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【連載小説】黒い慟哭   第1話「三年前の家」


ふと、目が覚めた。
俺は慌てて布団から抜け出し目覚まし時計を確認した。
 深夜の2時……
「なんだよ、まだこんな時間かよ」
自分で勝手に起きといて独り言をこぼした。
それもそのはずで、昨日は寝坊をしてしまい職場で恥をかいてしまった。
 トラウマからの危機感がいつもより早く起きさせてしまったのだ。
「んーっ」両手を上げ背筋を伸ばした。
「トイレに行ってもう一眠りするか」
部屋のドアノブを回し廊下を歩く。
まだ、寒さが残る薄闇がまとわりつき身体を震わせた。腕を組み両腕を擦りながら、ふと気付く! 隣の部屋のドアが開いてた。
(な、なんだ?)
(美咲のやつドアくらい閉めて……)
「──!」
暗い部屋のカーテンに重なるようにしてシルエットが浮かび上がった。
 目を凝らして凝視すると、そのシルエットが微妙に上下に揺れている。
美咲の部屋に一歩足を踏み入れる……
「み、みさき起きているのか?」
反応はない。
恐る恐るシルエットに近づき触れてみる。
ナイロン袋の音に混ざってカサカサと何かが這う音が聞こえた。
 慌てて身を引いた。すると、シルエットが近付いてくる。暗闇の中では、距離感がつかめずシルエットの左肩と自身の右肩がぶつかり尻もちを着いたと同時にシルエットが鈍い音を立てて床に倒れた。
その音に驚きあとずさりながらワアワアと情けない声を漏らし壁に背を預けて止まった。その時、ふと我に返った。
 その異様な空気にただならぬ悪寒がした。
壁に背を這わせながらゆっくりと立ち上がり右手で照明のスイッチを手探りで探した。しばらく右手を彷徨わせた後、ようやくスイッチを入れた。
 パッと部屋が明るくなり倒れたシルエットに目を移した。
そこには、ピンクのパジャマ姿の美咲の遺体が転がっていた。
よく見ると頭にはスーパーのレジ袋が被せられており、口元だろうか? 袋の一部が吸い込まれるように形を作っていた。
 反対側に移動してみる。後頭部付近だ。
袋越しに動く小さな影を捉えた。それは、1匹ではない、10匹でもない、無数に蠢動している不気味な影。その正体は……
 その時、階段の軋む音がした。
誰かが二階に上がってくる。さっきの音で妻が起きて様子を見に来てくれたのか?
 やがて、部屋の前で足音が止まった。
「どうしたの?」
声が掛かった。その声に身体が跳ねた。
「綾香! 美咲が袋を被って……」
廊下からヌッと部屋に入ってきた綾香がゆっくりとこちらに顔を向けてきた。その顔からは生気が抜けており目は虚ろで焦点が合っていなかった。
「おい! どうしたんだ?」
すると、右手に持っていた、スーパーのレジ袋を両手に持ち固く結ばれた口を解いている綾香の手元の袋を見ると無数の黒い影が蠢いている。
 袋の中で飛んでいるのか時折袋に当たる音に混ざって袋の底を這い回る不気味な音が重なった瞬間、いきなり目前が黒い影に覆われた。
 綾香は被せた袋の取っ手を顎の下でキツく結びその上からぐるぐる巻きにガムテープを何重にも貼り付けた。
 壁を背に両手をバタつかせると、袋という空間で縦横無尽に動き回る黒い影を目で追うとそれは、ドス黒く光沢をたたえ不規則に動く左右の触覚。さらに前足、なか足、後ろ足六本もの足をそれぞれ別々に動かしてレジ袋から逃げようと登ろうとして滑り落ちてくる時に見える2本の尾葉でその物体を確信した。
(ゴ、ゴキブリだ! 一体何匹いるんだ?)
(黒いヤツから赤茶色の大小様々な大きさの奴らは一体何匹いるんだ?)
だんだんと薄まる空気に動揺して両手を振り上げ袋を外そうとした時、両手首をガムテープで固定されていることに気付いた!
 おそらく、無数のゴキブリに圧倒され集中力がそちらに向かった時に意識がお留守になった手首を素早く拘束されたのだ! 慣れた手つきだった。
顔中にゴキブリが張り付き動き回る。耳元で微かに聴こえる鳴き声。それが号令となり、より一層ゴキブリの動きが活発になり鼻息であしらい鼻への侵入を拒否すると瞼から入り込もうとするヤツが現れ瞬きを複数回小刻みに撃退したあと目を閉じた。
 やがて、袋の中で息を止めるのにも限界を感じて、呼吸をするために口を開けた途端にレジ袋の内圧によって一気に口腔内にゴキブリがなだれ込んできた。
 出口を見つけたゴキブリの一部は待ちきれずに上の2つのトンネルからも身をよじらせながら潜り込んでいく。
中には耳の穴の前で触覚を動かして警戒しているモノもいた。
食道を通過したゴキブリはやがて、胃の中に黒々とした物体が溜まっていった。
 あまりもの苦しさに閉じた前歯で真っ二つにされるモノもいた。得体のしれない液体が舌に纏わりついた。
仰向けに倒れレジ袋が膨らんだり萎んだりしていたが、うめき声のあとに痙攣が続いた。
 綾香はその姿をなんの感情もなく見下ろしていた。
綾香がしゃがもうとすると、胸部を持ち上げたり尻を浮かせたりして床をのたうち回っている。
うめき声は悲鳴に変わりビニール袋越しに濁りを混ぜていた。
一際大きな痙攣がしたあと動かなくなった。
 脱出の機を逃した数匹のゴキブリがカサカサと音を立てて逃げたそうにしていた……

「なぁ、この話、超こえーだろ」眼鏡をかけた男の話が終わったあとに皆に促した。
「それって、実話?」ロン毛の男が不安そうに聞いてきた。
「もちろん、ノンフィクション」それを聞いたロン毛の男の顔が青ざめる。
「まじかよ! エグない!」軽めのノリでそう発した男が自身の鼻ピアスをさすった。
しかも、最後のオチがまだ残っていた。
「その2つの死体を司法解剖するとだなぁ」
ゴクリ、生唾を呑む音が聞こえた。
「胃を掻っ捌いたら無数のゴキブリがウジャウジャ湧いて出てきたって話だ! すげぇーだろ!」
「しかも、臓器のあちこちを食い散らかしていたらしいしな」
2人は目を見開いたまま固まっていた。
ロン毛の男は右手にグラスを持ったのを忘れて、鼻ピアスの男は焼き鳥の串を持ったままフリーズしていた。
居酒屋でする話ではないと周りの客の視線が気になりトーンを落としてさらにこう続けた。
「2人を殺した女は笑いながら圧縮したレジ袋を口腔内に押し込んでいたらしいぜ」
「まぁ、駆けつけた警察官の話ではな」2人を見回して眼鏡を上げた。
 「その夜、地獄を見た主人と狂気に歪んだ妻それに、巻き添えを食らった美咲っていうガキは可哀想だな」
「まぁな、理由はどうあれ親の勝手な都合だからな」ロン毛の男が持っていたグラスの中身を一気に飲み干した。
「しかし何でまた、わざわざゴキブリを使ったんだ?」ロン毛の男が髪をかき分けながら聞いてきた。
「さぁな?」「ただ、相手が嫌がる残酷な方法で殺したかったんだろうな?」眼鏡を外してお湯割りをひと口啜った。
それほど、殺意が肥大していたのだろうか?
「女は怖いよな、悠介おまえも気を付けろよ!」鼻ピアスを掻きながら語尾を強めた。
「忠告ありがとよ、でも心配すんな俺の女はそんな事しねーよ」眼鏡を拭きながら答えた。
「女はそのあと、どうなったんだ?」
鼻ピアスの男が持っていた焼き鳥の焦げを見て皿に戻してさらに聞いてきた。
「それがなぁ、その後が分かんねーんだよなぁ」眼鏡を上げながら首を傾げた。
「ただ……噂だけどよ、黒いワンピースを着てその家に今でも住んでいるらしいぜ」
暖房の風で衣服がこすれ腕の毛をくすぐらせたのかロン毛の男がピクリと反射的に右腕を引いた。そのはずみで右肘がグラスに当たり付近の皿にぶつかり陶器音が響いた。
 おおかた虫の話をして痒くなったのだろう?
「そろそろ出るか?」
「そうだな」ロン毛の男が伝票を手に取りこう云った。
「今日は俺の奢りだ!」その代わり今度3人でその家探して行ってみようぜ!
 そう云ったのだ。2人は無言でうなずいた。そう、みんな気にしていた事だったのを代表してロン毛の男が口に出したまでだ。
 外に出ると吐息が白く冬の寒さを感じさせた。三人はしばらく無言で歩いた。
鼻ピアスの男がセブンスターを取り出し咥えるとキィンと甲高い音と共に青白い炎がチリチリ葉を燃やした。
 ジッポをダウンのポケットにしまい煙を吐いた。
「で? いつ行くよ?」鼻ピアスの男が沈黙を破った。
「来週の土曜日はどうだ?」ロン毛の男が提案した。
「オッケーだ」
「俺も」
「よし! 決まりだ」それまでに場所は突き止めておくよ。歩きながら、ポケットに手を入れた。
「じゃあ、また連絡するわ」
「今日はゴチです」2人の声がハモった。
ロン毛の髪が風に煽られながら無言で右手を上げてそのまま駅に向かっていった。
 残った2人は自動販売機でホットコーヒーを飲みながらタクシーが来るのを待った。
「なぁ、さっきのゴキブリ女の話って何年前?」鼻ピアスの男が先程の話を真に受けて聞いてきた。
「たしか、3年くらい前の話だったかな?」曇った眼鏡を拭きもせず答えた。
「わりと最近だな」煙を吐き出しながら飲み終えた缶の中にタバコを投げ入れた。
ジュッと火種が消える音がした時、タクシーが到着した。2人は後部座席に乗り込んだ。
漆黒の扉が閉ざされた。

 今日は彼女とデートの日だ。
昨夜の飲み会の主催者である眼鏡を掛けた高松悠介《たかまつゆうすけ》が鏡の前で髪をセットしていた。昨日の連れはロン毛の奴が城木勝《しろきまさる》で鼻ピアスが木口賢治《きぐちけんじ》で2人は職場の同僚だ。あいつらには悪いが今日の俺はデートだ。
昨夜のアルコールの臭いをミントの粒を口に放り込みハッカで口臭をかき消し玄関を後にした。
 駅まで歩きながら、来週の土曜日の事を考えた。噂の家の事をスマホで調べようと思ったが、寒さ故にコートの中に手を入れたまま出そうしなかった。
 顔の前をあの虫が這い回ったり飛び回ったりする事を想像しただけでも、嫌悪感からか鳥肌が立ちむず痒くなった。
どんな凄惨な事件よりも嫌な死に方だと思った。体内に侵入する闖入者が胃を食い散らかして、ジワジワと内部から破壊されより長く苦痛を味わいながら死ぬのなら、一層ナイフでズタズタにされたほうがマシだとまで感じた。
 けたたましい警笛が鳴り響いた!
猛スピードで快速電車がホームを通過する。風圧を存分に受けると鼻筋からずり下がった眼鏡を持ち上げ舌打ちした。
せっかくセットした髪が崩れてしまった。
 電車の窓ガラスで確認する。ボサボサだった。
扉が開き車内へと足を踏み入れた。
珍しく中は空いていた。窓際の四人席に腰を落とす。
目的の駅までしばらくあるので車内でセットし直すことにした。

 俺の名前は城木勝《しろきまさる》
会社にほど近いワンルームマンションに住んでいる。
会社のみんなは俺のことを嫌っている。
何故かというとロン毛だからだ。
ただ、それだけだ! 今の時期ならいいが真夏ともなればたちまち煙たがられ酷いときには聞こえるように大声で俺の文句を言う輩もいるのだが、いちいちそんな人間を相手にしていては、自分の心まで腐ってしまう。
 今……俺が腐らないでいるのは、悠介と賢治が励ましてくれるからでもあった。
俺は心から2人には感謝していた。
とはいえ、ロン毛過ぎて彼女が出来ないのもその理由なので文句はいえない。
正午過ぎに起きてスマホを手にした。
 昨日の言っていた〈例の家〉でも調べようと画面をスワイプして検索画面に『ゴキブリ事件、3年前の家』このように検索ワードに入れた。
 すると、検索上位に『ゴキブリの家』と表示された。
「ほほ〜う」
気合いを入れるため髪を後ろで束ねてから、頬を2回叩いた。
リビングの椅子に腰をおろした。
「どれどれ」タップすると瞬時に画面が切り替わった。
『12月3日の昼に心配した上司が訪ねて来た際、玄関の鍵が開いているのに気付き家の中で倒れている2人の遺体を発見した。死因はいずれも窒息死であった。さらに遺体にはレジ袋を頭から被せられており解剖の際に体内からは夥しい数のゴキブリがウジャウジャ湧いて出てきた一連の事件……犯人の名前は木崎綾香。《きさきあやか》 年齢は32歳の専業主婦である。当時着ていた服装は黒のワンピースを着用していた。家庭内トラブルが悪化して妻の凶行によって家族が崩壊。警察の調べでは犯人は今も捕まっていない。その家は今も取り壊されずに規制線が張られた状態で放置されている。何故ゴキブリの家と呼ばれているのか、住所を知りたい人はユーチューブ空き家突撃チャンネルを観てください』
 人差し指で動画を指しているアイコンに誘導され画面を下へスライドすると動画が現れた。
「かぁー! 促し方が上手だね」
動画を再生した。〈動画の再生数152万回、チャンネル登録者数130万人〉
どうやら人気ユーチューバーらしい、8分の動画でどこまで分かるものか見ものであった。
「ジッ……ジッ……ジジッ……」
冒頭は何やらブラックアウトスタートだった。おそらく臨場感を煽るための演出なのだろうが長い……
(よくもこんな動画アップできたものだ)
胸中で溜め息をついた。
「まぁ、一発撮りなんだろうが……」
その長く感じる時間の中で画面下部に赤文字のテロップが流れる。
『今日は✕✕✕市の✕✕✕✕町の空き家にやって来ました』すかさずメモを取る。
『さっそく、中に入りたいと思います』
衣服の擦れる音と床の軋む音が暗い画面に響いた。映像が映ってないがすごく不気味な仕上がりとなっている。
3分が過ぎたあたりから暗い画面からキッチンが映し出された。ライトを点けたのだ。
 なるほど先程のブラックアウトは演出ではなく単に辺りが暗すぎて映っていなかっただけでリアルタイムではすでにキッチンまで潜入していた事になるのだが、気になるのは、やはり冷蔵庫の中身である。
 カメラワークがかなり乱れてきた、大丈夫か? フラフラしながら、乱れた息遣いが聞こえる。冷蔵庫だ! 
 その前で止まり扉を開けるまで動画の時間は残り2分を切っていた。
(急げ急げ)何か手がかりが欲しい勝はスマホ画面を見入るように近づけた。
 動画のテロップが『今から冷蔵庫を開けます』
冷蔵庫の中は暗闇に満ちて異様な臭いとキリキリとガラスを棒かなにかでこする音が聞こえた。『牛乳の瓶があります!』続けざまに『こぼれないように瓶の口はラップでしっかり固定されています』白い文字で会話を極力避けるような配慮が見られた。それ故に動画に集中できた。その後のテロップを流し読みした時で残り時間が1分を切っていた。
 牛乳瓶をおもむろに持ち上げアップで画面に映し出す。撮影者が牛乳瓶の底を覗いた瞬間ドス黒く長いものが互いに絡み合って無数の脚を互いの体に這わせるようにして少しずつ動いている。
 牛乳瓶を左右に振ってみると半固形物がぬらぬらと左右に揺れる。揺れた隙間からは何層にもなった膜が広がっていた。いきなり黒い物体が膜を突き破るようにして触覚と頭部だろうか? 尻尾だろうか? なにかグロテスクな物が牛乳瓶の蓋の近くまで伸びては潜って姿を消した。
 かたむけた状態で腐った牛乳がプリンみたいにわずかな半固形物の中に沈殿した底に蠢く2つの黒い物体。気持ち悪くなりその牛乳瓶を冷蔵庫に戻した。
 さらに冷蔵庫の奥の別の牛乳瓶には詰めれるだけ詰めた無数のムカデだった。
「うわっ!」気持ち悪くて驚いたのか撮影者が冷蔵庫の中に牛乳瓶を投げ捨てる所で画面が倒れ込むような乱れ方をして動画は終了した。
 ピーッピーッピーッ!
「うわっ!」こちらも別の意味で驚き肩が上がる。
どうやらお湯が湧いたらしい。スマホで別の動画を探しながらコーヒーを入れに立ち上がった。
 さっき観た動画以外は全て削除されていた。少し残念だと思いもう一度先程の動画を再生してみる。暗い画面の間にコップにお湯を注ぎスプーンで混ぜる。
 牛乳瓶のムカデが頭部を出した所でスクリーンショットを撮った。
一時停止したムカデの姿を見つめながら、コーヒーを一口飲んだ。
 いつもより苦く感じた。

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