっかで出したか? 統計的に処理したこともない誰かの『普通』をさも『普通』の事のように使うなよ。『普通』でいられるなんて、ぶっちゃけ偶然頭をぶつけて骨が脆くなっていた頭の数ミリの隙間があるところに珍しく外で練習していたダーツ部がダーツのピンのコントロールをミスって、爆風が吹いてピンが浮いて針が脳にブッ刺さるくらいの奇跡で。『普通』なんて……」

 蛇口から注がれる水がコップの容量から溢れて、どぷどぷと外へ流れていく。
 女が口を開くたびに、言葉が溢れだす。そして、渦も比例して水を得た魚のように育っていた。

『黙れ』

 地面どころか壁のガラスが渦に飲まれるギリギリだった。

「その言葉、使うな。俺らが飲まれる」

 普通、というベルグリフの定義はどうやら広義にわたるらしい。しかし、まとまりがなさすぎて、どうにも定義のしょうがない。
 刹那はこのまま流暢に聞いている暇はないと判断し、マスクを下げた。

『一言でまとめろ、フツウ、とはなんだ?』

 刹那の命令は、対象に限界以上の機動力をもたらす。通常本人ができなくとも、限界を超えて潜在能力をフルにしたレベルで脳を使わせれば結果は出るはず。その代わり、人に使うと最悪な場合死なせることもある。
 だが、今回は言葉の定義を一言でまとめるというだけの話。大した容量は食わないだろうと考え命令を下す。

「『普通』は、……こっちが聞きたい」
「は?」
「あれ? なんか、眠く、なっ、て」
「え?」

 限界を超えた機動力を要求してもなお、定義できない「普通」とはどんなものかと一同は呆気に取られるが、現状は刻々と悪化している。
 雲ひとつない青空は太陽の光を通し、ガラスごしに形取られた白い台形がエレベーターに重なる。
 渦は刹那の足元まで迫っていた。

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口枷を噛まされました。なんだかエッッッ


 今日は本当についていなかった。
 では、昨日はついていたかと言われると、ちょっと答えるのが難しい。
 でも、少なくとも昨日は上空以上に居心地の悪い実家に閉じこもっていようが(身体的には)生きる権利は守られていた。
 少なくとも、見ただけでトラウマが蘇り震えが止まらない見飽きた家族の顔よりはマシだが、世界観が違いそうな街並みを寝起き早々見下げることになった。
 少なくとも、知らない男性のスマホを踏み潰して、泣きそうな儚げ美青年に目を奪われたがために恥ずかしいほどのマシンガントークを繰りだすことも……多弁はいつものことだった。
 あれ?
 今考えてみたら、ヒッキー(引きこもり)な私が儚げ美青年とエンカウントで綺麗な泣き顔に興奮できたし、あのクソみたいな家族とは次元的に縁が切れたし、居心地が悪いのに変な安心感で抜け出せなかったあの牢獄から強制的に解放された。
 良いことづくめだなー。
 やっぱり、今日という日はついていた。
 まあ、全部夢だけど。
 きっと、明日はついていない。

 ――――――

 そう保険をかけつつ、こんな夢が続けば良いなーと願掛け的に逆張りしていた私の健気な抵抗を、やっぱり無能な神様は聞いていやしなかった。

「んれ!」

 目が覚めて第一声、人間を辞めた変な声が出る。自己肯定感はすでに底をついているというのに、頭を上げるつもりはないのだから圧しつける必要はないのに。確実にとどめを刺してくるのが、私の体だ。
 流石。ブラボー。どんな時も人間的価値のなさを気づかせるその姿勢は天晴れだ。
 無意識に唇を痛めつけようと動いた歯が硬いものに阻まれる。

「はえ? んぬ、んー」

 そういえば手も動かない。ベッドに横たわった状態で後ろでに固定されている。腕、めっちゃ痺れる。

「ふぇ? ほふひふひょふほう? へ、はひはひひゃふはりひた。ふぇほは、ほれは(長いので以下略)……
 (え? どういう状況? いや、確かに逆張りしたよ。でもさ、それは心を守るためじゃん。もうこれ以上、落ち込みたくないのに無駄に期待が生じるから、落胆した時にあまり辛くないように悪い未来を考えておくのがニートの道でしょ。でも、期待しちゃうじゃん! にんげんだもの! ほんと、性格最悪。ゴミ。えーと、性悪!)」
「うるせぇ!」

 足元からドアを乱暴に蹴り開ける音と、ドスの効いた低く、しかし透明感のある声が耳に飛び込む。
 ツカツカと靴音が近づき、視野に儚げ美青年の顔が映る。

「意識戻ってすぐ騒ぎ出すって、起き抜けくらいお利口にできねぇのかよ。こどもか」

 儚げ美青年は痺れてピクピクとのたうつ両手を見て、拘束バンドを外してくれた。「ガキか」と言いそうなところを「こども」で済ませるところに、なんかむずっと、こう、心臓がむず痒い。
 美青年が反応できない速度で即座に口枷を取り、私は唖然として開いた口を……動かした。

「いや、え、あの。重大事案でござる、あの、え、泣き顔が美しい美青年が、その口調はやべえ。がちやべえ。あ、美しいが重なってしまった。まあ、それだけ美しいですよね。人間的魅力なんて、結局顔の整い方ですから。微妙に綺麗な声で無理にドスを効かせるところに可愛さを受信。ギャップ萌えヤバ。え? 完璧すぎる。好みど真ん中じゃないすか。王道オブ王道とか馬鹿にされるかもだけど、王道には王の道になるべく魅力があるんすよね。さすが夢、さすがイマジナリー。やる時はやるっすね。まさに理想の具現化。いや、夢の中だから具現はしてないけど、夢幻化、夢現化? いやー、ナイス私の想像力」

 うんうんと腕を組んでうなづく。

「あ、私、つか、それがし、あの」

 一人称を間違えてしまったが、まあ、こんな顔の良い絵にはピク(ピー)ブでもなかなかお目にかかれないので、素が出ても仕方ないというもの。
 とりあえず、喉が渇いた。水をもらおうと顔を上げると、背の高い美青年は、私の顔の数個上でほっぺを真っ赤に、お耳も真っ赤に、お照れになっていらっしゃった。

「おまっ」
「え?!」

 見上げると恥ずかしげに顔を背ける姿はもはや平安京の姫君。十二単が見える。うつくしい。
 こんな顔が整っているのに、こんなウブな感じがたまらんです。良き。
 私が惚けて儚げ美青年の顔を見続けていると、美青年は細長い腕、儚い細さの手のひらで私の視線を遮った。

「いつまで見てんだ。金、取るぞ」
「いくらですか!」

 ああ、美青年の首筋がエッッッだ。うん、よき。なんか、エフェクトかかってるよな。好調した顔周辺にピンク系レインボーのシャボン玉らしきものが漂って見える。さすが夢の中。なんでもできる。
 食い気味に詰め寄ると、儚げ美青年はビクンと全身を震わせ、めちゃくちゃ蔑む目を向けてきた。
 なんか、ボーイズラブ始まりそう。男がいないのが悔やまれる。
 私が襲い掛からなければいけなさそうな雰囲気に、そういう趣味はないため困っていたら(女の子攻めはちょっぴり地雷)、可愛い系のこれまた私の好みな女の子が部屋に入って来た。

「ちょっと、なんかこっちまでうるさいのが……あ、部屋入りました。失礼してます」

 一歩間違えればゴスロリ、しかし、TPOをしっかり守り当たり障りないゴスロリ系可愛さを醸し出すファッション。可愛い系で統一した、しかし落ち着いたメイク。そして、明らかに性格が地雷系の声。うん、いい。
 ちな、ゴスロリも地雷系も知らない。雰囲気で使ってる言葉って、多いよねー。

「部屋入る前に言えよ。その事後報告は全く意味をなさねえ」
「リーダーのくせに気配も察せないのですか? いいかげん、凪さんにその地位譲りましょうよ」
「そのクソみたいな盛大な勘違い、俺が正してやる。リーダーってのは……」
「あの、会話に割って入っていることは重々承知なのですが」
「「だったら割り入るな!」」

 右には儚げ強がり系美青年、左に地雷系ゴスロリ気が強いお姉さん。許されるなら、ずっと蚊帳の外でイチャイチャを見守っていたい。しかし、死活問題というものがあるのです。

「水分がそろそろ生命維持、正確には意識を維持するのに限界量を下回りそうなのであります。てえてえは供給ありがたいのですが、人命救助と思って水を差した人間にも水の差し入れをよろしくお願いしたく候。水差しでも可。あ、ちょっと上手いこと言った。えへへ」

 うまく言葉を掛けられたと満足感に浸る。
 これでオタク的なムーブを出しつつ、絶妙なダサい感じを出しつつ、的確に要求を伝えられた。
 さて、私の命のお水は誰が持って来てくれるのだろう。

「セルフで」

 地雷系ゴスロリ系お姉さんは扉先を指差した。

「林檎、いくら元気そうだからって病み上がりなんだから邪険にするな。あと、こいつは部屋の外に出せないんだから、持って来てやれ」

 儚げ美青年が監禁ムーブ! 儚げ、美青年、が、監禁ムーブ! いや、そんなことより優しい。スパダリ感謝。
 いや、え? 私、またヒッキーする感じなんか。強制的共生ヒッキー。共生相手は、欲を言えば美青年だけど現実的に考えれば地雷系ゴスロリ系お姉さんだな。
 いや、ここは夢なんだから、ちょっとリッチに儚げ美青年を召喚しようじゃないか!
 儚げ美青年にお水たっぷりのグラスを渡された私は、ちょっと悦に浸っていた。監禁という名の同棲生活、やっぱりゴスロリ系お姉さんも捨てがたい。

「飲まねぇのか?」
「はっ! 飲みます! 呑ませていただきます!」

 グラスを一気に煽ると、変なところに入るのがお決まりなのだ。気持ち的には肺胞に水が入っちゃった感じ。
 私は鼻にグラスを被せるつもりでグラスを逆さまにする。
 まあ、むせるわな。

「ゲホッゲホッ、ゴホッ」
「大丈夫か?」

 美青年はどこからともなく持っていたハンカチを差し出す。なんか、グッときた。
 ここで、『そそっかしいな、お前。(少し小馬鹿(愛のある)にした笑いを浮かべる)ほら、こんなとこにも』って、頰の滴を親指で拭ったり……

「ほんと、行動まで煩いな」

 そう、ただの美青年ならそんなもんだ。ガラ悪い系美青年は一味違う。全然ガチトーンの、なんならちょっと後退したくなる圧を感じる。
 この口の悪さ、垣間見える優しさ、ハンカチは手渡すだけで不用意に触れてこないところに誠実さを感じる。こういう方が、乙ゲーにおいてヒロインを任せてもいいと思うのだ。
 因みに、私は乙ゲーは主人公に自分を投影する方ではない。断然主人公という一人の女の子の恋模様を神視点で見届ける派だ。欲を言うと、主人公に声があるタイプが好きだ。あと、近未来的なやつが好き。戦国モノや大正浪漫、中世とかも捨てがたい。なんなら、衣装だけなら大正浪漫がドストライク。中世×近未来、大正×近未来も良い。なんにしろ、近未来要素と時代モノの融合は夢がある。設定やビジュアルもこだわっているものがあるのでオススメです! うん、誰に言ってるんだろう。イマジナリーフレンドかな。

「リーダー、怖がらせちゃダメですよ」
「いきなり黙るこいつの方が怖え」

 でも、独り言を一人で言わなくなったっていうのは、成長かもしれない。なんか知らんけど、心の暗闇に誰かを想像して話すようになったって事だから、独り言は卒業かもしれん。よかった、キモイって言われ続けたし。

「動かねぇな」
「もう私戻っていいですか? 私忙しいので」
「じいさんに、こいつを連れてこいって頼まれてんだけど」
「リーダーお忙しいですよね。私行きますよ。ちょうど暇なんです」
「仕事しろ」
「やった! じゃあ、コレに口枷はめて連れてけばいいですよね」
「俺のじゃなくて、はあ、まあいい」
 開けたまま固まっていた口に懐かしい感触が蘇る。
「うえ?!」
「はいはい、さっさと歩いてくださいねー」

 ゴスロリ系お姉さんが手首を掴んでぐいぐいと引っ張ってくる。さっき、この部屋から出さない的な監禁宣言は、なかったことになったのでしょうか? それだけは確認したい。期待してたのに。
 窓のない監禁にはうってつけな部屋に惜しみながらも別れを告げる。壁が真っ黒だったところが闇落ち感があってとても良かったのに。

「ふぁふぉ! (あの!)」
「……」
「ふぁふぉ、ほへいはん (あの、お姉さん)」

 闇の部屋から解き放たれた景色は、ニートには眩し過ぎた。なんか、インテリアがクリスタルと金属と革。えーと、仕事できそうな雰囲気があり過ぎて、日陰ものにはキツイものがある。日当たりがいいし。太陽光が芸術的な形に切り取られて床に投写されている。
 空気もなんかマイナスイオンで充満してる。よろしくない。何がよろしくないかって、私が息をするのがよろしくない。申し訳ない。刻一刻と空気を汚している。というか、マイナスイオンってなんだっけ。金属と水素以外だったよね。硫黄とか? そう考えると、なんか嫌だなぁ。
 丸の内のオフィスよりも洒落た空間が広がる。窒息しそう。そんなオフィスの一室を去り、お姉さんは猪のように豪勢なカーペットを闊歩する。
 ただ今の御場所、御廊下でございます。御レッドカーペットが敷いてある。初めて見た。そんな高いヒールでこんなスピード出せる人も初めて見た。惚れ直すね。
 そして御場所移りまして、ただ今、御エレベーターですわー。なんか、派手ー。金ピカと黒光りー。装飾が中世ヨーロッパ感あるのにボタンはクリスタルで、機能は最新技術。なんか、乙ゲーマーの血が騒ぐ。
 映画で見るチンッと厳かな音、エレベーターの浮遊感が止まる。
 扉が開くと――そこは異世界だった。とか、ありがちな展開ってあるじゃないすか。はい! ここ、ここに、ありました。
 扉が開くと、そこはヨーロッパの王宮図書館でした。

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ニートが職を得ました。快挙です。


 360度、見渡す限りの本。
 インクの渋い匂いと、紙のお腹が空く美味しそうな香り。それと、電子音。
 人の声は無い。お姉さんは大理石の床に遠慮なくハイヒールを鳴らして進む。
 円錐状の部屋は天井に灯り取りがあり、一筋の日光とランプで暗いオレンジに照らされた室内はとても日本ではなかった。
 口枷をしていなくても言葉が出ない。圧巻だ。

「北宮長官」

 よく見ると、薄ぼんやりとした本棚のそばに誰かが立っている。

「連れてきました」

 ゴスロリ系お姉さんは私たちの絆の強さくらい硬く握った私の手首をあっさり離した。
 それは、壮年のお爺さんだった。なんか、優しそう。イケおじってやつかもしれない。白髪はシルバーと言わなければいけない雰囲気がある。
 よく分からないけど、攻撃力は無さそう。

「コレは、存在してはいけない」

 あ、メチャクチャ攻撃力高いっすね。激高。火力が強い。火炎放射器並みだった。

「しかし、規則には、コレの処分は規定されていない。どうしたものか」

 ナイスミドルがお困りだ。しかも、私を殺すかどうかについてお困りだ。

「あ、じゃあ……ふがっ」
「なに勝手に口枷外してるのよあんた」
「だっふぇ」

 ゴスロリ系お姉さんに後ろから口を塞がれる。柔らかいものが肩あたりに、うん。体勢的に口まで包まれている感じ。包容力を感じた。
 自分の生死に口を出さない方が難しいが、その理不尽さもゴスロリ系地雷系お姉さんのキャラを際立たせていいと思う。

「申し訳ありません」
「いや、構わない」

 ナイスミドルは分厚い本を開いて難しい顔をする。

「前例はなし。どうしたものか」

 前例で命を決められるのもなかなかに理不尽。さすが私。夢でまで理不尽な目に遭うとは。

「速水君。どう思う」
「はい。規則に則れば、ベルグリフの創出能力がある者は保護されるべきであり、監視されるべき。我々ビブリオテーカーと同じ処遇でよろしいかと」
「そうだ。しかし、コレは私の【定義】から漏れた。そんなことがあり得るはずはないと言うのに」

 さっきから、「コレ」呼ばわりが気になる。
 いくらナイスミドルだからといっても、人権くらい尊重してくださいよ。確かに、マリアナ海溝の底辺の隅にあるから見えにくいでしょうけど。真っ暗でしょうけど。ほら、よーく目を凝らしてくださいよ。プランクトンに紛れてゴミみたいな私の人権がぷかぷか浮遊してますよー。
 あと、ゴスロリ系お姉さんが急にカッコよくなった。これも良い。
 つうか、なんでこの夢はそんなに言葉の定義に拘るんだ。

「隊長の城戸からの報告では、日常会話と生活知識に著しい欠落、不足が見られる。長官の認識からも外れたと言うことは、異分子である可能性がある。とのことでした」
「異分子、それは、コレが人ではないと彼は考えているということかな」

 ナイスミドルの目が怪しく光る。なんか、殺される空気じゃね?

「ちょっ、ちょっと待ったー!」
「あんた、黙りなさいって……」
「いやあの、シリアスな雰囲気ぶち壊して申し訳ないっつうか、あれなんすけど。え? 確認しても、いや、なんとしてでも確認させていただきたい! これは文字通り死活問題」
「速水君、大丈夫ですよ」
「失礼しました」

 ナイスミドルが手で制すと、ゴスロリ系お姉さんが制服系お姉さんにジョブチェンジすることに気をとられている時ではない。由々しき事態だ。どうしても看過できない事実が会話に紛れ込んでいた。

「隊長? 城戸、ってリーダーさんのことですよね? あの儚げ美青年。え? 私、人間じゃないと思われてるんすか? これから夢が続く限り友情を温めようと、あわよくば知人Bになりたいと、思ってたのに! 妹でもいいけど! 人間として見られてないなんて、お友達どころか知人以下じゃないすか。マイナススタートがすぎる。私、宇宙人なだけですから。ぜんぜん、素朴な生命体ですから」

 とんでもない熱量と共に吐き出した欲求が冷たい目線に冷まされていく。

「君は、ビブリオテーカーを知らないのか?」
「そうっすね」
「ベルグリフも」
「ちょっとむずいっすね」
「君は、出身は?」
「渋い谷のあたりっす」

 ナイスミドルの表情が動く。
 初老の手が、ピカピカのツルツルな明らかに最近作られた本を手に取った。真っ新な白紙を一枚と、ペンが目の前のカウンターに置かれた。

「ここに来て、名前を書きなさい」
「いやー、さすがになんの説明もなしに署名する馬鹿ではないっすよ」
「それもそうだね。雇用契約書だ」

 今、ナイスミドルに後光が生えた。ニョキって。なんて言ったんだ? こようけいやくしょ? 雇用! つまり、雇われる。したがって、ニートを、グラジュエイト!

「イエッサー! 書くっす! 今すぐに! 何を差し置いても! マジ神。一生感謝しても仕切れないっすわー。この恩は来世まで忘れないので」

 雇用される、職に就く。逮捕された時に、自称無職から自称会社員になれるやつじゃん! 保険とか、なんか色々会社がやってくれるんだっけ? あと、有休があって、仕事があって、職場恋愛とかゴシップとか、不倫で修羅場に遭遇して。
 何よりも、世間様からの謗りを受けずに済むステイタス。恥ずかしくない存在。今がこれまでの人生で1番嬉しいかもしれない。
 ペンを持ってが震える。だって、思わぬ棚ぼただ。嫌いだった名前も、白い紙の上で美しく光り輝いている。

「うっす。よろしくお願いしゃす!」

 紙を持って前に差し出し、直角にお辞儀する。
 ああ、なんか、社会人だ。
 ナイスミドルこと神は紙を受け取ると、真新しい本に挿し入れた。

『歓迎するよ、山田華子。ようこそ、ベルグリフ、そしてビブリオテークへ』

File:0-3
スローライフの末、骨


 レースカーテンのやる気のない薄さが嫌いだった。漏れて盛れてる光の模様が、昼の太陽から作られていることを知っているのに毎日、眩しいくらいの白色で教えてくる。
 理解しているのは上っ面だけで、家に入れば針の筵。「いつ正気に戻るのか?」なんて、こっちが聞きたいんですよ、お父上。
 なーんて、変な感傷に浸るくらいに、今朝はとても充実しているのです。
 おはよう皆様、おはよう世界! おはよう自分、今日もちっさいな!
 ベッドから垂直に体を起こし、正面の姿見を確認する。寝癖がメデューサでも今日の私は輝いている。
 なぜかって?
 よく聞いてくれました!
 なんと、本日から、わたくし、職業持ちですのよ。オーッホホホ。
 聞いてよイマジナリーフレンド。
 だって、夢の中でさえ母にハローワークの書類を頭から浴びせられていたのに、なんと今回の夢では「こようけいやくしょ」にサインができたんですよー。
 もろもろすっ飛ばしてゴールに辿り着きましたとさ。いやー、あれっすよね、チート系のラノベにありがちな努力プロセスすっ飛ばし。あー、気持ち〜。
 努力皆無が骨身に沁みる。
 今目が覚めてもちょっと気分がいい。むしろ、幸せすぎてこれ以上夢の中にダイブしてると戻れなくなりそう。
 スタイリッシュなジャージに包まれて、幸せオーラで通常時100割増しで肌ツヤが良い。

「さて、夢の中で一夜を、このままあの監獄に戻されるのではと震えながらぐっすり眠ったわけだけども。夢の中で夢から覚めるって、無限ループ編キタコレ」

 なんだかんだと嬉しいのです。だって、なんか知らんけど、地獄で生きている現実の私は意識が夢に囚われちゃってるわけでしょ。しばらくこの夢から出られないってことでしょ。
 知らんけど。そう思いたい。まじキボンヌ。もしよければ、現実では死んでてここは天国展開を希望する。
 夢に囚われた幸せな私よ、何をしようか。
 なんでもできるぞ。
 なぜなら、ここは夢の中。

「パーリーしようかな」

 バカなやつ、浮かれてやがるとか思ったそこのあなた! 浮かれてるんです。
 わかってるよ。陰キャにパーリーは無理ゲーだって。でも、陰キャにも、お喋りしたい欲が強いタイプの陰キャがいる。
 隠れ陽キャだと心の中で痛い勘違いをしている、大人になって初めて自分が陰のものだって自覚する寂しがりやの気配薄い人間は一定数いるんです。
 ここにも一人います。
 精神的に健康な方々の生活とやらを、どうせなら送ってみたい。
 何するんだ? ナニか? ……あ、こういうノリはやめておこう。ダメージが自身に返ってくる。
 え? 友達いなさそうだって。千里眼とか持ってます? その通りですよ。弁明の余地もないほどに、お友達はゼロ人ですけど。
 むしろ、私くらいになるとマイナスいきますけど。まあ、そうですね、お友達作りから始めるのが初心者にやさしい道かもしれません。
 ゆくゆくは恋人、結婚、姑が時代錯誤であえなく退職、ワンオペ育児からの離婚騒動。慰謝料分取って、子供の親権問題で元夫と揉めながらの再婚。再婚相手の連れ子にだんだん心を開いてもらったと思ったら働き始め、我が子の大学入学式でボロ泣きして、夫と二人の余生を過ごすと思わせてからの熟年離婚。田舎移住を決め、することがないがために孤独感に支配され、ショッピング依存症からのクレプトマニア。再犯を繰り返し、ついには実刑判決。知的障害と刑務所で診断され、更に実の息子にも見放される。出所したところで身元の引き受けをしてくれた元々夫と復縁し、里親として活動を始め、若いエキスを吸いとりながら気前の良いババアとして子どもに尽くす生活。夫が認知症になり、私もそろそろかと思って黄昏ていたら、夫の夜間徘徊の行方を探して夜道に足を取られ、人知れず亡くなり、白骨遺体として数十年後に見つかるような人生を歩むんだろうなぁ、普通。
 目指すところはこれだけど、人生レベル1の私にはまだ難しい。段階を踏まなければ。

「自然葬、夢のまた夢。その前に黄昏られるくらい身の詰まった人生を謳歌して、そのために友達から始めよう、と、カンペキ!」

 人生計画を指折り数えて、うんうんと頷く。
 これがいわゆる、皆様が夢見るスローライフ。
 待ってろ、里子。
 すぐに気のいいババアになってやる!

「誰にしよっかな〜」

 手始めにストーキングする相手を選定する。儚げお兄さんも良かったけど、いきなり異性の友達はハードルが高い。とくれば、ゴスロリ系お姉さんかぁ。一筋縄じゃ行かなそう。ツンデレの風を感じるもん。
 手加減はしない。もじもじと不要な慎みを持ってボッチになったあの高校の文化祭はいまでも思い出す。押して押して押して押して押して……まあ押しまくる。
 羞恥心の末培ったストーキング技術が火を吹くよ。

「今度こそは、普通に生きてやる!」

 ベッドに片足を立てて、ガッツポーズを取ると、紐の緩んだジャージのズボンが落ちた。見事に膝に引っかかって、絶妙なカッコ悪さ。

 うん、仕事行こ!



エントシャイデン/entscheidenシリーズ

閑話 世界の動機、刹那の動悸
(プロローグの続き。ヒロインはどのようにして渦から生還したのか)

第1章 え? ゲームの経験値って人間関係に引き継ぎできないんですか?

第2章 coming soon ...

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